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リリィ・エルノアの手記-2 / 2-1

 私、リリィ・エルノアが姫様の命に従ってレナと行動を共にして一ヶ月になるが、はっきり言ってレナは異常だ。

 冒険者ギルドの連中から聞いた通り、レナは才能の塊のような人物で、何をやらせてもスポンジに水をしみ込ませるが如くコツを会得してしまう。

 最低でも一年、長くて数年かかる技術(スキル)の習得もモノによっては数日で習得してしまう。

 ……百年に一人の天才、と言う形容すら生ぬるい。

 神の寵愛を授かるという事の意味。レナと過ごした一ヶ月で、私はその意味を知った。

 かつて時代を創った保持者(ユーザー)達も、彼女のような神がかった才能の持ち主だったのだろうか……。


 明日はいよいよ、レナ・ナナセの調査における、レナが保持者(ユーザー)か否かを最終的に決定づける最後の目的地、ケントラ遺跡に赴く。

 レナならば、必ずやエクスラディア姫の御目に適うだろう。

 レナの近くで過ごしてきた私だからこそ理解できる、レナはもう調べるまでもなく保持者(ユーザー)だと断定できる。


 レナが保持者(ユーザー)であると判断されれば、最早只の冒険者ではいられなくなる。

 エクスバリア王国がありとあらゆる手段を用いて、彼女を王国内に留めようとするだろう。

 見目麗しく家柄の良い貴族の男達がこぞって彼女に愛を囁くだろう。

 レナが望めば金も、名誉も、享楽も、全て湯水のように浴びられるだろう。

 もしかすれば、王家の血が流れる男と結婚する可能性もある。

 そして、レナはそれをきっと受け入れる筈だ。


 ―――けれど。


 私はレナが保持者(ユーザー)じゃない、只の優秀な冒険者であると判断されて欲しかった。

 レナが欲に溺れて、薄汚く誇りを失った一部の貴族連中のようになってほしくない。

 レナがどこか遠くに消えてしまって、レナという名の別人のレナになってほしくない。

 私は何者にも捕らわれず自由に生きるレナが、好きだから……。


・


 大陸横断列車の一室、私達にあてがわれた客室。寝台の上で静かに寝息を立てるレナが、寝返りを打った。


 時は夜半、私が点けた携帯魔力灯の小さな明かり以外光源は無く、部屋は暗い。

 私は携帯魔力灯の光が彼女の睡眠を妨げないよう、携帯魔力灯を停止させた。

 部屋が完全に暗闇に包まれる。私は備え付けの椅子に腰掛けたまま、レナを見つめ続けた。

 次第に視界が暗闇に慣れて、再びレナの形が認識出来るようになる。

 明暗の境界が曖昧な中でも、レナの寝姿は美しかった。


 寝台は二つある、私も明日の為早々に自らの寝台に入ればよかったが、そうしなかった。

 私は書きかけの手記を閉じて厳重に鍵をかけて、椅子から立ち上がりレナの元に寄った。


 静かに寝息を立てるレナを見下ろす。

 世闇の中でさえ艶やかに映える黒髪。血色のよいぷっくりとした唇。やや赤みが差した頬。上下するふくよかな胸。あどけない姿。無防備な彼女の姿。

 彼女の白い寝巻き姿が、純白のドレスに身を包む昔話のお姫様の姿と重なり合っていた。


 眠り姫みたいだね、レナ。


 私は発音せず、そう口にした。


 私は目の前の眠り姫に触れたくなった。髪を撫でたくなった、体に触れたくなった。

 私はその欲求に、躊躇せず素直に従う事にした。

 彼女なら私のせいで目覚めてしまっても、謝れば笑って許してくれるのではと根拠もなく思っていたから。

 私たち以外誰も居ないこの密室でなら、彼女がどこか遠くへ消えてしまう前に、少しの間でも彼女を独り占めできると思っていたから。


 寝台の前に跪いて、彼女の頭部に恐る恐る手を伸ばした。

 どうか起きないでと願いながら、頭部に触れる。私の願いが通じたのか、彼女は身じろぎ一つしなかった。

 ゆっくりと息を吐いて、私は彼女をとても優しく撫でた。何度も。何度も。


 しっかりと手入れの行き届いた頭髪は、最高級の絹糸のような心地よい手触りだ。

 エクスバリア王国広しといえど、滅多に見られない珍しい黒髪。

 レナのトレードマークの一つ、レナの体の一部たるそれを、私は一房手のひらで掬った。

 私は体を少し乗り出して、手に掬ったレナの髪を鼻元に慎重に手繰り寄せた。

 そして、花の香りを愉しむように、深くゆっくりとその香りを吸い込んだ。


「…………は…………ぁ」


 甘くて、蠱惑的な香りだった。レナ自身が凝縮されたエッセンスが、鼻孔を通り抜け脳を揺さぶった。

 レナの香りに包まれて、視界がチカチカと点滅した。

 天にも昇るようなその芳しさに、視界が潤んだ。

 身体と心が、じくじく、と熱を持った。


「…………レナ」


 ―――もっと、彼女の香りを愉しみたい。

 私の中に彼女が一杯になるまで、いや、一杯になっても……私は気が済むまで彼女を愉しんだ。


 一体どれだけそうしていたのか。採光の為の天窓から月の光が射した事で、私は正気を取り戻した。

 月明かりに照らされるレナはとても美しく幻想的だった。願うならその姿を気の済むまで見つめていたかったが、あまりやりすぎるとレナが起きてしまう。

 名残惜しいが、私はレナに薄布をかけなおしてあげてから、手記の回収を忘れずにして自らの寝台へ戻った。


「……お休みなさい、レナ」


 夢の世界に旅立っている彼女に聞こえるはずもないのだが、私は彼女にそう言った。

 瞼を閉じて、寝入りに掛かる。

 たっぷりと吸い込んだレナの香りが、私に安眠をもたらしてくれるだろう。


 眠りに落ちる前に、一つだけ後悔した。


 ―――口付けの一つぐらいしても、罰は当たらなかったろうに。





・next 2-1





「いっこらしょっと……」


 リリィの香りを胸いっぱいに吸い込みながら、階段を登る。

 一段一段踏み込むたびにリリィの体が揺さぶられて、私の背中に、とん、とん、と当たる。

 小ぶりだが柔らかなリリィの胸が、勢いをつけてふにゅ、ふにゅ、と背中を突っつく。

 ―――私はとうとう自らの表情をニヒルなものから下種な笑みへ変化せざるをえなくなった。

 背中に当たる胸の感触が気持ちよすぎるのがいけないのだ。リリィめ、悪い子だ。


「やくとく、やくとく……ふふふ」


 当然私の邪悪な笑みに気づく者など居ない。

 一段一段味わい深く階段を登り終えた私は仮眠室に進んだ。

 冒険者ギルドの二階にある仮眠室の扉は半開きのままだった。

 扉を体で押し開けて、足を使ってゆっくり閉める。

 幸いにして休憩中の人物は居なかった。


「……げっ」


 リリィを寝かせてあげようと思ったら幾つか並ぶベッドは手入れも適当で皺だらけで、シミが付いている物すらあった。

 空気も淀んで湿気ているような気もする。

 一体ここの管理はどうなっているんだ、いざと言う時にこんな有様でどうするんだ!

 憤懣(ふんまん)やるかたないが背に腹は変えられない。

 私は汚いベッドの中で一番綺麗で清潔そうなベッドを一つ選び、そこにリリィを優しく横たえさせた。

 ついでに締め切っていた窓も開いて換気も行う。


「さて、と」


 私はさも当然のように備え付けの丸イスをひっつかんで、リリィの隣に置いて座った。

 ベッドに横たわるリリィは、顔色もよく大事なさそうである。

 念のため額に手を当てて熱を測ってみるが、やはり平常だった。

 水と氷を手配すると言っていたギルバードが来るまで多少時間があるだろう。

 トーキィを呼んで気絶したリリィを無理やり起こしてしまってもいいが、そんな無粋な真似はしない。

 せっかくの機会なのだ、二度目といえどみすみす逃す手はない。

 私は今再びじっくりねっとりと、彼女の寝顔を楽しむ事にした。


「……ううーむ」


 ―――のだが、今日の私はいささか我慢弱かった。


「……かわいいなぁ、リリィさん」


 リリィの寝顔に視線を固定したまま呟くと、いつの間にか私の右手が彼女の寝顔に向けて伸びていた。

 慌てて左手で右手をぱしりと叩いて引っ込ませる。


「髪の毛も綺麗で、肌も柔らかそう」


 今度は左手が彼女の胸元に伸びていく。

 またも慌てて、右手で左手をぱしりと叩いて引っ込ませた。


「いい匂いだったなぁ……」


 あろう事か今度は私自身が彼女の身体に向けて身を乗り出していた。

 今度は両手で頬をぱしりと叩いて、私自身を引っ込ませた。

 ―――どうにもこうにも彼女の身体に触れてしまってから、彼女にもっと触れたい、感じたい、楽しみたいという欲求が次から次へと湧いてきて、それを制御しきれなくなっているようだ。

 先ほどは不可抗力ゆえ何も憚らずに彼女を楽しめたが、何の罪もない只の少女が気絶しているのを良い事に、悪戯にべたべたと体に触れていいわけがない。


 常識ある年長者として何か変な間違いを犯す前に、私の良心がこの場から立ち去ったほうがよいのではと訴える。

 そう思う一方で、馬鹿正直に彼女の身体をまさぐりたい匂いを嗅ぎたいもっと愛でたいと、色欲が獣のように唸り声を上げている。

 脳内で良心と色欲が睨み会うが、勢いは色欲の方にある。

 このままではそう遠くない内に私の良心は色欲に食い殺されるだろう。


 心臓の鼓動が、少し早い気がする。

 私は言い訳をするように、膝の上で手を組んだり解いたり、両手の指先を親指から小指にかけて順番にくっ付けたり離したりした。


 私とリリィがこの部屋に来て何秒何分経過しただろうか。

 私はちらりと入り口の扉を見て、その向こうの気配を探った。

 人の気配は未だ無い。

 私は軽く息を吸った。


「―――大丈夫これは医療行為だから決して悪い事じゃないただの確認行為これは看病の一環当然の行いよしよし大丈夫私は悪くない」


 早口言葉で心にも無い事を言い、穴だらけでがばがばな理論武装を行った。

 下手に我慢すると身体に悪い。私の中で色欲が軍配を上げた。


「リリィさん? 大丈夫? 起きて?」


 わざとらしくそう言いながら、リリィの頬を指でつついてみたり、頭を撫でてみたりする。

 行動は徐々にエスカレートして、太ももを触ったり、わき腹をなでたりと。

 リリィがほんの少しくすぐったそうに身じろぎしても、それを私はやめなかった。

 これは危険だ。先ほどから気持ちの悪い笑みが止まらない。


「くふ、くふふ、やわらかい……あったかい……」


 私が男なら―――いや男でなくても普通に犯罪だな、これは。

 なんて度し難い。我ながら呆れる。

 しかしスリルある行為程、人間はそれを追い求めてしまうものだ。

 私もその例に漏れず、更なるスリルとその先の快感を求めて、不可侵領域(アンタッチャブル)たる彼女の胸元に手を―――。


「―――おい、リリィちゃんの調子はどうだ? 落ちてた帽子も拾ってきたんだが……?」


 その時、私の行為を咎めるが如く仮眠室の扉が無慈悲に開かれて、ギルバートが木桶とキャスケット帽を持って部屋の中へ入ってきた。

 そして、リリィの胸に手を伸ばす怪しげな表情の私を見て固まった。


「…………」

「…………」


 これは非常にまずい。

 ギルバートはぽかんとしている。

 何てことだ、このままでは六ヶ月もの間猫を被っていた私の本性と、今まさにリリィの胸という禁じられた領域に触れようとしている私の犯罪行為が白日の下に晒されてしまう。

 嫌な汗が止まらない。

 何か、何か誤解をされる前に、いや誤解も何も見たままであるが、言い訳をしなければ。


「……レナ?」

「えっとね、その、これはね……そう! リリィさんの服がきつそうだったから! 外してあげようかと思って!」


 ……く、苦しいか。

 いや、苦しくても無理を通して道理を引っ込ませなければならない。

 私はまだ牢獄送りにはなりたくないし、何より彼女(・・)が出来ていない!


 私の言葉を受けたギルバードは懐疑的な様子で私を見た。

 そして―――何かを察したのか一旦荷物を仮眠室に備え付けの机の上に置いた。

 ……ごまかしきれなかったか。

 こうなれば最後の手段としてトーキィを呼ぶ他あるまい。

 トーキィならば記憶の消去、誤認、事実の改変ぐらいやってのけてくれるやもしれない。

 私は覚悟を決めてトーキィを呼び出そうとして。

 ……次いで放たれたギルバートの言葉に今度は私がぽかんとしてしまった。


「そうか、そうだよな、おかしいとは思ってたんだ。―――レナ、お前、男よりも女のほうが好きなんだよな?」

「……えっ?」


 別に間違ってはいないのだが、ギルバートがいきなりそんな事を言う物だから私は驚いてしまった。


「やっと謎が解けた……。どうりでレナが『いい男』揃いの俺らと共に居ながら、誰にも惚れる様子がない筈だ。なんせ初めから俺らは対象外だったって事なんだよなぁ」


 ギルバートがキザったらしく額に手を当てて、溜息をついた。

 何か聞き捨てならない、身の丈にあっていない形容表現があった気がする。


「あのー……?」


 自己完結していそうなギルバートに私が何か言おうとすると、ギルバードは手のひらをこちらに向けて制した。


「いや、何も言うな、俺はお前の理解者だ。世の中にゃあ人の趣味嗜好をとやかく言う連中も居るだろうが、俺はお前の味方だ、心配するな、レナ。この事は誰にも言わない、これは俺たちの秘密だ」


 そしてギルバートはやはりキザったらしい笑みを浮かべた。

 どうやらギルバートは、今の一瞬で私にとって非常に都合のいい想像に至ったらしい。


「あー……うん、ええと、とにかくそういう事にしてもらえる、かな……?」

「ああ。―――レナ、もし何か悩みがあったら気軽に言ってくれ、いつでも相談に乗るからな」


 そしてギルバートは、「いきなりは嫌われるぞ、程ほどにな」との言葉を残しながら私の不埒な行為をとがめる事無く去っていった。

 よくわからないが、彼は彼なりに納得したのだろう。

 流されるままだったが、何とか私は犯罪者として突き出される事なく危機を脱したのだった。


「程ほどにって」


 ……私はリリィの胸に伸ばされたままの手を、じっと見つめた。


「……ほどほどに」


 私は結局、リリィの胸に手を当てた。

 ほどほどに、揉んだ。

 柔らかかった。気持ちよかった。


 リリィはそれから数分後に、顔が真っ赤な私の前で目を覚ました。

 水と氷は無駄になって、氷は溶けた。

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