第五話 モデルくん。
「……こういうのも、好きだった?」
目の前いっぱいに広がる、綺麗な顔。
整った顔立ちに、目元に散らされたビジューが映える。
唇には、少し強めの色が乗っている。
「……ねぇ、どうなの?」
少し首を傾け、艶っぽく囁く声。
近すぎる距離。
息がかかるほど。
背中には壁の感触。
「逃げれるとこ、ないね」
熱っぽい色香。
絡みつくような視線。
メイクの香料と、"いつもの香り"が混ざっている。
境界を溶かすその甘さに、喉があがる。
目の前にいるこの人物は女性、――ではない。
どうしてこんなことに。
記憶を、たどる。
――数時間前。
いつものオフィス、いつもの仕事。
けれどその日は、少し騒がしかった。
就業開始すぐ、アポのないクライアントが来社した。
彼の担当の、あの女性。
先日の光景が頭をよぎって、少し胸の奥がざわついた。
「連絡もせずごめんなさい。急ぎなの」
「……納期は来週のはずですが」
彼女は彼を捕まえ、焦った様子で。
周囲の視線を感じながら、彼の視線が一瞬こちらをかすめる。
「とりあえず、会議室へ。そちらでお伺いします」
「ええ。それと――彼女にも、同席をお願いしたいの」
……私も?
「……何か理由があるのであれば」
「あるの。詳しくはお部屋で。――お願い」
有無を言わせない視線に、私も彼も頷くしかなかった。
この先の展開を読めないまま、彼のあとを付いていく。
会議室に入る。
彼女は私に向き合って、笑顔で。
「ジュエリーデザイナーの三浦と申します。突然ごめんなさい」
そういって差し出された名刺。
――ASTEL & ELIN 代表取締役。
――JEWELRY / BRIDAL / RING
品のある上質紙。
型押しをあしらった上品な名刺。
それは、彼女の雰囲気そのものだった。
私に名刺を渡すと、彼に向き直る。
「早速だけど、折り入ってあなたにお願いがあるの。
いつも依頼してるデザインじゃなく、“あなた自身”を借りたい」
「……どういう事でしょう?個人的な依頼、ですか?」
「ええ。単刀直入に言うわね」
通常の業務から外れた用件。
それだけで、少し場がひりつく。
「女装してモデルをしてほしい。弊社のために」
女装。
モデル。
弊社のため。
言葉の意味が繋がらない。
何から聞けばいいのかすら、分からない。
「あっ、ごめんなさい。ちょっと端折りすぎたみたい」
彼女は慌てて付け足す。
「新作ジュエリーのPRのために、キービジュアルを撮影予定だったの。
そのために今日、スタジオを押さえていたんだけど……」
彼女は、少し落胆しながら続けた。
手違いで、モデルのイメージが合わなかった。
他のモデルを手配する時間はない。
既存の女性像とは違う、中性的な人物。
そこで思いついたのが彼だった――らしい。
けれど、「なぜ彼を」は消えきらなかった。
それとなく彼の様子をうかがう。
その表情には戸惑いも、拒絶もなくて。
「……事情はわかりました。
ですが、僕はただのデザイナーですし、ご期待に添えるかどうか」
「私、宝石を扱っているでしょう?原石を見極めるのはうまいのよ」
「……上の者に、確認します」
彼女――三浦さんの圧に押されるように、彼は上司の元へ向かう。
会議室から、上司と話す彼を二人で見守っていたとき。
「彼、素敵よね」
窓越しに彼を見ながら、三浦さんが言葉を置いた。
その言葉には、熱も色もなかった。
「お似合いで、羨ましい」
一瞬、思考が止まる。
一拍遅れて意味が追いつく。
彼女はふわりと微笑んで、穏やかに続ける。
「業務外だから、御社側も立ち合いが必要でしょ。
あなたが適任だと思って」
そう言われてしまえば、断れない。
言葉を選んでいるとき、彼が戻ってきた。
「お待たせしました。上司に確認したところ……」
彼は淡々と続ける。
「三浦さんにはいつもお世話になっているので、
今回は特例的にご協力します」
「そう。助かるわ」
「ですが、条件があります。弊社の社員を一人、同行させます」
「ええ、そうなるだろうと思って。すでにお願いしてます」
三浦さんはそういうと、迷いなく私を見る。
「では、いきましょう。
タクシーを下で待たせているから」
――隙のない人だった。
先日の胸のざわめきは、
もう気にならなくなっていた。




