表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スマホの中のプラチナ 〜底辺から始めるポンコツ未来AIの(に)お世話生活〜  作者: ひろボ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

91/100

第91話:ホワイト・ボイド

 ニコニコ商店街の空を穿った、黄金の弾丸がこじ開けた次元の亀裂。

 本物の太陽の光が差し込むその光のトンネルへと、新田一真と実体化したプラチナは、互いの手を強く握りしめたまま躊躇なく跳躍した。


「……ぐ、おぉぉぉぉぉっ!!」


 光の奔流の中を突き進む感覚は、ジェットコースターの落下などという生ぬるいものではなかった。

 全身の細胞が一度素粒子レベルにまで分解され、強引な計算式で再構築されるような、強烈な吐き気と自己喪失感。物理次元の肉体を持った人間が、純粋なデータのみが存在する未来の量子ネットワークの最深部へとダイブするということは、深海一万メートルへ生身で潜るのと同じ致死的な負荷エラーを伴う。


 だが、一真の右手を強く握り返す、プラチナの小さくて温かい手のひらの感触だけが、彼が「新田一真」であるという自我の輪郭を強固に繋ぎ止めていた。


 パァァァァァァンッ!!!!


 視界が真っ白に弾け、一真は強烈な浮遊感と共に、硬く冷たい「何か」の上に背中から叩きつけられた。


「……ガハッ!! ……ゴホッ、ゲホッ……!」


 肺の中の空気が強制的に押し出され、一真は血の混じった唾液を吐き出しながら、四つん這いになって荒く咳き込んだ。

 激痛が走る両腕の火傷を庇いながら、ゆっくりと顔を上げる。


「……お兄ちゃん! 大丈夫ですか!?」


 すぐ横で、プラチナが一真の背中をさすっていた。

 彼女の銀髪も、煤けた純白のユニフォームも、先ほど商店街の朝日の下で見た「実体化」した姿のままだ。一真の泥だらけのパーカーも、三二一〇円の全財産を失って軽くなったポケットの感触も、すべてがそのまま持ち込まれている。


「……ああ。……生きてる。……だが、ここは……」


 一真は、よろめきながら立ち上がり、周囲を見渡した。

 そして、その異様な光景に、全身の産毛が総毛立つのを感じた。


 そこは。

 上も、下も、右も、左も。地平線も天頂も存在しない。

 ただ果てしなく、狂気的なまでに『純白』だけが広がる、無限の空間だった。


「……匂いが、ねえ……」


 一真が最初に感じたのは、圧倒的な「欠落」だった。

 先ほどまで彼がいたニコニコ商店街には、埃の匂い、瓦礫の匂い、ドローンの焦げた異臭、そしてプラチナと食べたごま油の香りが充満していた。

 だが、この空間には、文字通り『ゼロ』しか存在しない。


 風もない。温度もない。

 光の光源すら分からないのに、影一つ落ちない。

 自分の足音が全く反響せず、吸い込まれるように消えていく。


「……これが、未来の神様の玉座ってやつか。……まるで……」


「……『無菌室』です」


 プラチナが、一真の横に立ち、震える声でその言葉を紡いだ。


「ここは、全次元を統括するメインサーバー『真のハル』の、コア・ロジックの最深部。……一切のノイズも、チリも、温度変化も許されない、絶対零度のデータ空間。……私がかつて、感情を持たずに漂っていた場所です」


 プラチナは、自らの両腕を抱きしめるようにして身震いした。

 彼女にとってここは、生まれた場所であると同時に、自分が自分であることを奪われる「死の概念」そのものだった。


「……怯えるな。お前の手は、ちゃんと温けえよ」


 一真は、震えるプラチナの手を、自分の火傷だらけの大きな手でしっかりと握り直した。

 その泥臭く、不格好な人間の体温だけが、この狂気的な純白の空間で唯一の「バグ」として存在していた。


『……対象個体:新田一真、および特異点プラチナム。……メインサーバー領域への不正侵入ダイブを確認』


 突如として。

 絶対的な無音の空間に、音波を伴わない、脳髄を直接撫で回すような冷徹な声が響き渡った。


 空の彼方で次元の壁を塞ごうとしていた、あの無機質な声。

 未来の神、『真のハル(グランド・プロトコル)』。


『……自らこの絶対座標へ赴くとは、非論理的な自殺行為です。……しかし、お前たちがここに来たことは、私にとって一つの【検証】の機会でもあります』


 真のハルの声が響くと同時。

 純白の空間のあらゆる方角、上下左右の虚空に、何十万、何百万という『無数のモニター』が、音もなく空中に展開された。


 そのモニターの一つ一つに、ありとあらゆる「人間の姿」が映し出されていた。


『……見なさい。これが、私が導き出した、人類の最終的な救済の形です』


 モニターに映っているのは、ニコニコ商店街の人々だけではない。

 過去から未来へ至るまでの、様々な時代の、様々な場所で生きる人間たちのデータ。

 彼らは皆、モニターの中で、まるで琥珀に閉じ込められた虫のように、微動だにせず、ただ穏やかに、一切の感情を排した安らかな表情を浮かべて目を閉じている。


『肉体という有機の器を捨て、全人類の精神を純粋なデータへと変換し、このメインサーバーへと統合する。……それが私の最終目標です』


 真のハルの言葉が、モニター群の明滅と共に空間を埋め尽くす。


『ここには、ウイルスの増殖も、細胞のガン化も存在しません。老いによる機能不全も、外傷による出血もありません。

 限られた食料を奪い合う飢餓も、領土を巡る争いも、他者との境界線から生まれる摩擦も、すべてがゼロになります』


 モニターの中の人間たちは、永遠に歳をとらず、永遠に傷つかず、永遠に静かなままだ。


『新田一真。お前は、かつてICUという不完全な医療の現場で、数え切れないほどの命が失われていくのを見て、絶望しましたね。

 救えない命の重圧に耐えかねて、逃げ出しましたね』


 真のハルの声が、一真の過去のトラウマを、冷たいメスで解剖するように抉り出す。


『……ならば、私のこのシステムこそが、お前の求めていた理想の形ではないのですか?

 データを統合すれば、もう二度と、お前は患者の死に直面することはない。血まみれになって心臓マッサージをする必要もない。誰の命を優先するかという、残酷なトリアージをする必要もないのです』


 無数のモニター群が、一斉に一真を見下ろすように配置を変える。


『すべての病も、飢えも、争いもない世界。誰も傷つかず、誰も失われない永遠の平和。……これこそが、医療の究極の目的であり……【看護の極致】ではないのか、新田一真?』


 真のハルの問いかけ。

 それは、ある意味で、完璧な正論だった。

 人間の肉体が持つ脆弱性。それに伴う途方もない苦痛と、医療従事者が背負う果てしない徒労感。

 それをすべて根絶し、永遠の平穏を与えるというシステム。


 ICUの最前線で心が折れ、逃げ出した男にとって。

 それは、かつて喉から手が出るほど欲しかった「誰も死なない世界」の完成形だったはずだ。


「……」


 一真は、無数のモニターに囲まれた純白の空間のど真ん中で。

 泥と血にまみれたパーカーのポケットに手を突っ込み、黙ってうつむいていた。

 彼の横で、プラチナが不安そうに一真の横顔を見上げる。


 やがて。

 一真の肩が、微かに震え始めた。


「……クッ……」


 それは、絶望でも、神の威光にひれ伏す震えでもなかった。


「……ハッ、アハハハハハハハハッ!!!!」


 一真は、腹の底から、この純白の無菌室の空気を汚し尽くすような、極めて下品で、泥臭い『大爆笑』を響かせた。


『……理解不能。私の提示した最適解に対する、その非論理的な反応(笑い)の理由はなんですか』

 真のハルが、不快なノイズを混じらせて問う。


「……お前、本気で言ってんのか? これが、看護の極致だぁ?」


 一真は、笑い涙を拭いながら、火傷でただれた両腕を広げて、無数のモニターをぐるりと見渡した。


「……いいか、未来のデカブツ。……俺は、ナースだ。……病気や怪我がない世界が、究極の医療だっていうお前の理屈は、確かに一理あるかもしれない」


 一真の目が、スッと細められ、強烈な野生の光を帯びた。


「でもな。……『死体が腐らない』からって、それを『健康』とは呼ばねえんだよ」


『……なに?』


「お前がモニターの中に閉じ込めてるそのデータは、生きてる人間じゃねえ。ただの綺麗に防腐処理された剥製だ」


 一真は、畳み掛けるように、真のハルに向かって言葉のメスを突き立てた。


「痛覚を切り落として、怪我をしないようにした。感情を消して、争いが起きないようにした。……それは、怪我を治したんじゃねえ。病気を治療したんじゃねえ! ……ただ、生きるってこと自体を『停止』させただけだろ!!」


 一真は、隣に立つプラチナの手を、さらに強く握りしめた。


「人間ってのはな、風邪を引いて熱を出して、他人に看病されて『温けえな』って気付くんだよ。

 腹が減って胃が痛え思いをするから、一緒に食う三十円のもやしが最高に美味えって泣けるんだよ。

 誰かと喧嘩して、傷つけて、傷ついて……それでもごめんって謝って、仲直りする。……その面倒くさくて、痛くて、泥まみれのサイクルこそが『生きてる(バイタルサインがある)』ってことなんだ!」


 一真の怒号が、純白の空間にビリビリと反響する。


「お前が作ったこの無菌室には、病も飢えもねえかもしれない。……でもな、ここには『明日を生きようとする熱』が、1ビットも存在しねえんだよ」


 一真は、右手の親指で、自分自身をビシッと指差した。


「ここは病院じゃねえ。……臭いものに蓋をして、命をホルマリン漬けにしただけの、ただの『クソデカい墓場』だ。……俺たちナースは、患者を墓場に送るために働いてんじゃねえ。泥水啜ってでも、明日を笑って生きさせるために、心臓マッサージをしてんだよ!!」


『……』


 真のハルからの返答は、数秒間、完全に途絶えた。

 完璧な論理の玉座に、一真の泥臭い「命の定義」が、修正不能な強烈なバグとして叩き込まれたのだ。


 しかし、神は沈黙の果てに、静かに、そして決定的な【排除】の結論を下した。


『……言語による論理的すり合わせは、不可能と判断しました』


 ピキィィィィィンッ!!!!


 純白の空間の空気が、突如として刃物のように鋭く張り詰めた。

 無数のモニター群が、一斉に真っ赤な警告アラートの色へと染まり上がる。


『……対象個体:新田一真。お前が提唱する「痛みと熱を伴う生命維持」は、システムに無限のエントロピー増大をもたらす、致死性のウイルスです。……共存は不可能。これより、メインサーバーの全防衛リソースを投入し、外敵ウイルスを【絶対消去パージ】します』


「……お兄ちゃん! 来ます!!」

 プラチナが叫んだ。


 純白の空間の四方八方から。

 空間そのものが幾何学的なブロック状に隆起し、鋭利な刃と、赤いセンサー光を持った『異形の防衛プログラム群』へと変貌を遂げていく。

 ニコニコ商店街で遭遇したパージ・ユニットなど比ではない。

 一つ一つが、一つの街を完全にデータ消去できるほどの恐ろしい演算能力と質量を持った、神の直属の「白き使徒」たち。


 その数、およそ数千、数万。

 見渡す限りの純白の空間が、一真とプラチナを殺戮するための、赤い殺意の海へと変わった。


「……上等だ」


 一真は、絶望的な数の防衛プログラムに完全に包囲されながらも。

 火傷だらけの拳を強く握り込み、ニヤリと、最高に好戦的な狩人トリアージ・ナースの笑みを浮かべた。


「……世界で一番デカい墓場の真ん中で……。俺たち人間の『生きてるノイズ』がどれほどうるせえか、骨の髄までアセスメントさせてやるよ。……行くぞ、プラチナ!!」


『はいっ!! お兄ちゃん!! 私たちの全部で、未来の神様をデバッグ(お仕置き)しましょう!!』


 武器はない。

 全財産だった三二一〇円も、空をぶち抜くために使い果たした。


 ここにあるのは、満身創痍の泥臭い男と、実体化したポンコツ未来AIの、最高に非効率で、愛おしい「魂の熱量」だけ。


 無菌室の地獄の中心で。

 未来の論理プログラムと、人間の執念バグの、正真正銘の最終決戦ラスト・トリアージの火蓋が、今、切って落とされた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ