92 美しきひと
クリスには幼い頃からの夢がある。
『王妃様を輝かせたい』
初めは王城で働く母に会う為だった。
学園に入学し、未来の王妃、ミニュスクール公爵令嬢セーレナ・ラティオに出会った。
セーレナの凛とした姿に憧れ、さらに美しく輝かせたいと思った。
そして今は、第二王子の横に立つに相応しい女性になる為に、己の実績として全力で取り組まねばならない。
だが、それはどちらかと言うと自分の中心ではなく、それだけが心のすべてを占めるものではない。
アルドーと共に生きていきたいのは真実だ。
彼から受ける愛情と同じものを返したいと思う。
セーレナを輝かせる事と、アルドーへの想いは同じ高さ、同じ大きさでクリスの中に存在する。
母はもうすぐ自分たち家族のもとに戻ってくる。
ひとつ目のそれは、クリスの意図しない大きな流れの中で達成されてしまった。
だから、よりいっそう強く想う。
「わたくしは、セーレナ様を輝かせたい」
改めて声に、音に、気持ちを風に乗せる。
艷やかな栗色の髪に。
髪の一筋一筋が流れる白いうなじに。
青から緑へ移りゆく瞳に。
長く流麗な線を描き伸びる指に。
「わたくしは、未来の王妃様、セーレナ様を輝かせたい」
学年末の試験に不備は無い。
だが、不安は無くもない。
入学時の成績は三位だった。
教師の推薦で生徒会役員になれた。
一位は『司法』リーブラ公爵令息フィン・リヒター。
フィンは生徒会に入る事を辞退した。
二学年も辞退するとは限らない。
二位は『医療』バストン侯爵令嬢フリア・ロペス。
フリアはエミリオが生徒会長か副会長を目指すならば、自分も目指すに違いない。
どちらにも勝たなくては、堂々と生徒会役員になれないのだ。
アルドーの隣に並ぶには生徒会役員で居続けなければならないと、セーレナに厳命されている。
──負けられない。
一学年目は言語や歴史、地理、数学などの基礎学習の試験が行われる。
淑女教育の傍ら、セーレナに覚えるべき箇所は教えられている。
上位貴族の立場で覚えるべき事と、学生として覚えるべき事は必ずしも一致しない。
だが、セーレナは学生の部分から派生した事柄を、飲み込みやすいよう噛み砕いてクリスに教えた。
地理ひとつでも幾重にも広がる情報。
セーレナはクリスを飽きさせずに、緩急つけて語った。
そしてセーレナは『財務』の主家の令嬢だ。
数字にも強かった。
クリスはどちらかと言えば、感覚で物事を考えるたちだ。
少し数字に弱い部分がある。
それをセーレナは一つ一つ、解りやすく目の付け所を教えた。
数式を丸暗記するのではなく、関連性を説明した。
セーレナという存在は、努力の結晶で出来ていた。
それを惜しみなくクリスに手渡した。
この恩をどうやって返せば良いのだろう。
セーレナをどうして輝かせずにいられるだろう。
クリスは強く誓った。
──必ず、と。
学年末試験は二日にわたって行われた。
その間生徒会活動は休みだが、何故か全員揃っている。
誰が合図した訳でもないが、鍵を開けて待つアルドーのもとに集う。
クリスにはもう護衛は必要ないのだが、ペールは今でもクリスの腕に絡まる事がしばしばある。
兄のフラッハはアルドーの脚がすっかり治ったというのに、ずっと側にいる。
兄妹揃って一度護ると決めたら、ずっと離れがたくなってしまう性分のようだ。
それぞれが初日の成果を語り合い、時間が許す限り二日目の見直しをした。
学び合うその空間はとても穏やかで、温かな空間だった。
クリスはもうじきこの空間に終わりが来るかと思うと、寂寥感に苛まれた。
ふとクリスが顔を上げるとアルドーと目が合い、同じように考えていたのか少し淋しげな笑顔を見せた。
アルドーは立ち上がり、クリスのもとへ歩みを進めた。
「何か解らない事はある?」
流れるように、クリスの空いた左手に触れる。
「いいえ、セーレナ様がとても丁寧に指導して下さったので」
アルドーの手に目をやり、顔を上げるとアルドーの後ろにセーレナが音もなく佇んでいた。
「そう、彼女は教え上手だよね。本当は私などより、余程生徒会長に向いているのにね」
「自分を卑下するのはおよしになって。はい、アルドー様。勉強の邪魔をしてはいけませんわ。私たちは卒業するだけですけれど、クリス様はまだあと二年もあるんですのよ」
セーレナはアルドーを連れて席に戻り、卒業式典について話し始めた。
素敵な女性だ。と、そう改めて思う。
気後れせず強い意志を持つのに、可愛いものに目が無い。
『リスエルン祈念』の小さなランタンを贈った時に見せた、嬉しそうに目を細めた様が忘れられない。
クリスは誓いも新たにペンを走らせた。
二日の日程を終え、休日を挟んだ三日の試験休み後に、結果が貼り出された。
三学年の上位は、首席アルドー、二位セーレナ、三位フラッハといつも通りの並び。
二学年は首席がセーレナの弟ロレンツォ・ラティオ、僅差で二位エミリオ・ガルシア、三位エピ公爵令息レオン・バーレイだ。
「くそう、二位か」
エミリオは悔しそうに呟く。
フリアが隣に並び、エミリオの手を握る。
「フリアは?」
エミリオは一学年の掲示に目を向けた。
一学年は同点一位でクリス・アンバーブロウ、リーブラ公爵令息フィン・リヒター、三位フリア・ロペス。
「負けてしまいました。でも、クリス様、とても頑張ってらしたもの」
首を傾げ、エミリオを見る。
二人に遅れてやって来たクリスとアルドーは周りの歓喜に満ちた視線の中、結果を見る。
「クリス、おめでとう。よく頑張ったね」
愛おしげにクリスの手を取り、顔を覗き込む姿に周囲がさざめき合う。
アルドーの視線も周りの声もクリスには届かず、クリスはただひたすらに自分の名前を見続けた。
「まずは、ひとつ。⋯⋯わたくしは、近づきました。セーレナ様」
クリスの口からこぼれる。
目の隅にセーレナの姿を認めた。
クリスはアルドーの手を離れ、駆け寄った。
「わたくしは、貴女をきっと輝かせてみせます!」
クリスはセーレナの手をいただき、膝を折り誓った。
セーレナは慈愛に満ちた笑顔でそれを受け入れる。
「ああ、振られてしまったな⋯⋯」
アルドーは肩を竦めて笑った。




