第39話
「それでは皆様、どうぞこの楽しいお買い物を心ゆくまでお楽しみくださいませ〜。私はこれで失礼いたします!」
そう言い終えると、魔法使いは「ぽふっ」と音を立てて光の塊へと変わり、そのまま消えてしまった。
市場は相変わらず賑やかで、商人の呼び込みや客の値段交渉の声があちこちから聞こえてくる。
しかし——私と青野以外、この場にいる客も店員も、全員がタロットカードを模した仮面をつけていた。
素顔のままで歩いているのは、私たち二人だけ。
その違いが、どうしても胸の奥に小さな不安を残す。
けれど——
私たちはすぐに、目の前の品物へと意識を奪われた。
「完全回復薬!?」
青野が、屋台に置かれた発光する薬瓶を見つめて、思わず声を上げる。
私も引き寄せられるように歩み寄り、その場に立った。
卓上には、七色の光を放つ薬が一本。
店主は白いローブをまとい、顔にはタロットカードの仮面。そこには、背を向けた女性の姿と、その背後に座るフクロウが描かれている。
意味なんてまったく分からない私は、コメント欄に目を向けた。
[完全回復薬!?マジかよ……これ、二年前に一度だけ出たやつだぞ。あらゆる病気を治し、瀕死状態を強制的にフル回復させるって言われてて、当時70億ドルで落札されたんだぞ!]
……いくら?????
じゃあ私の“復活回数+1”って、どう計算すればいいの???
ポチは前にこれを価格に入れてなかった。そもそも算出方法が分からなかったから。
でも今の話を踏まえて考えると——
……私、超大富豪じゃない?
……でも、使い道ないんだけど。
[そのタロットは女教皇だな……でも逆位置だぞ……]
「逆位置の女教皇? それってどういう意味?」
[正位置なら“知恵”を意味する。でも逆位置は真逆だ。“愚かさ”“強欲”“視野の狭さ”“神経質”……そういう意味になる]
「愚かさ……? 『完全回復薬』の対価は“なぞなぞ三問正解”。解き明かすものなのに、どうして逆位置なの……?」
「そんなのどうでもいいでしょ!」
青野の頬は興奮でうっすら赤く染まり、目は狂気じみた光を帯びていた。
「正解できれば、この薬は私のものよ!?70億よ!?しかもドル!どんな生活できると思ってんの!?」
……私は一瞬、言葉を失う。
そして——
次の瞬間、青野の肩を掴んだ。
ぎゅっと、かなり強く。
「っ……い、痛っ……!」
「落ち着いて。さっきの魔法使い、言ってたことおかしかったでしょ。負債とか……まるで悪魔みたいだった。この場所、絶対に普通じゃない」
痛みのおかげで、青野の呼吸が少しだけ整う。
それでも、声の熱はまだ引いていなかった。
「ごめん……でも、あなたには分からない。この薬がどれだけの意味を持つか……
私、このレベルの薬作りたくて錬金術師になったの。あのオークション、見たのよ。自分もいつかこれを作れるって思えば、何度失敗しても耐えられた……!
それが今、目の前にあるのよ!?興奮しないわけないでしょ!!」
その熱量に対して、私はただ静かに、まっすぐ彼女の目を見た。
「分かるよ。夢みたいなものが、目の前に現れたときの感じ。
ポチの嗅覚モジュールを見たとき、私もそうだったから」
ほんの少し、言葉を選んでから続ける。
「でも、青野はもう十分すごい錬金術師だよ。『完全回復薬』だって、いずれ自分で作れるはず。
だから……もし間違えても、そんなに落ち込まないで」
「……」
「それに、なぞなぞって冷静じゃないと解けないでしょ?」
「……たしかに。ありがとう」
その一言で、ようやく青野は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐いた。
再び薬を見た彼女の目には、さっきのような暴走はない。
「これだけの価値のものだもの。三問とも簡単なはずがないし……それに“負債”って言葉も気になる。間違えたら、何かペナルティがあるかも」
「罰はない」
不意に、“女教皇”の仮面をつけた店主が口を開いた。
「失敗に罰則は存在しない。“負債”は黒布の屋台でのみ発生し得るものであり、取引はすべて任意だ」
「……」
「では、取引を開始するなら、なぞなぞを出す。回答は二人で行ってよい。各自一回ずつ答えられる。どちらか一人でも正解すれば成功。
両方不正解なら、挑戦権は失われる」
……え、二人で答えていいの?
ルール、緩すぎない?
むしろ不安になるんだけど。
……いや、ちょっと酒でも飲んで頭をクリアにした方がいいかも。
……でも持ってきてないし。
取りに戻って、またここに来れる保証もない。
「どうする?」青野が私を見る。
「……やってみよう。ただ、失敗しても落ち込まないでね。私、なぞなぞは本当に苦手だから……」
「うん。さっきの言葉で、ちゃんと覚悟できた」
私たちは店主に向き直る。
「お願いします」
「では——第一問」
店主の声が、急に遠くなる。
空っぽの教室みたいな空間に、反響して広がっていく。
「——緑色で、毛が生えていて、木から落ちてくるとびっくりするものは何か?」
……は?
簡単すぎない?
緑で、毛があって——それってもうアレでしょ。
だけど——
私が口を開くよりも早く。
「分かった! 毛虫よ!」
青野が自信満々に叫んだ。
店主の視線が、ゆっくりと青野に向けられる。
そして——
冷たい声が響いた。
「不正解」
「はあ!?なんで!?緑で毛があって落ちてきてびっくりするって言ったら毛虫しかないでしょ!?」
青野が食い下がる。
しかし店主はすでに、私を見ていた。
「あなたの答えは?」
「待って!」青野が悔しそうに足を踏み鳴らす。「分かった!“毛虫”じゃ範囲が広すぎたのよ!ちゃんと種類を言わなきゃ!イラガの幼虫!それが正解よ!」
店主は何も言わず、ただ私を見つめ続ける。
……青野に言われて、ちょっと自信が揺らぐ。
「ポチ……どうしよう。答え、ある?」
【……困ったらすぐAIに頼るのはやめましょう。最初の直感を信じてください】
「直感……?」
私は、深く息を吸う。
そして、顔を上げた。
「緑で、毛があって、木から落ちてくるとびっくりするもの——
私の直感の答えは——」
——
——
——
「ビリヤード台」
「ぶっ——」
青野が目の前で崩れかけた。
「は!?何それ!?
木からビリヤード台が落ちてくるわけないでしょ!?」
「正解」
「……は?????」




