現実の1秒、仮想現実の1秒
「バグ・ノートリアスは各地域に1体ずついるようです。『クォンタム』さんが戦っていたのは、トラウムのバグ・ノートリアスですね。ほかの地域ではバグラー同士がパーティーを組んで、討伐作戦をはじめているところもありますよ」
ベルクは淡々と、丸テーブルを囲って座るぼくらに現状を説明していた。
ベルクの話が長くなりそうだと思ったぼくは、フリーエリアにある『クォンタム』の建物でお茶でも飲みながら話をしませんか、と提案をしてみた。
リーダーであるポッチェも含めて、それにはみんなが賛成した。
ポッチェの趣味でギルドの建物にはバーカウンターがあったけれど、それは伊達ではなく、本当に色んな料理や飲み物を提供することができた。
もちろん料理には食材が必要だ。
だけど『リング・オブ・ファンタジア』の食材の多くは安く、山や川から調達することだって簡単にできる。そして調理も、鍋に具を入れたりフライパンに食材を乗せたりするだけで立派な料理になるので誰にでも作れる。
しかし現実に腹は膨れないし、ゲーム内で食べてもHPが少し回復するだけなので、料理は必需品ではなく嗜好品としてしか機能はしない。
ただ、ダンジョン攻略の打ち上げや、誰かを招いて一緒にお食事といった場合には、こういった料理やバーカウンターが活躍する。
いまがまさしく、料理や飲み物が大活躍している瞬間だった。
丸テーブルには野菜のつまみとポテトなど軽食が並べられ、コップにはそれぞれ色んな色の飲み物が入っていた。ぼくは迷わず、青色の炭酸水を選んだ。
だけどほとんどの人は、軽食どころか飲み物にもあまり手をつけようとはしなかった。
みんなベルクの話に耳を傾け、そして驚いてと、食べ物のことをすっかり忘れてしまっていた。
各地に奇妙なバグ・ノートリアスが1体ずついるというもの驚きだし、なによりこれからぼくらはベルクとともに世界を救うらしい。
打ち上げのように、飲み食いできるわけがなかった。
しかしアイリだけは子どもらしく、小難しい話を集中して聞くことに飽きてきたのか、ポテトを大量にたいらげ、オレンジジュースを何杯も飲んでいた。
「このバグ・ノートリアス討伐の流れにぼくも加わりたいと思ったのですが、なかなかバグラーの方に出会わなかったのです。そこで出会ったのが、バグ・ノートリアスと戦っているアサノさんとコウさんでした。しかも聞けば、フィオナさんを含めて『クォンタム』さんには3人もバグラーがいる。心強いと素直に思いました」
フィオナはちょっとだけ得意げな顔をして、「私は部外者だけどね」と訂正を入れた。
おそらく教会に来るまでに、色々と言葉を交わしていたんだろう。いちいち自己紹介をする必要もなさそうだった。
「それで『クォンタム』のメンバーと組んで、バグ・ノートリアス討伐をしたいと言うんじゃな?」
「はい」
「なるほど。じゃあ質問をするが、どうしてバグ・ノートリアスの討伐がこの世界を救うこと……つまり、世界がもとに戻ることに繋がると思うんじゃ?」
ポッチェがベルクを疑ってかかるのも当然で、ぼくも同じ気持ちだった。
ぼくたちは一度、バグ・ノートリアスを倒せばログアウトができるというガセをつかまされていた。
かつての経験が、疑心を生んでいる。
しかしそれを聞いたベルクは、同じく質問攻めにされたフィオナのように焦ったりはしなかった。
落ち着き、手元にあった赤色のジュースを一口飲んでから、ゆっくりと言った。
「確固たる証拠はありません。情報交換しあった人たち全員による、推測です」
「推測か……」
ポッチェは呆れたのかため息をついた。
「そうです、あくまで推測です。しかしバグ・ノートリアスの討伐が各地域を救っているのは確かです。それはトラウムも例外ではありませんでした。それが世界的に行われると、世界中のバグが治る。世界中のバグが治ると、ぼくらはログアウトができるようになる……という流れは自然に想像できませんか?」
「それは、私のバグラーとしての能力も消えるってこと?」
唐突にアサノはベルクに対し、質問をした。
「そうですね。世界中のバグが消えるということは、バグラーの能力も消えるはずで」
ポッチェとの会話を割り込まれたというのに、笑顔をゆがませることなくベルクは言った。
しかしアサノの表情は、ベルクの笑顔がまぶしく見えるほど、暗く落ち込んだ。
ログアウトしたい気持ちとは別に、バグラーとして飛び回ることが思いのほか楽しかったのかもしれない。
「じゃがベルクさん、すべては推測じゃろ? 私はこれ以上、推測に振り回されるのはゴメンじゃ。それにフリーズなんて二度となりたくない。みんなもそうじゃろ?」
話の主導権を取り戻したポッチェは、みんなに同意を求める視線を送った。
だけど誰もはっきりとうなずかず、力なく頭をたれるだけだった。
確かにフリーズは二度となりたくなかった。
だけどぼくはポッチェのように消極的にはなれそうにない。
そんなポッチェの頑なな態度に、少しイライラでもつのらせたのか、ベルクは明らかに声を荒げて言った。
「でしたらポッチェさんは、このまま何もしなくていいんですか? 何もしないと、何も起こらないですよ」
「何もって……運営がいつか解決してくれるじゃろう」
「これも情報交換しあった人たちの結論なんですが」
「また情報交換しあった人たちか……で?」
「まあ、その人たちは気のいい友人たちですよ。で、その友人たちの話なのですが、運営が何とかしてくれる可能性には、もう頼れません」
「頼れない? ほほう、言い切るな。それはどういう理由か、ぜひ聞かせてくれ」
ポッチェはそう言うと、ジョッキに入った泡立つ黄色い液体をぐいっと一気に飲んだ。
ゲームの酒で酔うことはあり得ないのに、ポッチェは酔っているように見えた。
見た目は幼女なのに、やっていることはおっさんの絡み酒だ。
でもベルクはひるむことなく、言葉を続けた。
「いいですよ。では聞きますけれど……みなさん、この中でおしっこに行きたくなった方はいませんか? 今でなくても、ここ数時間の間に行きたいなと感じた人はいませんか?」
ポッチェのケンカ腰に、場の空気が重くなりつつあったのは確かだった。
しかしベルクのこの言葉で、一気に空気が緩んだ。
というより、おかしな空気になった。
こんな時にトイレの話?
ログアウトもできないのにどうやって?
「あ……いや、長い話がはじまるフリとか変なボケとかじゃないですよ。単純に質問を投げかけているだけですから。で、どうです? 誰かトイレに行きたくなったっていう人、いませんか?」
セクハラ発言とでも感じているのか、アサノとフィオナは露骨に嫌そうな顔つきをしていた。
一方でポッチェは、余裕のある笑みをなぜか浮かべて「私はまだじゃな」と答えた。
とにかく、誰も手を挙げなかった。
それを確認したベルクは、少し深呼吸をし、落ち着いた声でこう言った。
「そうですよね、みなさんまだだと思います。でもそれっておかしくないですか?
ぼくたちはもう、ログアウトできなくなってから7時間以上は経過しているんです。我慢できる人も中にはいるかもしれませんが、7時間も経てば、普通なら誰かトイレに行きたくなるはずです。そう思いませんか?」
ぼくはそう言われて思い出す。
ゲーム開始時に出てくる、いつも聞き流していた注意事項。
『また気分が悪くなったり、一定以上の尿意が観測されたり、周囲から異音が感知されると、強制シャットダウンモードに入ります』
この強制シャットダウンはゲーム中のどの行動よりも優先される。
たとえボス戦の最中であったとしても、そこそこの尿意が観測されれば強制シャットダウンモードが開始し、ログアウトまでのカウントダウンが始まる。
現実のことを忘れてゲームに没頭するプレイヤーにとっては嫌なシステムだけど、仮想現実と現実世界は同じだけ時間が経過する。当然、お腹は減るしおしっこも行きたくなる。
そんな中、ゲームに没頭しすぎて現実で漏らしたり体調を崩したりするゲーム設計になっていたらさすがにまずいため、このシステムが当たり前のようにあらゆるゲームで導入されていた。
そして確かにこのシステムはいま、動いている気配がなかった。
「考えていなかったけど、確かに不思議だな」
ぼくは言った。
「でも、そのトイレの話と運営が助けてくれないっていう話は、何の関係があるのよ?」
フィオナはベルクに対して、つっかかるように言った。
しかしベルクは興奮気味に言葉を続けた。
「いいですか。もう一度、考えてみてください。時間がいくら経っても、トイレに行きたくならないんですよ? 随分と奇妙じゃないですか。そしてこの奇妙な現象に対して、友人の1人がこう結論づけたんです。
トイレに行きたくならないのは、現実の時間がほとんど経過していないから。
つまり、この仮想現実の時間だけが進んでいる……と」
ベルクの言葉に、全員はシンと静まった。
どう反応していいものか、ぼくにはわからなかった。
ベルクの言っていることは、あまりにも飛躍しすぎているように思えたからだ。
「いや、ありえんじゃろ……それ。現実の時間が止まって、ゲームの時間だけが進むなんてことがありえるはずがない」
ポッチェは嘲笑するわけでもなく、むしろ頭を抱えて呆れていた。
しかしそんなポッチェの様子にベルクは、うーんとうなって困った表情を見せた。
「別に現実の時間は止まっていないですよ。正確にはほとんど動いていないだけです。これはぼくの言い方が悪かったのかもしれませんね……では、こういう考えはどうでしょう?
現実の1秒は1秒として正しく存在する。これは絶対です。そしてこれまで仮想現実の1秒も現実の1秒と同じでした。
ところが今は仮想現実の時間の前提が壊れてしまっている。そのため、仮想現実の1秒が現実の1秒ではなくなってしまった。そして7時間以上たった今でも誰もトイレに行きたくならなくなった。
つまりこのことからわかるのは、現実の時間に対して、仮想現実の時間の速度がいくらか遅くなってしまったということなんです。現実の1秒が、仮想現実の7時間とか24時間とか、それぐらいにまで引き伸ばされてしまっているんです」
「そんなの、ますますありえんじゃろ」
ポッチェは語気を荒げて、イスに座りながら手を大きく広げ大袈裟に呆れて見せた。
「あの……遅くなったって言っても、現実から見た私たちの動きは……仮に動きが見えていればですけど、すごい速さで動いているってことですよね」
荒ぶるポッチェとは対照的に、リッカが静かに言った。
「そうですね。どのぐらい速いのかはいまのところわからないんですが、たぶんものすごく速いですね」
「でもそんなことってあり得るんでしょうか?」
「と言うと……?」
「このゲームの演算処理はスーパーコンピューターで計算していると聞いたことがあります。ここまでリアルな仮想現実でネットゲームをするには、膨大な量の処理能力が必要なんだろうなと思っています。でも、そこからさらにものすごく速く動くということは、それだけ処理にさらに負担がかかるってことですよね? そんなのって、このゲームのために動いているスーパーコンピューターだけでできることなんでしょうか?」
リッカは言い終えると、ふうと息をついて手元にあったジュースをぐいっと飲んだ。
隣にいたアサノは「えっ、リッカってそっち方面に詳しいの?」と質問していた。
「残念ながら、ぼくはこのゲームを作っている人じゃないから詳しくはわからないんですが、この手のゲームを作っている会社は普通、民間用にスーパーコンピューターを複数購入しています。ただ今の状況に必要なのは、膨大な処理能力を短時間、何としてでも確保することです。だからここからはあくまで、推測の話になります。
その方法は、高度なハッキング技術とネットさえ使うことができれば、色々と考えることはできます。
個人のパソコンやヘッドマウントディスプレイの未使用領域を勝手に使用することもできるでしょうし、セキュリティの甘い民間のスーパーコンピューターを勝手に使ったりすることもできるでしょう。もしハッカーがとても優秀ならば、何千億円とかけて作り出された国のスーパーコンピューターを乗っ取ることもできるかもしれません。
ただ、国のスーパーコンピューターにまで手を出さなくても、世界中に繋がったあらゆるコンピューターを使えば、普段の数万倍ぐらいの能力ぐらいはたやすく出せるとは思います。
まあ、他にも色々と方法はあるかもしれませんけど、これ以上はわかりません。
とりあえず、ゲーム時間では7時間以上ですが、現実で何時間も経っていないのは確かですよ」
だから安心してください、とでも言うかのようにベルクはヘヘっと笑い声を漏らした。
「ようは、ゲームからログアウトするには、自分たちで何とかしなければいけないっていうことだよな」
そう言ったのはアサノだった。
「そういうことです」
「じゃあもう1つ、今度は私から質問してもいいかな?」
「ええ、どうぞ」
「ベルクさん的には、犯人の思惑ってなんだと思うんだ?」
その質問は、アサノにしては異様に的を射た質問だった。
普通のバグなら、犯人はプログラムの誤作動になる。
ところがベルクの話を聞く限り、この事件の犯人は少なくともどこかに潜んでいることになる。
ベルクにとっては意外な質問だったのか、先ほどまでと違って言葉がすぐに出てこなかった。
しかし少しすると、ベルクは笑顔で「これは推測ですが」と言ったあとに、アサノの問いに答えた。
「犯人の思惑は、バグだらけのこの世界で暮らしてみたいってことですかね。
それもできるだけ長く」
仮想現実での時間経過、前話までの設定から2倍伸ばしました。
たぶん4時間は我慢できるだろうなと……。




