33 フェン兄妹
「ごきげんよう! アンバーブロウ様!」
サラサラの黒髪を上下に波打たせて校門でペールが跳ねている。
隣には薄い唇が弧を描いた男子生徒が立っている。
──護衛ってこんなに目立っていいの?
クリスは面食らうが、ペールはお構いなしにクリスの手を引いた。
「こちら、私の兄上。アルドー殿下と仲良しなんですよー」
「はじめまして、フラッハ・フェンです。どうぞお見知りおきを」
一旦立ち止まり、胸に手を当てて軽く礼をする。
クリスも慌てて礼を返し、自己紹介した。
フラッハはじわじわと笑いを堪えるような表情で肩を震わせている。
「ゆうべ、殿下がっ、ソファの上でっ、もんどり打ってたのが面白くてっ。ぐふぅ」
「兄上ー、内緒ですよぅ」
──もんどり打つって何?
クリスは首を捻る。
「殿下の事、よろしくお願いしますね、アンバーブロウ嬢。では、放課後、生徒会で」
颯爽と去っていく後ろ姿を見つめながら、クリスの脳裏に疑問が浮かぶ。
「フェン様、放課後に生徒会って?」
「実は今日から兄上と私は、生徒会にお手伝いに行くことになりました!」
「えっ!?」
「クリス様、これはどういう状況なのかしら?」
放課後、生徒会室に入るなりセーレナが首を傾げる。
ペールが腕に絡まっているからだ。
「ええと⋯⋯」
その時、ドアが開きアルドーがフラッハを伴って入室して来た。
アルドーは中央に進み、室内にいる一同を見渡して口を開く。
「今日からフェン兄妹が『お披露目』の手伝いに入る。突然の事で済まないが、よろしく頼む」
八人それぞれが挨拶しあい、各自分担された作業に入った。
フェン兄妹は主に雑用に従事する。
クリスは前日の招待状の作業の続きに取り掛かり、サラサラとペンを走らせた。
ふと気付くと机の向こう側にペールが張り付いていて、じっと作業を見ていた。
「興味ありますか?」
「うちの一門は、筆をこう立てて持って字を書くの。そういうペンで書くのも面白いなって」
机の上の絵筆を手にして、ペールはインクを付けないまま文字を書いた。
クリスが筆跡を見ても何を書いているのか解らないでいると、フェンが説明を始めた。
「古代文字なの。書道というのだって」
「面白そう、今度教えて?」
「もちろん。私にもこのペンで書くのを教えて。アンバーブロウ様が綺麗にすいすい書いてるのって感動する! 楽しそう!」
二人で笑いあう。
「あらあら。楽しそうね。でも、教えてもらうのは、わたくしの方が先ですわ」
扇で口元を隠しているけれど、全開の笑顔でセーレナが割って入った。
二人で顔を上げてセーレナに目を合わせると「小さい。可愛い。可愛い。小さい」小声で呟いている。
「卒業までに教えていただきたいわ。その後は婚礼に向けて忙しくなってしまうから」
「お式はいつ頃なんですか? 『虹の蜘蛛』の原反の発注は受けていると聞いてますが」
王族の式典に着用するドレスには最高級の『虹の蜘蛛』の布地が使用される。
セーレナの場合は婚約した折に『芸術』へ発注された。
蜘蛛の飼育から糸の採取、糸を撚り布を織る。
何反も作られ、最高級の物が引き渡される。
「来年の社交シーズンの終わりに予定されているわ。だから卒業してしまうとゆっくり時間が取れないの。⋯⋯ねえ、クリス様。先だってお願いした扇の房飾りは、お式の為に作ってくださらない?」
「こ、光栄ですけれども、もう発注なさってるのでは?」
すでに発注されているのならば、今製作している職人の仕事を奪う事になってしまう。
よくよく訊いてみれば、房だけの扇とセーレナが答える。
クリスは安心して引き受けた。
クリスは作業に戻り、横でインクの乾いたカードをペールが封筒に入れ、封をした。
ペールは一枚一枚熱心に眺めてから、丁寧に封筒に入れてゆく。
「こんな綺麗なカードを貰ったら、凄く嬉しくなっちゃうなぁ」
「⋯⋯ありがとう。そう言ってもらえると私も嬉しい」
「私、体術しか得意な事が無いから、主家の娘でもちょっと肩身が狭いんだー。でもね、今回クリス様に出会えて、凄く楽しくなってるの。だからね、絶対に護るね」
真摯な瞳にクリスは圧倒された。
「でも、伯爵家の方に護られるなんて申し訳ないわ」
「アルドー様もラティオ様も爵位の事なんて気にせず、クリス様を大事にしてるじゃないですか。それだけクリス様が好きなんですよー。フワフワだしー、小さいしー、頑張り屋さんだしー、なんたって可愛いでしょー」
「えー、何ですかー? 私もそう思いますー。うふふ」
書類を運ぶ途中で横を通ったフリアが身を乗り出した。
「ねー」と二人で同意しあう。
遠くからセーレナも微笑んでいる。
いたたまれなくなって、クリスは耳まで真っ赤にした。
ペールがちゃっかりクリス呼びになっている事にも気づかずに。
その夜、アルドーのもとにフラッハに伴われて密偵が戻った。
「コルデラ侯爵夫人は先代マールム公爵と未だ繋がっている様子です。夫人の店のサロンで会っていました」
「客として来ているなら隠す必要もない⋯⋯か」
「フォンターナ夫人と不仲なのは間違いなさそうです。侯爵夫人の太客に随分話をしているようです」
いくら太客とは言え、プライベートを話すのは如何なものか。
アルドーは困惑し、フラッハと顔を見合わせる。
「元々自分がクローステール卿と結婚するはずだったが、キアラ・マリーノが横から入ってきた。だから先代マールム公爵が引き取ってくれた。と、吹聴しています」
「学園時代にはコルデラ卿は婚約していたんじゃなかったのか?」
「そのようですが⋯⋯」
コルデラ卿との婚約の前にノアと何かあったのだろうか。
アルドーはそう思案に暮れるが、コルデラ侯爵夫人の思い込みなのか何なのかは結論には至らない。
ただ、怨嗟で動いているのは間違いなさそうだと感じた。
それにしても、とアルドーは思う。
子供のうちからクリスに嫌がらせをする理由があるのか、アルドーには理解が追いつかなかった。
「⋯⋯わかった。ご苦労だった。次はマールム公爵夫人の侍女と接触してくれ。何かあった時、すぐこちらに話が通る状態にしたい。
それと、可能性は低いかも知れないが、夫人やエミリオから救援要請があれば、対応しなさい」
「承知しました」




