揺籃を告げる
「なあに、やけに改まって」
どうしたのよ、とおどけて見せたムッカに、ユエは淡い笑みを返す。
ダミアンの屋敷を出てから、ムッカは殊更明るく振る舞うようになった。全ては体調の思わしくなかったユエを励まそうとしてのこと。子供のことを言えばさらに心配をかけることになるが、放っておいても腹は大きくなっていく。隠しだてはできないだろう。
――それに……
傍らに立つティハをそっと見上げれば、険しい顔つきでユエの腹をじっと見ているのが目に入った。
ごくり、と自分の喉が音を立てたのが分かる。彼はもう気づいているのだ。
「私……子供が、できました」
決意して口にしたはずなのに、何故か掠れたに弱々しい声が出た。
それに呼応するように肩に置かれたティハの手にぐっと力が籠ったのが分かる。どうしてか、ユエはそれだけで涙が出そうになった。
「え、どういうこと。ユエ、何を言ってるの。……ねえ、この子、熱でもあるんじゃないの、ビーオ」
突然過ぎる告白にうろたえるムッカが同意を求めるように「ねえ」と小人に問いかけているが、当のビーオは口を引き結んだまま答えない。その異様な態度にムッカの顔が除除に青褪めていく。
「どういうことなの……そんな機会、なかったはず……。……ううん、違うわ、あいつなら!」
自問自答するうちに答えにたどり着いたのだろう、目を吊り上げ語気も荒く叫んだムッカはティハを押しのけユエの肩を揺する。
「ダミアンね!あいつにやられたのね?!」
ユエがそっと肯定すると、ムッカの眉がへなへなと力無く下がった。
「……なんてやつなの。見そこなったわ……これでも……」
ユエを守ってくれるって信じてたのに。そう小さく呟き肩を落とす。
そうしていたのもつかの間、考えを振り払うように頭を振ったムッカは眉根を寄せた。
「……もちろん、堕胎するしかないわよね」
「……ううん。私、産むわ」
「どうして!……身重の体のまま逃げるなんて、できっこない!ラガルティハの森まで、まだまだかかるのよ!それに、ユエは無理矢理……!」
どうしてもその先は言いたくなかったのか、言葉に詰まったムッカが悔しそうに歯噛みする。
ダミアン。
そもそも彼がユエにとって大嫌いな人だったなら。彼が自分の欲望のためだけにユエの身体を開こうとしたのなら。なんて最低な人なのだと、唾棄すべき人間だと、ひたすら嫌悪するだけでよかった。
でも、少なくない時間を共に過ごし、彼自身の哀しい祈りを聞き続けてしまったユエは、被害者であるのにそう簡単に割り切れない。
それに。とうとう目に涙を浮かべ俯いてしまったムッカの頭を、ユエは苦笑して撫でる。
見た目は自分よりうんと幼いのに、彼女の頭を撫でるのは初めてだ。いつも姉のように頼ってばかりいた、大切な家族。自分以上に怒ってくれる、そんな存在がいてくれるおかげで、ユエは今、自分でも驚くほど冷静でいられた。
「堕胎は想像以上に体に負担がかかるわ。動けるようになるまで少なくとも数日。感染症の危険もあるし、野宿しているうちは処置できない」
家族の意図しない妊娠など、そう簡単に受け入れられるものじゃない。そう判断したユエは答えを先延ばしにできる理由を探る。
そうよねビーオ、と薬師の記憶を持つ小人に同意を求めれば、小人はしかめっ面のまま頷いた。
「何より、私自身がこの子を産みたいの。……ごめんなさい」
謝罪の言葉は、自然とティハに向かっていた。
怒っているだろうか、軽蔑されただろうかと不安に思いながら顔を上げると、金色の瞳と視線が交わる。
青年の瞳は想像していたよりも静かな光を湛えていたが、しばらくもしないうちにそっと視線を外される。
「……ユエの、好きにするといい」
呟かれた言葉に、ユエはまた身勝手な苦しさを覚える。
いつだって、決意したはずのユエの心を乱すのは彼なのだろう。それでも決めたことは守らなければ。
暗闇に沈んで見えない背後の川で、何かがぱしゃり、と跳ねる音がした。
「……いかがでしたか」
ドゥルセの街。宵闇の中、誰もいない川沿いのベンチに腰掛けた老人が小さく呟く。
「上出来じゃ」
水の中から至極満足そうな女の声が返って、老人は眉を寄せる。
「……上出来、とはどういう意味です」
「おぬしの孫の腹には男の子が宿っておったぞ。今夜は祝杯じゃ」
なんせ憎たらしいおぬし以来じゃからのう。そう喜色を露わにする女とは裏腹に、老人の白い眉はますます歪む。
「……どういうことだ。まさか、あのお方の……いや、だが人間との間に子など儲けられるのか」
「妾もあの蜥蜴の子かと思うたのだがな。違う男の子供だと言うておったぞ。……純情そうに見えて、あの娘もなかなかやりよる」
くくく、と含み笑いを漏らす女を射殺さんばかりに睨みつけ、老人は苛立たしげに舌打ちする。
「……少し、調べることができました」
「勝手にするがよい。……繋がりも設けたゆえ、この川の流域に在る限り、大事な男の子の無事は確かめられるというもの。ああ、妾は今、最高に気分が良い」
酔ったような艶声を響かせ、女の気配は遠ざかっていく。
老人は何かに耐えるかのようにしばらく拳を震わせていたが、おもむろに被っていた帽子のつばを深く下げると、足早にその場を後にした。




