第四話 不穏くん。
昼の光が鈍いオフィス。窓の外には雲の層。
ガラス越しのぼやけた光が、
オフィスの白い壁に淡く滲んでいる。
マウスのクリック音。紙をめくる音。
空調の風が静かに流れて、
書類の端をふわりと揺らした。
彼は、モニターの前でいつものメガネ姿。
淡々と作業を進める指の動き。
無駄がない綺麗な所作。
いつものように。
私は自分のデスクで別の案件を進めていた。
ふと、今日の朝礼を思い出す。
淡々とした、彼の言葉を。
――午後から、外部デザイナーとの打ち合わせ。
その瞬間、曇り空の下で、
小さく、ざわめくものが胸の奥に落ちた。
少し大きめのため息が零れた。
なんだか、嫌な感じがした。
でも、きっと曇り空のせい。
そう言い聞かせていた――時だった。
「今日はわざわざありがとうございます」
彼の声。
気づけば、彼は会議室の前に立っていた。
「雨、降らなくてよかったです」
来社したクライアントを気遣う、何気ない会話。
同時に、会議室のドアが閉まる音がした。
こちら側とあちら側で線を引かれたような。
そんな音に聞こえてしまう。
ガラス越しに、柔らかな笑い声。
それは、聞き慣れない女性の声で。
会議室の窓から、モニターに向き合う彼の顔が見えた。
おそらく、スライド資料を指し示す指先。
その隣で、淡いベージュのブラウスの女性が身を寄せる。
ひとつのモニターを、二人で覗き込んでいて。
「……」
どうしても、見てしまう。
見たいわけじゃ、ないのに。
……華やかで、綺麗な人。
男性なら、きっとみんな惹かれてしまうような。
そのまましばらく、目を離せなかった。
彼は資料の端を押さえながら、何かを説明する。
彼女が笑い、彼もつられて微笑んだ。
距離が近い。
胸の奥で、何かがざらりと音を立てた。
メガネのレンズが反射して、彼の視線の奥が見えない。
その分だけ、想像が広がる。
笑い声、紙をめくる音、小さなペンのノック音。
聞こえないはずの音が、遠くで響いていた。
手元のマウスを動かしても、
意識だけが、あちらへ引きずられていた。
ふと我に返ると、
空調の音だけが、やけに耳につく。
曇り空のせい。
気分が沈む理由は、それだけ。
大丈夫、何でもない。
その筈なのに、嫌な気配は消えてくれなくて。
打ち合わせが終わった彼が、会議室から戻ってくる。
コーヒーを片手に、自分の席へ。
その途中。
私のデスクの上に積まれていた資料の端を、
無言で揃えていく。
今はそういうの、いらないのに。
彼の指先がほんの一瞬止まる。
そのまま視線がこちらに向いた。
「……なんか、機嫌悪い?」
見抜かれていた。
そう思った瞬間、余計に言葉を飲み込めなくなって。
「……さっきの女の人、誰?」
彼が、マグカップの縁を指先でなぞる。
そのまま視線が流れて。
彼の席のモニターに向けられる。
彼の視界から、私が外れた。
それだけなのに、喉の奥が乾く。
一拍の沈黙。
「……外部の、デザイナー。
ブライダル系デザインの相談」
視線はモニターのほうを向いたまま。
穏やかな声、だけど少し浮ついた声。
ほんの一瞬だけ笑ったように見えた。
その曖昧さが、胸の奥を静かにざわつかせる。
けれど、はっきり聞くのが怖くて。
結局それ以上、何も言えなかった。
午後の光が鈍くなっていく。
外の雲は低く、窓ガラスにぼやけて映る。
彼は再びモニターに向かい、
淡々とファイルを開いていた。
画面の片隅。
小さなウィンドウに、“BRIDAL DESIGN”の文字。
彼の横顔が、なぜかいつもより遠く感じる。
相変わらずの曇り空。
オフィスの明かりが、少し早く灯りはじめていた。
空はまだ、晴れそうになかった。




