悪名高い魔物(ノートリアス・モンスター)
日本の多くの木々と同じく広葉樹が生い茂っている森の中は、完璧な暗闇を作り出さないゲームシステムがあるとはいえ、十分に暗かった。
それに無数の星々は葉の陰に隠れて見えなくなっていた。
「バグ1つない世界って、こんなにも心地良かったのねー」
アサノはのん気に伸びをしていた。
トラウム平原のモンスターはノートリアスをのぞいて、ほとんどが相手にならない雑魚ばかりだ。そんな雑魚モンスターはレベルの一番低いリッカでさえ、1人で簡単に倒すことができる。
ぼくもノートリアス探し自体は緊張していたけれど、今は心地の良い夜の散歩だと感じていた。
それに夜の森とはいえ、不快になる虫が1匹も出てこないのは、理想的な心地よさがあった。
現実ではまずそうはいかない。冬でもない限り、森には必ず大小様々な虫がいる。都会にいるとそのことを忘れる。
このゲームは、そんな都会の人々に合わせた理想の森を演出している。
しかし、リッカの表情は少しこわばっていた。
「どうしたの、リッカ。もしかして怖い?」
アサノの問いかけにリッカはコクリとうなずき、そしてお気に入りの幼女・ポッチェの背中をギュッとつかんだ。
「こんな時につかまれると前へ進めないんじゃが……リッカ、そんなに怖がりだったのか。仮想現実の森には別に幽霊とか出てこないんじゃがな」
「本物か偽物かはどうでもよくて……例えば、ホラー映画とかも……私、苦手なの。もう雰囲気の時点でダメになっちゃう」
「それでよく冒険ができたな」
「うん、慣れてきていたから。でも今は、バグがこわい……全然バグが見えない分、突然現れるんじゃないかって想像しちゃうの」
リッカは体を震わせた。
さすがに事情を察したポッチェは、背中の抱擁を解こうとはしなかった。
リッカがバグのことを怖がるのも無理はない。
一度、リッカはバグったトラウムの城の中に閉じ込められた。
運よく道を見つけ、そして運よくアサノがバグラーの能力に目覚めジャンプして助けたから良かったものの、どちらかが欠けているだけでも大変なことになっていた。
そしてどちらも欠けていれば、お手上げだった。
いくらでも悪い想像はできる。
バグの恐怖に関しては、このパーティーの中でリッカが一番理解している。
ぼくにはその感覚や雰囲気が、まだ想像できそうにない。
「あの辺りじゃ」
背中をリッカに抱擁されながらも、小さなほら穴をポッチェは指で示した。
ほら穴は草に紛れることなく、その大きな口をぼくらに見せつけていた。
「この辺りのほら穴はプレイヤーの休憩所としてよく使われておるが、ゲーム製作者はそのことを知った上でこのほら穴にノートリアスを配置させているんじゃ。ノートリアスが出現しないほら穴を知っていれば何ともないが、知らないプレイヤーはノートリアスの餌食になる。ゲーム製作者は結構エグいことを考えおる」
カッカッとポッチェは笑った。
「さて、あとはNMである大型ルブスを待つだけじゃ。たぶん10分もしないうちに現れるじゃろう。戦闘の準備は怠るな」
ぼくは職業・戦士として片手剣・カッツバルゲルを抜刀する。
剣のつばが美しいS字曲線をえがくこの剣がなくても、きっと勝てる力が今のぼくにはある。
だけどぼくは、ミッションのボス戦手前の時のような緊張感をもって身構えた。
今度はパーティー戦なのだから、小さくとも恐怖心に惑わされてはいけない。
そう思っていた時だった。
ふと、うしろからガサリと音が聞こえた。
「出てきた?」
アサノが音のした方を振り返る。
遅れてぼくたち全員が、アサノの視線を追いかけた。
しかしその音の発生源がノートリアスであるはずがなかった。
ノートリアスの出現場所にしては、ほら穴から離れすぎていた。
森の暗闇に紛れ込むようにしてそこにいたのは、2人分の人影だった。
「もしやノートリアス狩りか? 残念じゃがこの場所は先に占有させてもらっておる。すまないが、別の場所のノートリアスを探してくれ」
ポッチェはギルドリーダーらしく先頭に立って、2人の人影に話しかける。
ノートリアスの出現場所を先に占有した者が、戦う権利を得る。それはゲーム内の暗黙のルールだった。
しかし、人影のうちの1人は首を横に振った。
「ごめんなさい、プレイヤーさん。でも私たちが探しているのはただのノートリアスじゃないの。エリアでただ1匹しかいない、バグ・ノートリアスなの」
「バグノートリアス? なんじゃそれは」
ふふっと人影の1人が笑い声をあげる。
そのとき、木々の合間から月の光が降りてきて、2人の人影を明るく照らした。
月光に浮かび上がったのは2人の少女だった。