21 母の行方
学園からタウンハウスまで上位貴族は所有の馬車を使う。
下位貴族にはそれが許されない。
徒歩か乗合馬車を使う。
クリスは馬車の出発時間までまだ少し時間があった。
歩調を緩め、あまり立ち入らないアスレチックフィールドへ向かう。
害獣駆除のための銃やボウガンなどの練習場がある。
生徒たちが器用に操っていた。
クリスは感心して遠目に生徒たちを見る。
横道から人影が現れた。
「アンバーブロウ嬢。少しいいかな?」
よく日焼けした顔に彫りの深い目鼻、短く整えられた癖毛の黒髪。
クリスが首が痛いと思う程に背が高い。
「ああ、失礼。ダニエレ・フォンターナだ。隣のクラスの。君の母君の義理の息子だ。あまりいい気はしないか、すまない」
突然の事で警戒したが、律儀に頭を下げる姿にクリスは少し好感を持った。
「貴方のせいじゃないでしょう?」
「ああ、でも、従兄が失礼を働いたんじゃないかと思ってさ。あの人、下位の人間と女性に態度悪いから。
先代公爵は、気に入らないと女性だろうが息子だろうが殴るんだ。そんなのを子供の頃から見せられてるからね」
ダニエレがあけすけに『内務』の内情を話す態度にクリスは少し驚く。
「あの、母がラマート子爵家に入った経緯は解りますか? 私は知らないんです。突然連れ去られてしまって」
「いや、正直俺も詳しくは知らない」
ダニエレが語るのには、母の葬儀で見た事だけだった。
マールム公爵たちと祖父が言い争っていた。
ダニエレに子爵位を継がせるが、後妻を入れる。
祖父はかなり抵抗したが、受け入れざるを得なかった。
「主家に勝てるわけないよ」
ダニエレはため息をつきながら言う。
クリスには容易に想像できた。
元老院に属する主家に楯突く者はいない。
血を分けた分家と血統そのものでは大きな隔たりがある。
主家の気分次第で潰される下位貴族など珍しくもない。
「それからふた月くらい経ってキアラさんが来た。ずっと泣いてた。でも、すぐに王城に出仕したよ。何年かうちから通ってたけど、今は王妃陛下に匿われてる」
「良かった。王妃陛下のご厚情に感謝を」
涙が頬をつたった。
クリスにとって母の情報で今日一番良いものだ。
ハンカチを取り出し涙を拭う。
ダニエレが大きな体をおたおたしながら揺らしている。
「⋯⋯さっき、エミリオに会ったよ。あいつ、知らなかったらしい。キアラさんが無理やり連れてこられたって事。
先代公爵の言う事を信じ切ってたんだろうなぁ。かなり動揺してたよ」
ダニエレは頭をガリガリ掻きながら眉を下げた。
その姿が妙に可笑しくて、クリスは口元が緩む。
「俺の祖父はさ、母を大事にしてたんだ。でも、主家に楯突くことなんて出来なくて。父は全然家にいなくて、たまに来ると大抵祖父と喧嘩してた」
「そう、おじい様もご苦労なさったのね」
「俺も祖父も初めキアラさんを誤解してた。でも、間違いだってわかった。それからは祖父にも俺にも優しくしてくれたよ」
「⋯⋯誤解?」
その時学舎で鐘が鳴った。
停車場に馬車が着く時間だ。
クリスは誤解の内容が気になるが、乗り合い馬車に乗車すると伝えた。
母の情報に感謝しつつ、ダニエレに別れを告げる。
「ああ、またな!」
手を振るダニエレに小さく振り返し、クリスは走る。
母の無事を知って、嬉しさで走らずにはいられなかった。
肩で息をしながら馬車に乗り込む。
クリスにとって八歳のあの日から始まった悲しい出来事。
まるで絡まった糸の中で、多くの人がぐちゃぐちゃに動き回っているように感じた。
自分はあまりにも子供で、何も出来ないのではないかと不安になる。
──大丈夫。きっと何か出来る。
やっぱり私が王城に上がって『王妃様を輝かす』!
夕暮れに空が赤くなる頃、タウンハウス最寄りの停車場に着いた。
咲き始めたマグノリア花の香りが風に乗り、微かに顔を撫でる。
聖女役は少し気が重いが、グラスビーズをアピールするのには良い機会だ。
気負いすぎるのはいけない、とクリスは自戒しながらも目を引くものを作ろうと決心した。
玄関ドアを抜け、出迎えた侍従が小包が届いていると告げる。
ブジェフのヤクブの工房から届いた物だ。
箱を開けるとグラスビーズが新たに何色か追加されていた。
今一番必要に思っていた白いビーズも何種類か入っている。
ヤクブが気を利かせてくれたのだろう。
マグノリアのコサージュを作るのに丁度良かった。
クリスは夕食後、待ちきれず部屋に入るなり方眼の台紙を取り出す。
マグノリアの花弁と萼の形を描く。
針にビーズを通し、一段一段糸で織り込む。
出来上がった花弁と萼を細いワイヤーで繋げばマグノリアの花が出来上がるだろう。
毎日就寝までの一刻、クリスは必ずグラスビーズに針を通すのが習慣だ。
「ふう」方眼用紙を見つめながら、クリスは小さなため息を漏らす。
「お嬢様、気乗りしないなら、早めにおやすみください」
「⋯⋯⋯そうね。ロミ。今日は疲れてるみたい」
侍女のロミはクリスより三歳上の十八歳。
ブジェフのガラス工房を取りまとめる組合長の娘だ。
行儀見習いにアンバーブロウ家のメイドになった。
年が近いということでクリス付きとなった。
クリスにとっては姉の様な存在だ。
「学園で何かございましたか?」
「⋯⋯沢山。ふふ。お父様は明日にはこちらに着くのかしら」
「そろそろお着きになっても良い頃合いですね。さ、お嬢様。ベッドにお入りください」
入学して二日だというのに、思いもしなかったような事が山程あった。
双子の意地悪の他は無難に学園生活を送れると思っていたのに、何がどうしてこうなったのか。
促されるままクリスは床に就く。
羽根枕の優しいとろりとした感触がクリスを包む。
「おやすみなさい、ロミ」
「おやすみなさいませ、お嬢様」
ランタンの灯りを絞り、ロミは静かにドアを閉めた。




