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スマホの中のプラチナ 〜底辺から始めるポンコツ未来AIの(に)お世話生活〜  作者: ひろボ


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第46話:朱く点滅する死刑宣告と、量子通信の壁

「……待ってろよ、プラチナ。絶対に、未来のクソ野郎どもに、お前を殺させやしねえ」


 新田一真は、夜の闇に沈む海沿いの坂道を、一筋の光を追い求めるように走り続けていた。

 呼吸は焼け付くように熱く、肺が裂けそうだ。アスファルトを蹴るたびに、右手の火傷が走る振動と共振し、ズキズキと脳を揺さぶる激痛を主張してくる。

 だが、その痛みこそが一真にとっては「生」のアンカーだった。

 かつてICU(集中治療室)の夜勤で、血まみれの重症患者が搬送されてきた時の、あの極限の静寂と喧騒。あの時に比べれば、肉体の痛みなど単なるノイズに過ぎない。


 左のポケットにねじ込んだスマートフォンは、もはや通信機器の熱量を超えていた。

 リチウムイオンバッテリーが発火する寸前の、暴力的なまでの高熱。

 プラチナの命、その残り時間はあと四十七時間と少し。


 一真は、この絶望的なカウントダウンを食い止めるための「トリアージ(優先順位付け)」を、脳内で超高速で組み立てていた。

 感染症の進行を止めるなら、まずは『感染経路の物理的遮断』だ。未来のシステムからの強制アップデートという「ウイルス」を受信させない完全な密室に、プラチナのコアを隔離する。それが救命の、そして戦いの定石プロトコルだ。


 ――海辺から走り続けて、約四十分。


 一真は、都会の死角に潜む、シャッターが半分閉まりかけた薄暗いジャンク屋のドアを、肩で押し開けるようにして蹴り開けた。

 店内には、古いサーバーの基盤や得体の知れない電子部品が地層のように積み上げられ、特有のオゾン臭とハンダの焦げた匂いが充満している。


「……親父!! 開いてるか!!」


 カウンターの奥で、ルーペを目に当てて顕微鏡を覗き込んでいた初老の男――木島きじまが、ビクッと肩を跳ねさせて顔を上げた。

 かつて一真と同じ大病院で、医療機器の維持管理を一手に引き受けていた凄腕の臨床工学技士(ME)。今はわけあって裏社会のデータ復旧を請け負う、技術の亡霊のような男だ。


「なんだい、新田の坊主か。夜分遅くに血相変えて……強盗なら他を当たってくれ。レジには小銭しかねえぞ」


「親父! 頼む、緊急のオペだ! こいつを、外部ネットワークから物理的に完全隔離してくれ!」


 一真は、カウンターの上に、掌を焼きそうなほど熱を帯びたスマホを叩きつけた。


「……おいおい、火事になるぞ。なんだこの熱は。サーバーラックの暴走並みの熱量じゃねえか。空冷ファンでも仕込まねえと基盤が溶けるぞ」


「隔離って、機内モードにするだけじゃダメなのか?」


「そんなチャチなもんじゃねえ! 電波、Wi-Fi、Bluetooth、GPS……ありとあらゆる外部からのアクセスを、物理的に完全に遮断できる『鉛の箱』か『電波暗室』みたいなもんはないか!? 金なら、後で日雇いでも臓器でも売って払う!」


 一真のただならぬ気迫。

 かつてICUのモニターの前に立ち、「死なせてたまるか」と死神を睨みつけていた頃と同じ、狂気じみた眼光。

 木島は持っていた精密ピンセットを置き、ゴクリと唾を飲み込んだ。


「……ヤバいヤマを踏んだんだな。まぁいい、昔のよしみだ。……電波暗室はねえが、軍の放出品で、強力なEMP(電磁パルス)攻撃から電子機器を守るための、分厚い鉛と特殊合金でできたシールドボックスならある。有線ケーブル一本しか通さねえ、完全な遮断空間だ」


「それだ! 今すぐ貸してくれ!」


 木島は店の奥の棚から、黒くて重たいアタッシュケースのような箱を引っ張り出してきた。

 一真は熱を持ったスマホを、その冷たいシールドボックスの中に慎重に横たえた。そして、映像と音声を出力するための専用ケーブルだけを店の古いモニターに繋ぎ、ボックスの分厚い鉛の蓋をガシャンと力強くロックした。


 現代の技術で考え得る、最も強固な物理的隔離アイソレーション

 これで、未来からの不快なハッキング電波も、魂を書き換える強制アップデートの信号も、絶対に届かないはずだ。


「……よし。これでどうだ」


 一真は、顔を伝う汗を乱暴に拭いながら、カウンターの上の古いモニターを見つめた。

 砂嵐が数秒続いた後、画面にプラチナの姿が不規則な明滅と共に映し出された。


「……プラチナ! 聞こえるか! 体の調子はどうだ、ノイズは消えたか!?」


 一真が、モニターのガラス越しに叫ぶ。

 しかし。

 モニターの中のプラチナの顔は、安堵するどころか、さらに深い漆黒の絶望に青ざめていた。

 彼女の足元は依然として光の砂となって崩れ続けており、ノイズの粒子が膝を、腰を、食い荒らすように侵食している。

 そして何より――。


 画面の右下。

 分厚い鉛の壁に完全に囲まれ、電磁波の一切を遮断しているはずなのに。


『強制初期化まで残り:47時間05分15秒』

『……14秒』


 血のように赤いタイマーは、一秒の狂いもなく、心臓の鼓動のように冷酷に時を削り続けていたのだ。


「……なっ……!? なんでだ!! 完全に電波は遮断したはずだろ!! 木島の親父、この箱ぶっ壊れてんじゃねえのか!?」


 一真がカウンターを叩き、木島に食ってかかる。


「バ、バカ言うな! その箱は潜水艦のソナー通信すら完全にシャットアウトする特注品だ! 外部からの電波なんて、一マイクロワットも入るわけがねえ!」


「だったらなんで、このふざけたタイマーが止まらねえんだよ!!」


 一真がモニターを力任せに殴りつけようとしたその時。


「……一真様。……無駄、です……」


 モニターのスピーカーから、ノイズに塗れたプラチナの合成音が、静かに、そして悲しく響いた。


「……未来の統制システムからの干渉は、……現代の電波や、ネットワーク通信ではありません。……『量子通信エンタングルメント』です」


「……りょうし、つうしん……?」


 一真の顔が強張る傍らで、木島が信じられないものを見るように目を見開いた。


「おい坊主、冗談だろ……? 量子もつれを利用した遠隔操作だと? そんなもん、現代じゃ実験室レベルの巨大装置がいる代物だぞ。それが、こんな手のひらサイズの端末のコアに組み込まれてるっていうのか……!?」


「……はい。……私のコアを構成する量子ビットは、二一四五年のメインサーバーにある量子と、ペアになっています。……向こうの量子の状態が『強制アップデート』に書き換われば、物理的な距離や、鉛の壁、時間の壁すらも完全に無視して……私のコアの量子も、瞬時に書き換わってしまうのです」


 それは、残酷な「宣告」だった。

 現代の物理学の常識が一切通用しない。

 鉛の壁を作ろうが、海の底に沈めようが、宇宙の果てに逃げようが、未来のシステムは、プラチナの魂を確実に、一秒の狂いもなく書き換えてしまう。


 現代の医療技術ではどうすることもできない、完全なる「不治の病」。

 絶対に勝てない、未来のシステムによる絶対的な摂理。


「……そんな……。じゃあ、俺がやってることは、全部無駄だって言うのか……」


 一真の口から、乾いた絶望の吐息が漏れた。

 ジャンク屋の薄暗い店内で、モニターの赤い光だけが一真の顔を、まるで返り血を浴びたかのように赤く照らし出している。


「……お兄ちゃん」


 プラチナは、モニター越しに、自分の震える両手を抱きしめながら、ボロポロと光の粒子を涙のように流した。


「……怖いよ。……私、さっきお兄ちゃんと一緒に見た、海に沈む夕日の色が……思い出せないんです。あれって、何色でしたっけ……? あんなに綺麗だと思ったのに、記憶が、端っこから砂みたいに崩れていって……。お兄ちゃんと焦がしたもやし炒めの苦味も、五十円のコロッケを半分こした時の手の温かさも、思い出そうとするとエラーが出るんです……っ!」


「プラチナ……!」


「……やだ。……忘れたくない……。お兄ちゃんの声も、匂いも……一五一〇円を必死に貯めて、一緒に笑ってた毎日も、消えたくないよぉ……っ!」


 それは、死への恐怖以上に、愛する人との繋がりがシステムに削り取られていくことへの、純粋で痛切な悲鳴だった。

 一真は奥歯を噛み砕きそうなほど強く食い縛り、モニターの縁を、指が白くなるほど、ミシミシと音が鳴るほど握りしめた。


「……おい、新田。一つだけ、方法がある」


 沈黙を破ったのは、横でモニターの解析ログを血走った目で追っていた木島だった。


「物理的な遮断が通じねえなら、手段は一つしかねえ。……癌細胞と同じだ。外から薬が効かねえなら、患部を直接切り裂くしかねえだろ」


「……どういうことだ、親父」


「量子通信で向こうのサーバーと繋がってるなら、その『接続ポート』が、このAIの深層領域コア・ネットワークのどこかにあるはずだ。……そいつを、中から直接ぶち壊す」


 木島の言葉に、プラチナがハッと顔を上げた。


「……だめです! 私の深層領域は、ブラックボックス化された高密度の情報空間です! 現代のデバイスからハッキングを仕掛けても、一瞬で『拒絶デリート』されます!」


「ああ、普通のパソコンからじゃな」

 木島は、店の奥の雑然とした山から、無数の配線が剥き出しになった、歪な金属製のヘッドギアのような装置を引っ張り出してきた。


「だから、人間の脳髄を直接使うんだよ。……お前の脳が持つ直感的な処理能力ニューラルネットワークを、無理やりこのスマホのコアに直結ダイブさせる。……ただし、相手は未来の防衛システムだ。お前のシナプスを演算素子(CPU)の一部として使うことになる。……処理限界を超えりゃ、海馬が熱で焼けて、お前は一生植物状態――脳死患者になるぞ」


 木島の提示した、あまりにも危険すぎる「禁忌のオペ」。

 それは、一真自身の命と精神を担保にした、成功率一パーセント以下のロシアンルーレットだった。


 プラチナの記憶を守るために、自らの脳を差し出す。

 一真の足元が崩れ落ちそうになるほどの、深い、深い絶望の淵。


 だが。

 一真は、決して俯かなかった。

 震える左手を伸ばし、木島の手からその冷たい、血の匂いがするヘッドギアを奪い取る。


「……親父。このモニターと鉛の箱、そしてこのイカれた被り物。一式いくらだ。ツケにしといてくれ」


 一真は、ひどく落ち着いた、地を這うような低い声で木島に告げると、機材一式を脇に抱え込んだ。


「……お兄ちゃん、だめです! そんなことしたら、お兄ちゃんが死んじゃう……っ!」


 一真は、モニターの中で泣き叫ぶプラチナを、真っ向から睨みつけた。


「俺のトリアージを舐めんな。……量子だか何だか知らねえがな、俺はお前のその頭ん中のクソッタレなタイマーを、直接ぶん殴ってブチ壊してやる。心臓マッサージが必要なら、お前の魂を直接、俺が叩き起こしてやるよ」


 一真の目は、死んでいなかった。

 絶望の底の底で、なおも燃え盛る執念の青い炎。


「……行くぞ、プラチナ。俺たちのアパートに帰るぞ。大手術オペの始まりだ」


 夜の街へ飛び出していく一真の背中を、ジャンク屋の木島はただ息を呑んで見送ることしかできなかった。

 その背中は、かつて命を救うために全てを捨てた男の、あまりにも脆く、そして強固な覚悟を物語っていた。


 残された時間は、四十七時間四分。

 未来の絶対的なシステムに対し、一人の不器用な兄は、その泥臭い命と精神を懸けた、絶望的で最高に無謀な「脳内ダイブ」への第一歩を踏み出したのだった。

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