13
「くそっ、刃が通らねえ。どうなってんだコイツは」
「またのこぎりが一本ダメになった、おい! 新しいのこぎりを持ってきてくれ!」
警備兵の男が刃のつぶれたのこぎりを放り投げ、既に捨ててあるのこぎりにぶつかって金属音を立てた。
打ち捨てられたのこぎりの数が五を越えてから、私はのこぎりの数を数えるのを放棄した。
篝火が焚かれ即席の解体場と化した芋畑には警備兵と街の住人が何十人も屯しており、デスグリズリーの解体作業を驚きと共に見つめている。
沢山ののこぎりの犠牲の果てに、ようやっとデスグリズリーの手首が切り落とされて、皆がわあっと歓声を上げた。
切り落とされたデスグリズリーの手首が運ばれていき、別の場所で爪の取り外し作業が始まる。
顔を真っ赤にして汗をだらだらと流す解体担当の男が気をよくしたのか、豪快に上着を脱ぎ捨てた。
一番の力自慢を自称する彼の上半身は、よく発達した筋肉に覆われていて逞しい。
篭った熱が開放されて、白い湯気になった。
「うへぇ」
不愉快な私の率直な気持ちがつい口に出てしまった。
何てモノを見せるんだ。
どうせなら可愛い女の子の裸体が見たい。
暑苦しい男を見るのは冒険者ギルドだけで充分だ。
「本当にあれを一人で倒したのか……信じられん……。しかもこの大きさ、これ程までに巨大なデスグリズリーなど、始めてみるぞ……」
隣に立つ、警備兵の隊長を名乗る男が渋面で言った。
「そりゃどーも」
この問答も何度目かわからないので、至極どうでも良さそうに生返事を返してやる。
……デスグリズリーとの戦闘後、私は駆けつけた警備兵達に取り囲まれた。
警戒心をあらわにする彼らに事情を説明する事十数分。
私のような少女がデスグリズリーを一人で倒した事が信じられないようだったが、彼らを納得させるのに酷く難儀したものの何とか信じてもらった。
ドルロムの街の一大事に駆けつけて来た彼らだが、その顔色はどうにも渋い。
理由を尋ねれば、口を濁しながら彼らは大体こんな事を言った。
一介の冒険者に街を守られるようでは、警備兵の面目が立たない―――。
さもありなん、彼らの任務は名の示す通り街の安全を守る事にある。
そんな彼らが数十人も居るのに、何処の馬の骨とも知れない少女一人に街を救われたとあっては警備兵の立つ瀬がない。
彼らにも街を守護する者としての矜持がある。
現場に到着したら冒険者に先を越されてしまい無駄足でした、と領主に報告しなければならない彼らの心境はさぞ辛いものだろう。
それだけでない、少女一人に負ける警備兵集団と烙印を押されれば街人からの印象も悪くなるだろう。
なので、私は助け舟を出してやった。
私としては、デスグリズリーの肝さえ取れれば問題がないので、デスグリズリーの討伐は私と警備兵が共同で行った物としてはどうかと提案したのだ。
こうすれば彼らの面目も一応は立つ。
正直、デスグリズリーの単騎討伐という輝かしい実績を独り占めしたい気持ちもある。
だからと言って彼らを放置するのも忍びなかったし、ここで彼らに恩を売っておくのも悪くないかなという打算もあった。
冒険者と王国に連なる兵達との間には大きな溝がある。
その理由は知らないが、そのわだかまりを解消できる一端になればよいなと思ったのだ。
幸いにして私とデスグリズリーとの一部始終を目撃した街人は居なかったので、この話はスムーズに彼らに受け入れられた。
疲弊した肉体を休めたかった私は、肝だけは必ず頂戴すると厳命して、早々にデスグリズリーの解体作業を彼らに丸投げした。
隊長を名乗る男はどうにも、自らのプライドと警備兵全体の面目との狭間で悶々としていたようだが……。
「よしっ! 次は足だ!」
わあっ、と歓声が上がる。その声量は先ほどよりも二回りほど大きい。
周りを見てみれば、集まった街人の数がかなり増えていた。
ぼんやりと眺める解体作業は歩みが遅いものの着実に進んでいたようで、仰向けに転がされたデスグリズリーの手首は両方切り落とされている。
この分だと腹部の切開に至るまであとどれだけ時間が掛かることやら。
もう彼らに任せる事を良しとせず、自分から解体作業に加わってしまおうか。
まことに退屈極まりない。
「……ふわぁ」
篝火の熱で体がぽかぽかと温まり、眠気を誘う。
小さな欠伸をしながら思う。
それにしても、少し前までは皆恐怖して家々に引っ込んでいたというのに、身の安全が確保されたと知るやいなや、野次馬根性全開で解体作業を楽しげに見ている。
ただの街人にとっては、こんな魔物も物珍しいのだろうか。
中には酒を片手に談笑している者もいる、人死にが出たというのに不謹慎な。
一回り見回してみても、悲しんでる者は一人もいない。
―――ひとりも?
まて、まてまて、何故誰も悲しまない?
人が一人死んでいるんだぞ?
親戚類の一人も居ないのか!?
欠伸を噛み殺す。
私は警備兵の隊長に向けて尋ねた。
「ねぇ、今回の騒動で怪我人とか死んだ人ってどれぐらい居るの? 隊長さん」
彼はいぶかしげに私を見た後、考えるそぶりをしてから応えた。
「避難中に慌てて転ぶなりして怪我をした者が数名いるな」
「……じゃあ、死んだ人は?」
「いない。デスグリズリーに襲われた被害としては奇跡的だが……それがどうかしたのか?」
「――――――そんなはずっ……ううん、なんでもない」
いない? 一人も死んでいない? そんな馬鹿な!!
私は確かにあの芋畑で、デスグリズリーに喰われている被害者を見た!
「お、おい! 何処に行くんだ!?」
私を呼び止める声を無視して、私は芋畑の中心に向かった。
壊れたぼろ小屋の破片や農具の欠片、激しく掘り返された芋畑を見回す。
始めにデスグリズリーが居た場所に当たりをつけて、何度も何度も見回したがデスグリズリーが咀嚼していた人間の死体は、何処にも無かった。
死体を全て腹に収めてしまったのならばまだ分かるが、血の跡すらもない。
では、あのびちゃびちゃと音を立てて喰われていた人間の死体は、何処に消えたのか。
「……どうなってるの」
私の呟きは、街人と警備兵のざわめきにかき消された。
・
一つの謎を残したまま、夜が明けた。
朝方、ドワーフ二人組みと数人の警備兵に見送られ、私はドルロムの街を発った。
相変わらず乗り心地の悪い馬車に揺られながら、昨夜の事を反芻する。
昨夜、親切にも私の背嚢を届けてくれたドワーフ二人組みに礼をした後、私はトーキィに念のため尋ねてみるが、やはり死体云々については警備兵の隊長と同じく、居なかったと応えた。
死者は、一人も居なかったのだ。
それどころか、解体されたデスグリズリーの胃や腸からは、噛み砕かれた芋しか見つからなかったのだ。
緊張した私が死体を何かと見間違えたのか、幻覚でも見てしまったのか。
謎は深まるばかりだったが、悩んでも仕方がないのでひとまずこの件は保留にする。
デスグリズリーの肝は腐敗を防ぐ為の氷の魔石とセットで、布袋に包んでもらう。
デスグリズリーの爪や牙といった素材は、全て警備兵の連中に買い取ってもらった。
街人に対しては、私がデスグリズリーの肝だけを頂戴して残りの素材を全て辞退した形となっている。
隠し事をしているようで後ろめたい気分になるが、これも警備兵達の顔を立てるためだ。
買取に関してだが、デスグリズリーの毛皮は強力な防具の材料になり得るが、炎の付与がかけられたアイアンショートソードのせいで毛皮が殆ど燃えて使い物にならなくなっていたので買取不可。
牙や爪に至ってはせいぜい加工してナイフか装飾品にするしか使い道がないが、その質はかなり上等な物となるだろう。槍先にでも据えれば強い武器になるかもしれない。こちらはそこそこの値がついた。
デスグリズリーの素材を売り払った総額はそれなりのもので、思わぬ副収入に私の頬は緩んだのだった。
「ほんと、何だったんだろ……」
一通り記憶を遡ったところで、やはり頭に浮かぶのは消えた死体の事。
見間違いようの無い程、あれは確実に人間の腕だった筈なのだが。
恐怖のあまり幻覚を見た? 多少なりとも恐れは抱いていたが、そこまでじゃない。
只の身間違い? それこそありえない。
では一体なんだというのか?
「あーもぅ、考えてもさっぱりわかんないよ」
謎だらけで全くもって分からない。
一度ギルドに帰ったら誰かに相談してみるのもいいかもしれないな。
いつも黒い格好でフードを深く被る深淵の魔術師ダミアンなら、こういった不可思議な話への対処法に長けているかもしれない。
突き抜けるような青空の下、私は思考を止め頭の中を空っぽにして、牧歌的な風景を楽しむ事とした。
・
「いたたたた……」
痛む尻をさすりながら馬車を降りる。
一日かかったとはいえとんぼ返りで王都の第六都市に戻ってきた。
もう少し時間がかかるかと思いきや割りとあっさりに依頼が終了してしまい、少し拍子抜けだ。
いや、デスグリズリーとの戦いが楽勝だった等とは口が裂けても言うつもりはないのだが……。
かなり意気込んで準備をしていただけに、第三都市で少し奮発して購入した魔物を誘う香だとか、罠とかが無駄になってしまった。
まぁそのうち使う機会がきっと訪れるだろう。
素早く第六都市を抜けて第五都市へ向かう。
デスグリズリーの肝を入れた袋から漂う血の臭いが鬱陶しい。
先に公衆浴場に向かい、戦闘で汚れた体を清めたい所だが、そこをぐぐぐと我慢して冒険者ギルドへ進む。
多少服装や体が汚れていた所で冒険者はその事を気にも留めないし、昼過ぎの今ならギルドはまだ"朝組み"連中が居座っている頃だろう。
今のうちにデスグリズリーの肝を渡してしまい、今日こそは彼らに中級冒険者として認めてもらう。
そう思いながら冒険者ギルドの扉を開けた時、六ヶ月前にここを訪れた時に見た大きな丸いテーブルが、でん、と置かれているのが目に入った。
六ヶ月前と違うのは、"朝組み"の男たちが立たずに椅子に座っている事と、ダンの真向かいに座る人物がキャスケット帽を被った薄青の綺麗な髪を持つ女性だと言う事。
―――しまった、先に公衆浴場に行けば良かった。
「あれ? 皆集まって何してんの?」
今更引き返すわけにもいかないので、諦めて率直な疑問を口にしてみる。
「おう、レナ。お前さんにお客さんだ。こっちに来て座れ」
待ってましたとばかりに、ダンが少し気持ちの悪いにやけた笑顔で言った。
一体何事だろう、ダンのこんな表情は珍しい。
ともあれ、とりあえずデスグリズリーの肝をさっさと渡しておきたい。
「ん。デスグリズリーの肝取ってきたけど、それを預けてからでもいい? 血なまぐさくて仕方なくてさあ」
「おお、そうか! だったら先にそうしたほうがいいな、アンタも血の臭いのする中でインタビューなんかしたくねえだろ?」
「ええ、そうですね」
女性がダンに応える。
こちらを見向きもしないのでこの人が誰なのかさっぱりわからないが、何故か既視感がある。
……何処かで会ったのか? 記憶の片隅で紙切れが舞うように何処かの風景が思い起こされるが、それはするりと頭の奥深くに消えてしまう。
「うひ~疲れた疲れたっと」
デスグリズリーの肝をカウンターに預けて、一体何処の誰なのだろうかと確認する為に私は身を反転させた。
ゆっくりと歩みよると、彼女が席を立つ。
……ん? うん? ううん? やはり、何処かで見た覚えがある、それもごく最近のような―――。
「始めまして、リリィ・エルノアと申します。
第一都市で新聞記者をやらせてもらっています、今回は最近有名なリナさんの事を記事にさせてもらおうかと思いはせ参じました」
―――思い出した。
昨日王都の巨大連絡通路で、甘味屋のポップを食い入るように見つめていた不思議系美少女だ。
まさか、こんな所で再び出会えるだなんて。
運命論者ではないが運命という物を信じてしまいそうになる!
あぁ、いけない、興奮してしまう、落ち着け私。
新聞記者、彼女は新聞記者だったのか、そうか……ああ、それにしても可愛い人だ、名前まで可愛い。リリィ・エルノア、ああ、いい名前だ。
始めに見かけた時と違い、今は知的な雰囲気を纏っている、笑顔が美しい。
ええと、後は何だ? 私のことが最近有名だって? それは全く知らなかった。
確かに色々と冒険者の地位向上を図るために、積極的に活動した覚えはあるがどうやらそれが実を結んでいたのか。
正直に言おう、かなり嬉しい。
これらを一瞬で思考した私は、ごく自然に自己紹介をした。
「―――へぇ、そうなんだ! 私はレナ・ナナセ、気軽にレナって呼んでくれればいいよ。
うわぁそっかぁ取材かぁ、えへへ、今まで実感なかったけど有名になったって感じでうれしいなぁ」
何日も続けた"仮想結界"のトレーニングが功を成した。
確実に昔の私ならこの時点でボロを出して気持ちの悪い笑みを全開にしてしまっただろう。だが、今は違う。
恥ずかしげに後頭部を掻きはにかむ私の表情と口調は、完璧だ。
綻びなど一つもない!
私はこほんと軽く咳をして改めて彼女に向き直り、何度も何度も練習した今生で間違いなく一番の極上の微笑をリリィに見せてあげた。
「よろしくね、リリィさん」
決まった。
これ以上ないぐらいの会心の一撃だ。
人付き合いの一歩は笑顔から。
これで魔法使いのアナベルさんとも仲良くなれたのだ、効果の程は実証済みだ。
「………………っ」
だが、どうやらリリィの様子がおかしい。
会心の笑顔の反応が感じられず不安になり、声をかけてみる。
「……? どしたの? リリィさん」
すると彼女は少し慌てた様子で応えた。
「…………ぃぇっ、なんでもありません、その、よろしく、お願いします、レナさん」
しゅばっと差し出された彼女の柔らかそうな右手。
握手を求めている、と言う解釈でいいのだろうか?
何にせよ笑顔の効果は上々と見てよさそうだ。
私は彼女に応じて、差し出されたその手を優しく握った。
「うん、よろしく!」
思ったとおりの柔らかさだ。叶うならこの手を何時間でもふにふにしていたくなる。
頬の筋肉がつりあがりそうになる。
手から伝わる体温が心地いい。……のだが、やけに熱い。
よく見れば、どうにもリリィの顔が赤みを増して目がぐるぐると回っているように見えるのだが。
「わ、わ、わた、わ」
リリィが餌をねだる魚のように、ぱくぱくと口を動かして言葉にならない言葉で何かを喋った。
そして。
「きゅう」
可愛らしい声を最後に、彼女は崩れ落ちるようにして気を失ってしまった。
「ちょっ、リリィさん!?」
「お、おい! 治癒術使える奴呼んで来い今すぐに! あと水と氷もだ! 早くしろ!」
な、何故に気絶をした!?
いやそれどころではない、彼女が大変だ!
早く治療を施さねばならない!
「誰か治癒術使えないの!?」
「落ち着けレナ……とマスター。ただの気絶だろうが、放っときゃ勝手に治るっつうの」
ウルフェンが興味なさげに言った。
「でも!」
「まーまーまーまー! とりあえずほら、二階にベッドがあっただろ? そこに連れて行ってやれ、後から水と氷を手配してやるから」
右腕が魔道機械式義手の剣士ギルバートが言う。
「看病は頼んだぞ、レナ」
暗殺者のジャコウ(偽名)の言葉に、私ははっとした。
「…………言われなくても!」
こんな凶悪な見た目の男たちに看病されるなんて、リリィも望んではいないだろう。
今この場で最も彼女の看病に適している人物は私意外に居ない。
だからこれは仕方のない事だ。
うんうん、仕方ない仕方ないだろう。
私は彼女の柔らかい体を背負って、ゆっくりとギルドの二階に向けて足を踏み出した。
「ひゃあ」
こんなに女性と体を密着する日が訪れようとは。
背後からふわりと香るリリィの匂いに、脳みそがくらくらする。
最っ高だ。まるで麻薬だ。匂いだけで多幸感と酩酊感に似た感覚が肉体を走る。
不謹慎だが、気絶したリリィに感謝せねばなるまい。
「レ、レナぁ、頼んだぞぉ」
ダンの情け無い言葉を背に受けながら、私はニヒルに微笑んだのだった。
そして、それが私とリリィのファーストコンタクト。
この世界で長い長い付き合いになる彼女との、初めの一日の出来事だった。




