地下迷宮(前編)
東に行くとサントゥス地下迷宮にたどりついた。
しかしその地下迷宮は、地上に姿を堂々と現していた。
本来なら見えるはずのない洞窟の岩盤表面のテクスチャーはさらけ出され、太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。
「サントゥスのように、このダンジョンも上昇したわけね」
フィオナが得意げに言う。
「でも良かったわ。宙に浮かぶぐらい上昇をしていたら、また私しか入れなかったわね」
アサノも得意げに言った。
「しかしこれだけ上昇していると、中がどうなっているかわからないな。気を引き締めた方がいいかもしれないぞ」
ぼくはそう言いながら、地下迷宮入り口に備えつけられた扉の鍵穴に、ヴォイニッチの鍵を差し込んだ。
ギイイと重々しい音が鳴り響き、扉はゆっくりと開く。
そして、差し込まれたヴォイニッチの鍵は空中に消えた。
「みんな、入ろう」
ぼく、アサノ、リッカ、フィオナ、アイリ、ベルクの6人は迷宮の中へと入る。
するとすぐに扉は閉ざされた。
サントゥス地下迷宮はヴォイニッチの鍵をもったパーティーしか入れないシステムになっている。誰かが扉を開けっ放しにしていれば鍵は必要ない、なんていう現実的な話は通用しない。
「トーラスさんがさっき言っていたけど、クエストって今は受けられないのよね?」
閉ざされた扉を見ながらアサノはぼくに言った。
「ああ、NPCがサントゥスの家の中にいるからな。しかも窓のない家だからアサノも入ることができないだろ?」
「じゃあヴォイニッチの鍵って、今使ったもので最後ってことよね?」
「そうなるな。でも、それがどうかしたのか?」
「どうかしたのかって、気にならない? ここで私たちがしくじったら、バグ・ノートリアスを倒す人がいなくなる。そうなれば、バグ・ノートリアスにやられたら私たちは永遠にフリーズし続けるし、残った人たちは永遠にこの世界から出ることができなくなるわよ。
それってリセットの効かない、一度きりのゲームオーバーよ」
ゲームオーバー。
オンラインゲームでは意外と出てこない単語が、このタイミングで出てきた。
そのことにぼくは、一瞬だけ悪寒が走った。
「え、なにそれ? 先に言ってよ。そんなことなら、アイリを連れてくるんじゃなかった」
アサノの囁きを聞いたフィオナが、露骨に嫌そうな顔をしながら言った。
「先に言ってよって言われても、私もさっき気付いたばかりよ。それに、心配するのなら姉であるフィオナが先に気付くべきなんじゃないかしら?
アイリちゃんもそう思うでしょう?」
アサノは口調も表情もガラリと変えて、やさしい笑顔をアイリに向けた。
しかしアイリは、アサノの言うことに小首を傾げた。
「んー……でも、アイリはお姉ちゃんと離れ離れになるのが嫌だから、こわくても一緒についていくよ?」
「さすが私の妹だわっ! 姉思いの良い子ね」
「えへへ……」
フィオナはアイリの頭をなでる。
その横でアサノはむすっとした表情になって、不満を露わにしていた。
地下迷宮から出ることはできるよ、とぼくは言いたくなったけど、バグラーと戦えるフィオナも一緒に出ていかれては困るので、ぼくはそのことを黙っておいた。
そのことを教えるのは、逃げる必要が出てからでもいいはずだ。
ぼくたちは雑魚たちと戦いながら、地下迷宮の深部へと歩みを進めた。
位置の変わった地下迷宮は、本来あるはずのない地面が現れ行き止まりとなったり、逆に本来あるべき通路が消えて底の見えない大穴が現れていたりと、迷宮らしさが増していた。
地中深くにあった迷宮が上昇したことで、地表と同じ高さになり重なりあってしまったのだ。
ただ、幸いなことにトラウム城の時のような苦労をすることなく、ぼくたちは地下迷宮の最深部にたどり着くことができた。
「この奥に、バグ・ノートリアスがいるのよね」
リッカが静かに言う。
目の前には巨大でさびれた扉があった。いかにも扉の向こうに何かがいそうな、そんな雰囲気が漂っている。
「間違いなくいるだろうな。……みんな、準備はいいか?」
準備と言っても、地下迷宮にいる雑魚にHPが削られることはまずなかった。
そもそも雑魚はぼくが全部一撃で蹴散らしていたから、地下迷宮に入る前と今とで変わったことは、雑魚が落とすアイテムを手に入れたぐらいだった。
「準備はオッケーよ。開けよう」
アサノがそう言って、扉に手をかけた。重そうな扉だったので、慌ててぼくも手伝うような形で、扉に手をかけて一緒に押した。
地下迷宮の入り口より錆びれたその扉は、その古びた見かけによらず滑らかに動いた。
中はドーム状の大きな部屋になっていた。天井は高く、そして洞窟の狭い入り口からは想像もできないほど奥行があった。
いかにも強敵と戦うためだけに作られた部屋だった。
「バグ・ノートリアスはどこ?」
アサノはきょろきょろと辺りを見渡す。
アサノの行動につられて、みんなも部屋の中央を目指しながら辺りを見渡した。
すると、
「ひぃっ!」
リッカが小さく悲鳴をあげた。
そしてリッカの視線の先にあるものを見て、アリサが次に悲鳴をあげた。
ぼくは悲鳴をあげなかったけれど、リッカたちの視線の先にあるものを見て、驚き後ろに一歩下がってしまった。
そこには人がいた。4人。
しかも全員、剣を振りおろしたり、盾で身を守ったりと、行動の途中で固まっていた。
ぼくはトーラスの『敵の攻撃を受けて何人かがフリーズした』という言葉を思い出した。
たぶん、その4人だ。
「これってバグ・ノートリアスのせい……だよね?」
リッカが震えた声で言い、ぼくはその声にうなずいた。
「でもバグ・ノートリアスはいないわよ。どういうことよ?」
フィオナが言った。強気に声を荒げながらも、震えが隠しきれてはいなかった。
ただ、確かにフィオナの言う通り、バグ・ノートリアスはどこにもいなかった。
広いドーム状の部屋は、ぼくたちの声と足音を反響させているだけだ。
「特殊な部屋にいるノートリアス・モンスターは、プレイヤーが来れば必ず現れるはずなんですけどね。これはちょっとおかしいですね……」
ベルクが営業スマイルを引っ込め、真剣な顔つきで眉根に皺を寄せて言った。しかし声は震えてはおらず、明瞭な発音をしていた。
「まあ、少し待てば出てくるんじゃないか? バグ・ノートリアスなんだし、気まぐれのように出てくるかもしれないぞ」
ぼくはそう言って、片手剣・カッツバルケルと盾・バックラーを構えた。
敵はいない。
だけど敵が現れず平和な時間がずっと続くとも思えなかった。
「うーん、暇ね。どうしようかしら」
アサノはあくびをして、背伸びをした。そして広い部屋のはしに向かって歩きはじめた。
「あまり離れるなよ」
「部屋からは出ないわよ。何か落ちてないか探してくるだけ」
ようは暇つぶしなんだろう。
現実世界のように、仮想現実の世界に落とし物は存在することができない。何かを落として数時間もすれば、そのアイテムは捨てられたと判断され自然に消える。入手困難なアイテムを落とせば、自然とそのプレイヤーのアイテムボックスの中へと戻ってくる。
だからこの世界の地面は常に理想形を保っている。それはこの部屋も例外ではないはずだ。
近寄って何かが落ちている、なんていうのは特殊なダンジョンの作られた仕掛けぐらいのもの。
そのはずだった。
しかしアサノは「うわっ!」と、強気な性格に似合わない驚きの声をあげてすぐさま戻ってきた。
「どうしたっ!?」
「あのへん、なにかいるっ!」
声を荒げながらもアサノが指で示す方向に、ぼくは視線を移す。
しかしそこはただの壁だった。そして壁以外、なにもない。
「なにもいないぞ?」
「そんなはずないわよ! だって私……ほら、HPを見てよ!」
ぼくは言われるがままにアサノのHPバーを見た。
アサノのHPは、10分の1程度削りとられていた。
そのダメージが示す意味を、ぼくはすぐに察した。
姿は見えない。
だけどバグ・ノートリアスは間違いなくいる。




