32 -1 クラーワと白い人形
王城に入ったばかりの頃、王妃クラーワにはどうしても気になる人がいた。
十七歳でマグノリア国王ベニニタスに嫁ぎ、王妃となってからずっと不思議に思っていた。
夫に必ず付き従うフードを目深に被った女性は誰なのか、と。
一度話しかけてみたが、ふわりと微笑むだけで何の返答もなかった。
気になりつつもそのまま過ごしていたが、その後何度も政策を王と協議しているのを見かけた。
公に出る事はない、いつも王の執務室だけに出没する。
そんな女性が常に王に従っているのを見るのは、心中穏やかではいられなかった。
国王ベニニタスは、先代が急逝したため婚約者のないまま二十一歳で即位した。
それから三年、まだ幼いエピ公爵令嬢クラーワの他に良い年回りの元老院の女子が居なかった為、婚約の運びとなった。
さらに時が経ち、ベニニタス三十二歳、クラーワ十七歳。
十五もの差があったが、即位十年目にようやく婚儀が整った。
学園も卒業まで通う事を許されず、まだ成人前だったが、後継をいち早く欲する元老院が婚礼を早めた。
しかし、ベニニタス自身がクラーワの若さで子をなすのを厭った為、成人まで待つ事となった。
「王よ、何故すぐに世継ぎの御子を、我々に見せては頂けぬのですか」
『内務』マールム公爵 ジュゼッペ・ガルシアは懇願した。
ベニニタスは不快を隠そうともせずにジュゼッペに反論した。
「本来なら『内務』の順番であったのに男子ばかりだったのを救ったのは、『農務』ではないか。
それを恨んでクラーワを壊そうとしているのではあるまいな?
例えそうなったとしても、『内務』に移ることはなかろうに。その後、マールム公爵家に子はいなかろう?」
「⋯⋯⋯」
「クラーワに手出しするのは許さんぞ。私はクラーワを大切に思うが故に、成人まで待つのだからな」
ベニニタスは大きな愛情でクラーワを包んだ。
クラーワはその頼れる深い愛に応え、お互いの思慕を深めていった。
だが、ベニニタスに常に寄り添うフードの女性を見る度、クラーワの心はザワザワと波を立てた。
ある日、クラーワはどうしても心穏やかにしていられず、思いを告げた。
「貴女は一体どなたなのです? わっ、わたくしのベニニタス様とどういった関係なのですか?」
女性は困った顔をして、口を開いたが発声できなかった。
そしてベニニタスを見て、何か小さな声で語った。
「わたくしとは話せないのですか?」
苛立ちを滲ませて言うと、女性は額づいた。
「違うんだ、クラーワ。彼女は私と神殿関係者としか話してはいけないようになっている」
その女性は大神殿から遣わされている『聖女の人形』という存在。
知識が豊富であらゆる事象の対策に優れているのだという。
その能力は大神殿によって作られ、マグノリア王国に新たな王の戴冠の儀の後に供与される決まりだ。
大抵の場合は王妃にも『聖女の人形』の存在は知らされる。
しかしベニニタスが即位した時点でまだクラーワとの婚儀はなされていなかった。
整った顔に色素の薄い白い肌に体毛、印象的な宝石のような真っ赤な瞳。
ベニニタスと同じ年だが、十は若く見える。
「神殿長からは必ず秘匿するよう念を押されている。いずれ産まれる私たちの子は特に。王家の嫡男は必ず彼女たちに傾倒してしまうのだそうだ」
「ベニニタス様も?」
「情を交わすのはそなただけだ。あれ程小さかったそなたがこんなにも美しくなって、私は本当に嬉しい。そなたが早く大人になろうと奮闘していたのを、とても愛らしいと思っていたのだよ」
ベニニタスは大きく笑い、クラーワを引き寄せそのまま額に口づけた。
頬を染めるクラーワに笑みを零し「そなたが成人するのが待ち遠しい」大きな手を頬に手を添えた。
「あの方の事は何とも思ってませんの?」
念を押すようにクラーワは腕の中でベニニタスを見返すと、もう一度額に、頬に口づけた。
「初めて会った時は確かに目を奪われた。でもあれは、そういう存在では無い。神殿長が言う通り、情報処理が上手くて意思決定に欠かせない、⋯⋯酷い言い方かもしれんが、道具の様なものだ」
「でしたらわたくし、あの方とお話したいです。貴方様と国民のためにお役に立ちたいのです」
自分が王城や元老院で軽んじられているのをクラーワは肌で感じていた。
お飾りの王妃ではなく、意志ある王妃となりたかった。
──秘匿された道具に手を貸してもらっても良いではないか。
力強くベニニタスを見上げる。
ベニニタスもクラーワの意を汲み、口の端をニヤリと上げた。
「いいだろう。神殿長を呼ぶとしよう」
召喚された神殿長は謁見の間ではなく、執務室へ通された。
長い黒髪に、切れ長の濃い茶の瞳。
マグノリア王国内では、あまり見かけない風貌。
名前もハルト・カツラギと聞き慣れない。
ベニニタスが一通り説明すると、神殿長は少し首を左に傾げた。
「お話は承りました。今代までこの様なお話を受けた事がありませんでしたので、少し不安が無いわけではありませんが、王妃陛下ご自身のご要望であれば実行させていただきます」
「初めてなのか? 私は六十二代だぞ?」
「はい。大抵は国王陛下が誰にも見せない程執着されるので⋯⋯。王妃陛下も不快に思う方が多かったと記憶しております」
確かにクラーワ自身も不快ではあった。
しかし、ベニニタスを信じる気持ちの方が大きい。
「わたくしは彼女の協力が欲しいのです。いち早く大人になるには必要な事なのです」
「すまんな、クラーワ。本来なら学園にまだ通う年だというのに、無理をさせて」
ベニニタスは神殿長の前だというのにクラーワを引き寄せて膝に乗せた。
クラーワは耳まで赤くなって身じろぎするが、ベニニタスがしっかり抱きとめて身動きができない。
クラーワが子ども扱いするな、と言いかけると、
「本当に愛おしいな」
ベニニタスに耳元で囁いた。
クラーワは嬉しさと恥ずかしさでベニニタスの胸元に顔をうずめた。
「では、大神殿での調整となります。期間は三日程いただきたいのですが、よろしいですか?」
そうして翌日、クラーワは『聖女の人形』を伴い大神殿に向かった。




