19 エミリオの述懐
生徒会室を逃げ出したエミリオはただひたすら走った。
公爵邸に帰りたくないが、あてもない。
焦燥感だけがわき上がっていた。
エミリオ・ガルシアは幼い頃から叔父のリカルド・フォンターナが嫌いだった。
いつも上品な仕立てのはずのスーツをだらしなく着崩していた。
大抵はグッタリとソファで寝ている。
かと思えば、ギラギラした笑みを浮かべて居丈高な態度をとったり。
浮き沈みが激しくて怖かった。
ラマート子爵家に婿入りして長いはずなのに、何故かマールム公爵邸に居着いていた。
エミリオが物心ついてから見かけない日がほとんど無いくらいに。
それを祖父ジュゼッペは領地経営、父レオナルドは宰相の職にそれぞれ忙しく、苦々しく思いつつ見て見ぬふりをしていた。
時折顔を見せるリカルドの妻アンナに
「お前がしっかりしないから」
と、ジュゼッペが罵声を浴びせていたのを幼いエミリオは聞いていた。
八歳の時、公爵邸はにわかに騒がしくなった。
リカルドが庭で暴れているのが自室の窓から見えた。
使用人たちに抑えられ、レオナルドが宥めていた。
「アンナがもうすぐ死ぬ!」
そう叫んでいた。
「わかったから落ち着け」
ジュゼッペが現れ左頬を殴った。
昏倒したリカルドを見下ろし、吐き捨てた。
「あの淫売のせいでこやつはおかしくなった。ああ、忌々しい」
それからふた月ほど経った頃、アンナの葬儀があった。
口の端に卑屈な笑みを浮かべたリカルドの傍らには、エミリオと同じ年頃の少年が佇んでいた。
祈りの句をそれぞれが口にしながら花を添え立ち去っていった。
だが少年は棺桶に土が盛られてもずっとそこに留まって、無表情に地面を見つめていた。
「あれはお前の従弟だ」
と、エミリオは父に言われたが、初めて見たのでピンとこなかった。
ラマート子爵パウル・フォンターナには一年に一度、『春の顔見せ』で会う機会があったが、従弟には会ったことがなかった。
墓地を出て馬車へ。
先に出た祖父と父、叔父とパウルの四人が馬車の脇で何やら揉めていた。
「後妻を迎えるだなんて、今この場で言う事ですか!?」
パウルが叫んだ。
「アンナは残念だったな。王妃直属の書記官は必ず出さねばならん。だからだ」
ジュゼッペが嗜めるも、パウルの顔から怒りは消えない。
「ならば、我が家から出さなくとも良いではないですか」
「リカルドはどっちにしろ中継ぎだ。息子に子爵位は移る。だったら後妻の一人くらい入れても良かろう? 速やかに手続きしろ」
有無を言わさずジュゼッペに言い捨てる。
パウルは拳を握りしめながら深く礼をした。
主家の者は下位の者に強く出るものなのか、とエミリオは納得した。
自分も将来、そうすべきなんだろうと心に留めた。
数日してリカルドが薄い紅色の髪の女を連れて来た。
後妻の女は憔悴した顔でずっと唇を引き結んでいた。
ジュゼッペとレオナルドに引き合わされ、女はようやく聞こえるくらいの声で話す。
ジュゼッペが平手で頬を打ち据えた。
レオナルドもリカルドも止めることなくただ見ていた。
母のサラが一瞬飛び出すかと思えたが、すぐに祖母ジネーブラに腕を捕まれた。
「お前はリカルドと婚姻し、王妃直属の書記官となれ。それ以外は許さん」
女は疑問を口にした。
そして、クローステールに帰せと願い出た。
「お前も『内務』の人間ならすべき事をしろ」
泣き崩れる女に追い打ちをかけてジュゼッペは去って行った。
レオナルドもそれに続く。
リカルドはジネーブラに向かって
「これが王城に出られるよう支度をして欲しい」
そう言って去って行った。
ジネーブラは女に駆け寄り、ハンカチで顔を拭い何か告げて客間に女を連れて行った。
サラはエミリオを見やると
「貴方はあれを見ても平気そうなのね。残念だわ。部屋に行っていなさい」
とエミリオを追い払った。
その後は年に一度の春のパーティで女を見かけたが、いつもジュゼッペに罵られ項垂れていた。
エミリオが知っているのはそんな事ばかりだ。
女がどうやって叔父を誑かしたかなど知らないし、知ろうとも思わなかった。
ジュゼッペは先代公爵。
誰よりも偉いのだからそちらが正しいのだ。
リカルドの事は嫌いだが、女たちよりきっと偉いのだろう。
エミリオはそう思う事にした。




