29 満たされないもの
マールム公爵夫人、サラ・ガルシアは焼き菓子が盛られた籠を手に、王城を歩み進める。
夫で王国の宰相であるマールム公爵 レオナルド・ガルシアの執務室へ。
案内を受け、部屋へ足を踏み入れる。
「エミリオと外出しましたの。お土産ですわ。皆さんと召し上がって」
レオナルドの右手に手を添え、籠を渡す。
添えた手を籠の底へ誘導し、微笑む。
レオナルドの片眉がピクリと動き、サラに微笑みを返した。
二人は当たり障りの無い会話を交わす。
レオナルドは籠の底から小さなプレートを抜き取り、袖の中に入れた。
「⋯⋯今日はありがとう。みなに配るよ」
「ええ、お願いしますね」
サラは頭を頭を下げながら数歩後ろへ下がった。
突然立ち上がったレオナルドに右手を掴まれる。
顔を上げるとレオナルドがサラの指に口づけ、絞り出すように声を出す。
「本当に⋯⋯いつもすまない。有難う」
謝るだけでは何も変わらないのよ? サラは心の中でレオナルドに告げる。
そっとレオナルドから手を離し、執務室を後にした。
サラがレオナルドに渡したのは、エミリオとの会話が録音されたカード。
『科学』がずっと昔から改良を重ねて使い続けている古代機械。
他の部門には渡していない。
マグノリア王国は科学技術を捨てた国だ。
『科学』はあえて普及させなかった。
いつか自分たちが優位に立てる時を夢見て、古代機械の技術を継承している。
そんな『科学』の密かな夢をジュゼッペは嗅ぎ取った。
「共に王家を討とう」
そう言って近づいて来た。
しかし、『科学』一門はそれに乗らなかった。
王家を廃するのと、王家に認められるのとでは全く違う。
『科学』は認められたかったのだ。
ジュゼッペは怒り、奸計をめぐらせた。
ある夜会でサラの飲み物に睡眠薬を入れた。
意識を失ったサラを休憩室でレオナルドに一晩介抱させた。
二人の間には何も起こらなかったが、夜会に出席していた者はそうは思わなかった。
ジュゼッペはサラが誘惑したと『科学』アルジャブラ伯爵に難癖をつけた。
追い込まれた『科学』はアルジャブラ伯爵の娘サラと、科学技術を『内務』に差し出さざるを得なかった。
レオナルドはジュゼッペの考えに同調していない。
だが、表立ってジュゼッペに反対はしない。
少年期に正義感から反抗して痛い目にあった。
宰相になった今でも杖を使って打ち据えられる。
キアラで学習したのか目立つ所を避けて。
レオナルドはサラと情報共有の為に『科学』の機械を欲した。
それが先程のカードと、その読み取り機だ。
サラは何をエミリオに話したのかを伝える為に録音した。
エミリオがどちらに付こうとも対処できるように。
アンバーブロウの娘の出現で流れが変わる可能性が出て来た。
実際エミリオは変わった。
サラは何もせずにいただけだった。
処分されても仕方がないが、一族郎党処分されるのは避けたい。
エミリオだけでも助けたいと願う。
サラは急ぎ、家路についた。
マールム公爵邸に着き、サラの薄手の外套を侍女が肩から滑らせる。
居間の方から大声が響いてきた。
先代公爵ジュゼッペは耳が遠くなり、以前にも増して大声で話すようになった。
相手はエミリオらしく、彼も大きな声で返答している。
「どうかなさいましたか? お義父様」
「お前には関係ないわ! いや、エミリオでは話にならん。最近邸の周りをチョロチョロしてる輩がいる。知らないか?」
サラが割って入ると、あからさまに嫌な顔をしたジュゼッペが怒鳴り散らした。
「エミリオが生徒会役員に選出されたからではないでしょうか。ねえ、エミリオ」
エミリオに叛意があるのを気取られる訳にはいかない。
チラリとエミリオを見ると意を汲んだように頷いた。
「はい。生徒会長がアルドー第二王子殿下ですので、身辺調査も致し方ないかと」
「ふん、あの本しか興味の無いボンクラか。他に誰がいる?」
──どうせもう知っているだろうに。白々しい。
サラは胸中で呟く。
エミリオがセーレナ、イシャーン、フリアと名を挙げ、最後に
「クローステール男爵令嬢、クリス・アンバーブロウ嬢です」
と告げた途端、ジュゼッペの顔が醜く歪んだ。
「あの女の娘か。エミリオではなく、その娘の件で嗅ぎまわっても大した事は分かるまいよ。とっくに知れた事だ」
重厚な組木細工のサイドテーブルに置かれていた酒の杯をあおり、ふん、と鼻を鳴らす。
「エミリオ、お前はその娘の警戒心を解いて籠絡しろ。半年程かけて構わん。こちらもその位は大人しくしていてやろう。お前に依存するくらいまで出来たら尚良い。使い道は幾らでもある」
「⋯⋯承知しました」
エミリオは深々と頭を下げた。苦渋に満ちた顔を見せまいと。
サラはエミリオに退室を促し、ジュゼッペに近づく。
「お義父様、もう一杯おあがりになられますか?」
「いらん。行く所があるのでな。あの女もお前くらい聞き分けが良ければ、王妃に取られなかったものを。ああ、忌々しい」
杯を割らんばかりにテーブルに叩きつけると、ほんの少し残っていた酒がテーブルを濡らす。
ジュゼッペは太った体を揺らし出て行った。
「義姉さん、ごめん」
ふいに背後から声がした。
長椅子に体を横たえたレオナルドの弟リカルドだ。
グッタリと放心している。
サラは公爵家に入った時から頻繁に目にしていた。
時折暴れる以外はこんな状況の方が多いくらいだ。
そのせいでラマート子爵家に長い時間置いておけない。
「義姉さん、エミリオに、ごめん、て伝えて。僕が、こんなんでごめん。キアラもアンナも⋯⋯。もう嫌だよ。ずっとずっと嫌なんだよ」
宙を見つめ、一体何を掴もうというのか右手を天井に向けて伸ばす。
一筋の涙が目から溢れ出した。
「ええ、わかったわ。ほら、泣かないで。ちゃんと伝えるわ。食事は出来る? お薬を飲まないと」
「食べたくない。砂を噛んでるみたいに味がしないんだよ」
リカルドはハンカチで顔を拭われながら弱々しく話す。
サラは必ず薬を飲ませるよう侍女に言い含めて部屋を出た。
サラは階段を登り自室へと向かう。
折り返し階段の踊り場の壁には、数年前に世を去ったジュゼッペの妻の肖像画がある。
『内務』内で結婚した大人しく従順な女性だった。
殴られる我が子をただ傍観して、反抗しそうになるサラの口を塞ぎ、ただ傅くだけ。
──この人も何かを握られていたのかしら?
ああ、本当に、どうしようもない人たち。
サラは自室のドアを後ろ手に締め、そのまま崩れ落ちた。




