51 春の到来
規則的なリズムで遠くに流れるその音は、硬質的で少し不快だ。
意識をその音から目の前に移したが、自分はどうやら目覚めていないようだ。
目を開けると、見慣れない部屋に横になっている。
起き上がろうとしたが身体に力が入らない。しかもガクガク震える程に寒い。
仕方なしに大きく息を吐き天井を見つめた所で、パタパタという音と共に見知った女性がやって来た。
知っている顔よりだいぶふっくらして顔色も良いようだ。
「⋯⋯イ⋯ア」
声が上手く出ない。
「起きたのですね? まだ麻酔? と言うのが効いているんですって。もう少し眠っていいですよ」
手の甲を撫でられて、とても安心感が広がった。そこで意識が途切れた。
「モクレン、リカルドの状況は?」
天燈を空へ放ったベニニタスは、儀式の終了後にリカルドの意識が戻ったと報告を受けた。
昨晩、王城の医療室へリカルドは運び込まれた。
診断の結果、肋骨にはヒビが入り、他にも数カ所目立たぬ箇所に打撲痕が見つかったという。
普段は王族にしか使われない古代機械の医療機器を彼に使い、全身くまなく治療をさせた。
「外の医療ではあまりしない麻酔を使用しておりますので、強めに効いてしまっているようですね。しばらく眠れば回復するでしょう。キアラ様が付き添っておいでです」
クラーワを伴い大広間へ移動する道すがら、モクレンの報告を聞く。
ベニニタスは鷹揚に頷き「引き続き様子を見てくれ」とモクレンを下がらせた。
これから大広間で集まった元老院に向け、社交シーズンの始まりを宣言し杯を交わす。
アルドーから逐一報告を受けている『内務』、『科学』、『医療』の動向を注視しておかねばならない。
他部門は謀反の意思は無いというが、自分の目で確認せねばならないだろう。
成人前の子供たち、しかも王位を継承しない王子に頼っていては国王として立つ瀬がない。
老境にあり、以前ほどうまく立ち回れない事にベニニタスは苛立つ。
王太子はこの件に関して殆ど無関心で、王家の危機だとは微塵も感じていない。
──甘やかしすぎたか? と、自問する。
父ウェントゥスが崩御した瞬間「『国王の間』に入られよ」という声が頭の中に響いた。
導かれるようにベニニタスはその部屋に足を踏み入れた。
古代機械が並ぶ無機質な部屋の中を見渡している間、頭の中では延々と『国王の間』の使い方が男の声で語られた。
あまりの事に恐慌状態に陥ったが、一通りの説明を終えたのかしばらくすると声は収まった。
声が言う事には、大神殿から『聖女の人形』とやらが来るらしい。
説明を聞く限り父王にもいたと想像出来るが、全く見た覚えがなかった。
不思議に思ったが、崩御の知らせを受け神殿長が次の日にやって来て、真相を知った。
神殿長は長い黒髪の細身の男で、追悼の意を丁寧に表し、『戴冠の儀』の段取りと『聖女の人形』について説明を始めた。
『聖女の人形』は初代国王オルトゥスの妻、聖女ソフィアを模した古代の科学で作られた人形である。
二代目の国王から一体ずつ大神殿から供与されるもので、治世に役に立つ機能を持つものだ。
マグノリア王国は『科学を捨て、自然に生きる』を掲げている為、衆目に晒してはならない。
それは初代国王からの勅命である。
供与は『戴冠の儀』を済ませた後。
王妃もその場に立ち会う事となっているが、ベニニタスは未婚であるのでそれに当たらない。
最後に「それから」と神殿長は付け加えた。
『聖女の人形』は全部で六十四体。
ベニニタスの孫の代で終わる。
残りのおよそ百年あまり。
より良い政治体系を確立せよ、と進言された。
今では王妃クラーワによって名付けられた『モクレン』と、初めて相対した瞬間の事をベニニタスはよく覚えている。
何もかもが白く、瞳だけが赤く輝いていて、意識も全身も吸い寄せられるようだった。
頭の中でも「その女を手にしろ」と声がガンガンと響いていた。
だが、ベニニタスは害獣のスタンピードと父の逝去、事後処理に追われる時に女にかまけている暇などなかった。
神殿長はそんなベニニタスの様子に首を傾げつつ、くれぐれも将来産まれるであろう嫡男に見せてはいけないと釘を刺した。
モクレンの適切な助言はベニニタスの負担を減らし、寵愛する女というよりも宰相などより余程頼れる相手という位置に収まった。
──これほど有能な人形が、孫の代までしか無いのは痛手だ。
だと言うのに、王太子クレプスクルムは身体を動かし、直感で物事を決めようとするきらいがある。
クレプスクルムに『聖女の人形』が渡った時に上手く使いこなせるのか。
ベニニタスは不安に苛まれた。
このところ身体の調子も少しずつ悪くなっていた。
ずっと意識しないようにしていた頭の中の声が「バイタルが落ちているよ」と意味の分からない言葉を囁く。
何としても、クレプスクルムに王座を渡す前に、ジュゼッペの企みを片付けておかねばならない。
そんなベニニタスの思いを感じ取ったのか、隣を歩くクラーワが左手の指に自分の指を絡めてきた。
自分には勿体無いくらいの妻だと思う。
ほんの幼い頃から婚約者候補として、年の離れたベニニタスの支えとなるべく努力を怠らなかった。
『聖女の人形』に初めこそ不快な思いをしたのにも拘わらず、今ではベニニタス以上に上手く付き合っている。
自分が先に逝けば、また更に苦労をかけるだろう。
申し訳なさと、一途な気持ちへの愛おしさがつのる。
ベニニタスはクラーワを抱きしめた。
「何か面倒な事を考えていらっしゃるの? 体調は如何? モクレンが気にしていたわ」
「ああ、歳のせいかな。少しだるさがあるね」
「リカルドが医療室から出たら、貴方は少し診てもらったほうがいいわ」
ベニニタスは素直に頷く。
クラーワの言う事は何でも聞いておきたい。
「さ、みなが待っているわ」
クラーワがベニニタスの頬に口づける。
ベニニタスはふふ、と笑いクラーワの右手を取り、大広間へ入って行った。
きざはしを登る。
壇上から元老院の十一人と神殿長、そして王太子クレプスクルムを見遣る。
特段変わった様子はない。
それぞれがひれ伏す中、ベニニタスは右手を挙げ、今年度の始まりを宣言する。
「今年は天候も良く、天燈は無事空に舞った。みなの願いは聞き届けられただろう。さあ、今年度の始まりだ。杯を空けよ!」
一同杯を掲げ、ひと息に呑み干した。




