第六話 妖艶くん。
タクシーに乗り、スタジオに向かう。
隣に座る三浦さんからは、淡いムスクの香りがした。
車内で三浦さんと彼は、撮影の軽い打ち合わせ。
その合間に、三浦さんは私にも話を振ってくれて。
蚊帳の外にしないような気配り。
会社での対応も、とても大人だった。
この前、こんな人に対して私は。
……私だけが、勝手に揺れていた。
その自分の未熟さに、頬が熱くなった。
スタジオに到着する。
中に入ると、プロのスタッフが揃っていた。
事情を察すると、小さくざわめく空気。
彼は指示に従い、更衣ブースへ向かう。
人の往来の向こうで、一度更衣ブースの幕が閉じた。
次に見えたときには、赤い衣装を纏っていて。
そこから、メイクと最終調整が始まる。
スタッフが行き交うたび、彼の姿は断片みたいにしか見えなくて。
肩越しに覗く横顔。
赤い衣装の輪郭。
途切れ途切れに目に入る、その姿。
気付けば、メガネも外されていた。
そして最後に、主役のジュエリーを身に着けた。
彼の周囲で、スタッフの動きがひと段落する。
照明が整えられ、空気が静まった。
私はただ、見つめていた。
見つめることしか、できなかった。
一瞬、息をするのも忘れていた。
「――いい。あなたにしてよかった」
三浦さんは核心めいてつぶやいた。
「……本当に大丈夫ですか、僕で。
メガネないと、周りよく見えませんし」
その少し伏せた目でさえ、絵になるほど。
彼は“完成”していた。
そこからは早かった。
三浦さんの的確な指示通り、撮影は進む。
彼は――
カメラに向ける視線、外し方、所作。
その全てが申し分なくて。
ときどき、こちらを見る気配。
そのたび少し、柔らかい表情に見えて。
メガネがなくて、視界が曖昧なはずなのに。
それだけで、胸の奥がじわりと熱を帯びる。
「いいものが撮れたわ」
最終チェックが終わり、撮影は終了。
撮影が終わっても、三浦さんは慌ただしく動いていた。
「着替えていいわよ」、彼にそう告げると、また各所へ向かう。
彼は立ち上がるが、視力のせいで足元が覚束ない。
「段差、気を付けて」
そう声をかけた時、彼はふっと笑う。
その笑顔が、いつもの彼じゃなくて。
視線の置き場を失ってしまう。
「着替えるの、手伝って」
更衣ブースに入る瞬間、手を引かれた。
――そして、今。
「ここ、職場じゃないけどさ。一応、仕事中だよ?」
「……っ」
「二人で決めたこと、忘れた顔してる」
眩暈に似た感覚。
視線の逃げ場さえない。
外のざわめきが、急に遠くなる。
背中に当たる壁の感触だけが、妙に現実的で。
「……この前三浦さんが来たとき、機嫌悪くなってたよね」
わざとらしく焦らして、溜める。
なにも言えない私に、彼の口角が上がった。
「もしかして、嫉妬してた?」
「……して……ない」
否定にならない、否定の声。
自分でも驚くほど、その声は弱々しくて。
それを聞いた彼は、目を細める。
「……ふーん?」
全部わかってるくせに。
それでも言わされている。
ずるい視線に追い詰められながら。
彼の目元に散ったビジュー。
それが妖しく煌めいた。
「……そんな顔されたら、俺の方も約束やぶりそうなんだけど」
彼の視線が、私の唇に落ちる。
そのまま、さらに距離が溶けていく。
近すぎる距離、体温が混ざり合いそうなほど。
一拍の沈黙。
「……これ、今ついたらまずいな」
彼は指で自分の唇をなぞる。
わざと、魅せつけるように。
そして挑発的な笑みのまま、彼は一歩引いた。
表情を崩さないままの、“完成品”の彼。
もうレフ板も、スポットライトもないのに。
どうしようもなく、眩暈の元だった。




