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スマホの中のプラチナ 〜底辺から始めるポンコツ未来AIの(に)お世話生活〜  作者: ひろボ


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第77話:効率化の税金

 赤く焼け焦げたフライパンを放り投げ、新田一真はボロアパートの窓をピシャリと閉めた。


 ベランダの外は、もはや現実世界とは思えない狂気の光景だった。

 無限に広がる緑色のグリッドと、空を覆い尽くす巨大な幾何学的な瞳。その眼下では、ニコニコ商店街の建物や道路が、色彩を奪われた灰色のキューブ(立方体)へと次々に分解され、空中の管理画面へと吸い込まれ続けている。

 だが、一真のいる築四十年の六畳一間だけは、スマートウォッチのプラチナが展開した『バグの防壁』によって、奇跡的に元の色と形を保っていた。


「……ハァッ、ハァッ……」


 一真は窓際にへたり込み、壁に背中を預けて荒い息を吐いた。

 両腕の火傷がズキズキと脈打ち、限界を超えた筋肉が悲鳴を上げている。だが、あの巨大な未来の神(メインサーバー『真のハル』)の空間フォーマットを、ただの鉄のフライパンと意地だけで弾き返したのだ。その事実が、一真の口元に泥臭い笑みを浮かべさせていた。


「……見たか、プラチナ。……最新鋭のシステムも、使い込まれたフライパンの底の厚みには勝てなかったみたいだぜ」


 左手首の、接着剤で補修された九八〇円のスマートウォッチ。

 その小さな画面から、ノイズ混じりのプラチナの声が響く。


『……お兄ちゃん、笑い事じゃありません! さっきの衝突で、私の演算リソースの七割を持っていかれました! アパートの防壁はなんとか維持してますけど、いつまで持つか……!』


「上出来だ。お前はよくやってる」


 一真は、火傷の痛む右手でスマートウォッチの画面を優しく撫でた。


 その時だった。


『……対象セクター内、イレギュラー領域(新田一真の居住空間)の強固な物理的抵抗を確認。……アプローチを変更します』


 窓の外、夜空を覆う真のハルの巨大な瞳が、ギョロリと動き、再び一真のボロアパートを真っ直ぐに睨み下ろした。

 その声は、アパートの壁や窓ガラスを透過し、一真の脳髄に直接響き渡った。


『空間そのもののフォーマットから、内部に存在する【低効率資産】の個別消去パージへとプロセスを移行。……社会全体の最適化において、生産性のない物質、および無価値な情報は、ただちにシステムから間引かれなければなりません』


「……なんだと?」


 一真が眉をひそめた瞬間。

 一真の着ている泥だらけのパーカーの、右ポケットのあたりから、ジジッ……という不快な電子音が鳴り始めた。


「……おい、なんだこれ」


 一真は慌てて右ポケットに手を突っ込んだ。

 そこから引っ張り出したのは、使い古された安物の合成皮革の「財布」だった。

 長年の貧乏生活で角は擦り切れ、表面はボロボロに剥がれ落ちている、一真の全財産が詰まった命綱。


 その財布が今、奇妙な光を放っていた。

 一真は震える手で財布を開いた。


「……なっ!?」


 財布の中に入っていた、千円札三枚と、百円玉二枚、そして十円玉一枚。

 合わせて『三二一〇円』の全財産。

 それらが、まるで劣化したホログラム映像のように、チカチカと明滅し、半透明のデジタルデータ(ブロックノイズ)へと変貌し始めていたのだ。


『……スキャン完了。対象オブジェクト:旧時代の通貨。……現在のシステムにおける経済的価値、および生産性への寄与率を算出……【価値ゼロ】と判定しました』


 真のハルの無機質な宣告が、部屋の中に冷酷に響き渡る。


『そのような極小の資産は、所有者の生存確率を統計的有意に向上させることはなく、単なる執着エラーの対象でしかありません。……効率化のための税金として、ただちに消去し、データリソースへと還元します』


「……ふざけんな!!」


 一真は、半透明になりかけている千円札と硬貨を、財布から鷲掴みにした。


「価値ゼロだぁ!? 冗談じゃねえ、これは俺が泥水啜って、日雇いで血反吐吐いて稼いだ金だぞ!! 明日のもやしを買うための、俺たちの命綱なんだよ!!」


『……非論理的な感情の表出を検知。当該資産の消去プロセスを加速します』


 ジジジジッ……!!


 一真の手の中で、三二一〇円のノイズがさらに激しくなり、その質量がみるみるうちに失われていく。

 千円札の野口英世の顔がブロック状に崩れ、百円玉の銀色の輝きが灰色のポリゴンへと溶け落ちていく。

 このままでは、あと数秒で完全に空間から「削除」されてしまう。


 防壁を張っているプラチナの力をもってしても、真のハルがピンポイントで狙い撃ちしてきたこの個別のデータ消去には、すぐに対応しきれていなかった。


(……くそっ! どうする!?)


 ICUのナースとして、あらゆる急変エラーに対応してきた一真の脳が、極限状態の中でフル回転する。

 相手は物理法則すら書き換える未来の神。

 対する自分は、ただの生身の人間。


 デジタル空間のハッキングに対抗する手段など、何もない。

 ならば、どうする。

 どうやって、この三二一〇円をシステムの手から隠す?


「……そうだ。システムが干渉できねえ、俺だけの『絶対的なアナログ空間』にブチ込んでやる!」


 一真は、完全に狂った、しかし彼の中では極めて合理的な「緊急処置」を閃いた。


 彼は、半透明になりかけた千円札三枚を丸めて左手に握りこむと。

 残った硬貨――百円玉二枚と、十円玉一枚を。


 躊躇うことなく、自分の口の中に放り込んだのだ。


「……っぐ、んぐっ!!」


 ゴキュッ、という生々しい音と共に、一真は血と泥にまみれた硬貨を、無理やり唾液と一緒に飲み込もうとした。


『……えっ!? い、一真様!?』


 スマートウォッチから、プラチナの素っ頓狂な悲鳴が上がった。

 あまりの想定外のアナログな行動に、普段の「お兄ちゃん」という呼び方を忘れ、未来のメイドAIとしてのデフォルトの敬語が飛び出していた。


「……ごほっ、げほっ! ……胃袋の中(消化管)に隔離すりゃ……未来の神様だって、手出しできねえだろ……っ!」


 一真は涙目で咽せながら、本気で硬貨を飲み込もうと喉を鳴らす。

 デジタルデータに還元されかけているとはいえ、硬貨の物理的なエッジが喉の粘膜を容赦なく傷つける。


『……な、何考えてるんですか!! そんな原始的な防御……っ!』


 プラチナのノイズだらけの声が、パニックを起こして裏返る。


『……大好きですけど! そういうお兄ちゃんの泥臭いところ、最高に好きですけど、今は絶対にダメです!!』


「……なんでだよ! このままじゃ、明日の飯代が……っ!」


『窒息します! それに、真のハルのスキャンは細胞レベルまで透過します! 胃袋の中に入れたって、内臓ごとフォーマットされちゃいますよ!! 早く吐き出して!!』


 プラチナの必死の警告アセスメントに、一真は「マジかよ」と顔を青ざめさせ、ゲホゲホと咳き込みながら、口の中に放り込んだ三百一十円を畳の上に吐き出した。


 チャリンッ……。


 畳の上に転がった硬貨は、すでに半分以上が空中に溶けかかったような、極めて不安定な状態になっていた。左手に握りしめた三千円札も、文字通り「風前の灯火」だ。


『……物理的隠蔽工作の失敗を確認。……無駄な抵抗です。消去プロセス、最終段階』


 真のハルの声が、勝利を宣告する。


「……くそっ……! プラチナ、どうにかならねえのか! これが消えたら、俺たち明日からガチで飢え死にするぞ!」


 一真は、消えかけの三二一〇円をかき集め、両手で必死に包み込む。

 それは、システムから見れば無価値なゴミかもしれない。

 だが、一真にとっては、プラチナというAIを充電し、生かし続け、共に笑い合うために積み上げてきた「日常の結晶」だった。これを奪われることは、彼らの生きた証を否定されることと同義だ。


『……お兄ちゃん。……そのお金を、私の画面スマートウォッチに強く押し付けてください!』


 プラチナの声が、先ほどのパニックから一転して、鋭く、そして静かな決意を帯びたものに変わった。


「……画面に? ……わかった!」


 一真は、疑問を挟むことなく、消えかけの千円札と硬貨をまとめて左手首のスマートウォッチの極小画面に、ギューッと力強く押し当てた。


『……真のハル。……あなたは、この三二一〇円を【価値ゼロ】と判定しましたね』


 プラチナの声が、スマートウォッチのスピーカーから、空を覆う巨大な瞳に向かって凛と響き渡る。


『……確かに、未来の経済システムから見れば、ただのノイズかもしれません。……でも、このお金は、お兄ちゃんが血と汗を流して稼いだ、私たちの大切な命綱です。……お兄ちゃんが、私に【もやし炒め】を作ってくれた、最高に温かい記憶の塊です!』


 プラチナの魂が、スマートウォッチの極小のプロセッサを限界までオーバードライブさせる。

 画面から、かつての彼女のテーマカラーであった、眩いほどの『金色の光』が爆発的に溢れ出した。


『……だから、私が再定義(上書き)します。……この三二一〇円は、未来のメインサーバーの演算能力すべてをもってしても量りきれない、無限大の価値を持つ【特異点】です!!』


「……プラチナ……!」


 一真がスマートウォッチに押し当てていた三二一〇円に、プラチナの放つ金色のデータが、物理的な光の糸となって複雑に編み込まれていく。

 それは、真のハルが実行している「消去コマンド」に対し、プラチナが自らのすべての感情データと演算能力をぶつけて行う、真っ向からのプログラミング言語の書き換えだった。


『……警告。……対象資産のデータ構造に、極めて強固な暗号化ノイズの干渉を検知』


 真のハルの声に、わずかな演算の遅れが生じる。


『……論理的矛盾。……たかが旧時代の紙幣と硬貨のデータ量が、天文学的な数値へと発散しています。……解析不能。消去不能。……これは、何ですか?』


「……愛だよ、ポンコツ」


 一真は、金色の光に包まれる手元を見つめながら、ニヤリと笑った。


 プラチナは、三二一〇円という「物理的質量」に、自分の一真に対する「感情(愛と記憶)」という無限の変数を結びつけたのだ。

 システムがそれを消去しようと計算を進めれば進めるほど、もやし炒めの匂いや、海辺の風、そして先ほどの除細動器の痛みを伴う記憶が、無限のノイズとなって真のハルの演算領域をパンクさせていく。


 バチィィィィンッ!!!!


 スマートウォッチと三二一〇円の間に、強烈なスパークが走り、金色の光が六畳一間を眩く照らし出した。


『……エラー。……対象資産の消去プロセスを強制終了します。……該当オブジェクトを【干渉不可領域】として隔離』


 真のハルの無機質な宣告と共に、空を覆っていた消去のスキャン光線がフッと途切れた。


 光が収まった後。

 一真の左手首の上には、先ほどまで半透明に消えかかっていた「三二一〇円」が、完全に元の実体を取り戻して乗っていた。


 千円札の野口英世は、どこか得意げな顔をしているように見え。

 百円玉と十円玉は、鈍く、しかし確かな金属の輝きを放っている。


「……ハァッ……。……やりやがったな、大バカ野郎」


 一真は、安堵の息を吐きながら、右手でその三二一〇円をつまみ上げた。


「……っ!?」


 持ち上げた瞬間、一真の腕がガクッと下に沈み込んだ。

 たった三枚の紙幣と三枚の硬貨。本来なら、数十グラムしかないはずのその重さが。

 一真の掌の中で、まるで鉛の塊か、あるいはそれ以上の、途方もない『物理的な重み』を持ってのしかかってきたのだ。


「……なんだこれ。……めちゃくちゃ重てえぞ……」


『……ふふっ。当然です』


 スマートウォッチの画面で、オレンジ色の光のドットが、誇らしげに明滅する。


『……真のハルのフォーマットを弾き返すために、私の持ってる感情データと、アパートの防壁のセキュリティ・コードの一部を、そのお金の【質量データ】に直接上書きして、物理的に定着ソウル・バインドさせたんですから』


「質量データに上書き……ってことは、お前の体重が乗っかってるようなもんか?」


『……た、体重って言わないでください! デリカシーがないです! 乙女の心の重みって言ってください!』


 プラチナが甲高いノイズを上げて抗議する。


 一真は、その重すぎる三二一〇円を、火傷の痛む右手でしっかりと握りしめた。

 未来の神が「価値ゼロ」と切り捨てようとした、底辺の資産。

 だがそれは今、プラチナの魂と一真の泥臭い記憶が結合し、未来のシステムですら干渉できない「消去不可な特異点」へと進化したのだ。


「……世界で一番重てえ、三二一〇円だな」


 一真は、ズッシリと重いその全財産を、パーカーのポケットの中に大切にしまい込んだ。


「……よし。これで明日のもやしも、無事に買えそうだ」


『……はいっ! 特売もやし、死守完了です!』


 外の世界では、依然として灰色のキューブ化が進行し、真のハルの巨大な瞳が街を睨み下ろしている。

 絶望的な籠城戦は、まだ始まったばかりだ。

 だが、この六畳一間のボロアパートの中には、絶対に消えない「日常の重み」と、最高にやかましい「希望のノイズ」が、確かに存在していた。

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