48 すべてはそこに
クリスがアンバーブロウ邸に到着した時、父ノアはまだ帰宅していなかった。
侍従のもとにコルデラ侯爵家の使用人から、遅くなる旨が知らされたそうだ。
ドロテと双子の対応に追われているのだろう。
二階の応接室にセーレナを誘い、部屋のあちこちに置かれたガラス工芸品を説明する。
茶の用意が整い、二人は席についた。
セーレナは自分の侍女も含めて人払いを申し出、クリスは首肯する。
「クリス様、コルデラ侯爵夫人の事を気にされているの?」
クリスは俯き、アルドーを思う。
「『聖女コンテスト』の後で、アルドー様は何かおっしゃったの?」
「⋯⋯セーレナ様からドレスをいただいたので、また着る機会があるだろうって話したんです。殿下はその時はエスコートさせて欲しい、と」
「貴女はそれは迷惑なの?」
「違います! 私は、すごく嬉しくて。⋯⋯でも、今の私は殿下にとってただ可哀想な境遇だから、構ってくれているだけなんじゃないかって。護衛を付けてくださった時も、守るって言ってくださいました。でも、やっぱり全て片付いたら⋯⋯と思うと」
「クリス様は、アルドー様をどう思っていらっしゃるの?」
「とても優しくて、⋯⋯かわいい人だと思ってます」
「んふっ。わからないでもないわね。ねえ、クリス様。アルドー様ね、今までずっと女性に興味がなくて、王妃陛下が『春の顔見せ』に出席させたの。正直わたくし、失敗すると思ってましたわ」
セーレナがちょっと意地悪そうに笑う。
「それが、『小さくて可愛らしい女の子』が気になるっておっしゃったのよ。そして貴女の名前をはっきりと教えてくださったわ」
クリスは嬉しさのあまり涙が滲んできた。口元に両手を添え、今にも涙が零れそうになる。
「ずっと本気なの。生徒会役員になった貴女の頑張りと、嫌な事があっても抗う気丈さに、以前にも増して惹かれているでしょうね。⋯⋯嘘ではないと誓いますわ」
セーレナはクリスの隣に移動し、両手を包む。
「だからこそ、貴女にお願いしたい事があります」
真摯な強い視線にクリスは気圧された。
そんな様子のクリスに、少し微笑むセーレナ。
「わたくしの側で研鑽するのよ。上位貴族の作法を全て教えます。考え方や所作。必ず必要になります。男爵位だからと蔑む者たちを圧倒させるつもりで身につけて下さい。貴女はまだ学生ですから学園の成績も落としてはなりません。三年間、生徒会に所属し続けて、人心も掌握して下さい。いいですね?」
「⋯⋯はい」
ただ側にいるだけで、アルドーに恥をかかせる事になる。
セーレナはそう言っているのだ。
クリスは強く心に刻む。
「そして、わたくしが貴女のパトロンになりますからには、相応の実績を積んで頂きます。そこで初めて第二王子、そしていずれサピエンティア公爵になる方のお相手として認められるのです。これがわたくしがお話ししたかった事です」
セーレナからパトロンの話をされた時から、いや、十歳の頃からずっと想い続けて努力してきた。
──王妃様を輝かせたい。
アルドーの為に、ではない。
王妃になるセーレナに、そして自分に誓った事だ。
「勿論です! 私は絶対にセーレナ様を輝かせるのです」
「憂いは晴れて?」セーレナは包み込むように優しく微笑む。
例えアルドーが自分に飽きたとしても、セーレナに教えを請うのは無駄にはならない。
いずれ王城に出入りするならば必要な事だ。
「はい。覚悟が決まりました」
翌日、セーレナにプレゼントのランタンを贈った。
嬉しそうに笑うセーレナはとても可愛らしかった。
生徒会役員が全員集まり、セーレナの用意したケープを羽織り、全員にランタンを配る。
連れ立って噴水広場に移動し、『リスエルン祈念』の始まりを待った。
「今日の記念に」と、アルドーから小さな紫水晶のネックレスを贈られた。
クリスは昨日晴れたと思った心がまた少し曇る。
空に闇が広がり始め、王城の聖堂の鐘が鳴った。
夕暮れの空の下、ランタンの灯りが揺れる。
クリスの目の前に、緊張しているのだろう少しこわばったアルドーの顔が近づいた。
「クリス、私は春のパーティで君を見かけた時から、ずっと君に惹かれている。出来ればずっと一緒に生きていきたいと思っている。⋯⋯君の美しい瞳に魅入られてる。君自身にも」
クリスは一瞬驚きと嬉しさに胸が締めつけられた。
「私を可哀想な娘だからそう思うのではないのですか?」
アルドーはぐっと眉間に皺を寄せ、昨夜セーレナが言った通りの何故好きなのかという言葉を、説得にも似た口調で語った。
それでも飽きられたら、と思うとどうしても躊躇してしまう。
「君の事を王族の相手として、相応しくないと言う奴が出てくるかもしれない。だから君に今以上の努力を課さねばならないだろう。それでもなお、というのは私の我儘なのは解っている」
アルドーは本気だ。
セーレナと同じ上位貴族として、王族としての目線で語っている。
──迷うのは止めよう。
アルドーと繋がれたままのクリスの手に力が入る。
その時、噴水前の人々から歓声が上がった。
「殿下、ほら見てください。王城から天燈が上がりましたよ。願いは決まりましたか?」
アルドーは空を見上げた。クリスはその横顔を仰ぎ見て告げる。
「私は決まりました。それは、⋯⋯貴方と共にいられますように」
アルドーがゆっくりとクリスに顔を向ける。
驚いた顔が可愛らしい。
クリスの唇が弧を描くと同時に、アルドーの顔が視界いっぱいに広がった。
くちびるが優しくふさがれた。




