新たに宿る
「あ……あなたは」
「ん?ああ、おぬしは妾のことを知らんのじゃったな。……妾はアデライダ。リームルバに恩恵を授け、ドゥルセに加護をもたらす者。そなたの祖父がどうしてもと言うので様子を見に来てやったのよ」
ほほほ、とアデライダと名乗った美女は笑う。
ぴしゃり、と水面を打った魚の尾を見たユエはさらに混乱して、えっと、その、とうろたえる。肩に乗ったビーオの方が、余程落ち着いていた。じろじろとアデライダを見て口を開く。
「あなたも、霊代ですよね。……レジェス様は、ユエがここにいるとなぜ分かったんですか」
「簡単なこと、妾が繋がりを視る力を授けておるからじゃ。……といっても、奴が見つけたのはあの摩訶不思議な蜥蜴の方じゃがの」
くい、と顎先で示された方角に見えるのは闇ばかりだが、その先にはティハがいる。アデライダはまたユエに視線を戻し、しげしげとその身をながめた。そしてにたりと口の端を上げる。
「それにしても……すでに子を設けておるとは思わんかったぞ。しかも、男の子とは!面倒な事を引き受けてしもうたと思ったが、来て正解じゃった」
「……子?え?」
言われた言葉が一瞬理解できずに、ユエは固まる。考えないようにしていたあの日の出来事が蘇って、痛みを思い出してしまう。そんな、と呟いて自分の腹に目を落とした。
ビーオがはっと顔を上げる。原因不明の熱。倦怠感に、吐き気。
「……そういうことですか。ユエのこの症状は……!」
「腹に子を宿しておる。リームルバの系譜が増えるのは良い事じゃ。楽しみよのう」
茫然自失といった様子のユエとは対照的に、アデライダは非常に嬉しそうに相好を崩す。
ビーオは唇を噛んだ。王都エミグディアを出て以降、小人はユエにずっと付き添っている。ティハに好意を寄せている今のユエが、自分から他の人間と事に及ぶとは思えない。
ということは王都を出る前にユエは襲われていたことになる。答えは自然とひとつに絞られた。
「ダミアン、ですか……!」
びくり、とユエが大きく肩を揺らしたことで、ビーオはそれが正解だと悟る。
薬師としての記憶を持つ小人は、無理矢理体を開かされた女性たちの悲しみを知っている。その度に記憶の元である『ファビオ』は強い憤りを覚えていたし、薬を処方する他に精神的な介護が必要だと家族達に切々と訴えていた。そして、必要があれば、と一言添え必ず渡していたものがある。
「……ユエ。産まないという選択肢もあります」
ぽこり、と小人の手の平に転がったのは、茶褐色の小さな実。動揺に揺れ、今にも涙がこぼれそうになっていたユエの大きな瞳が見開かれる。
「ジュ、メグ……」
それは、東方に自生する木の実。バルバシュチューの隠し味で、そして堕胎薬でもある。
「これを飲めば、子供は流れます。……可哀想ですが、ユエが望むなら」
「何を言っておる」
小人の言葉を遮るように鋭い声が飛んだ。眦を吊り上げたアデライダが怒りの表情でユエの腹を指差す。
「リームルバの子は妾のものだ。殺すことは許さぬ」
「あっ……!」
「ユエ!!」
ユエの足元の水がごぽり、と湧き立ち体を拘束する。転げ落ちたビーオが水にすがるが小さな身体は弾かれるばかりで手出しできない。
死なないように手加減はされているが、ぎちりと締まった水の縄にユエはうめき声をあげた。その腹を愛おしげに撫で、アデライダがほうと溜め息を吐く。
「まったく。ただでさえこの可愛い男の子に蜥蜴の手垢を付けられて忌々しく思うておるのに。これ以上面倒を掛けるようなら、意思を奪ってでも成し遂げてもらうぞ」
「……何を訳のわからないことを!ユエを離してください!!」
「ふん、見えんのか。あの蜥蜴、ふだんは草木と契りよる癖に、この男の子とも繋がりを持っておるのだ。……娘、おぬしまさかあの蜥蜴とまぐわったのではあるまいな。人間と蜥蜴など、許されんぞ」
「半人半蜥蜴が生まれたらどうしてくれる」と自分のことを棚に上げ嫌そうに顔をしかめるアデライダ。
体を縛られ余裕がないはずのユエだが、彼女が明かした内容をゆっくりと咀嚼して考える。
「この子は、ティハと繋がっているのですか?」
「だからそう言うておるに。あやつは子の父親か?そうでなければ説明がつかんぞ」
「ちがい、ます。父親は……別の人間で」
自分で言いながら気落ちして、ちくりと胸に痛みが走る。それでも看過できない大事な事実が、ユエを突き動かしていた。
ビーオは堕胎してもいい、と言ってくれたが、提案されるまでユエはその考えに至らなかった。それよりも考えたのは、ティハに申し訳ないとか、他の男の子供を宿している自分は彼に嫌われてしまうかもしれないとか、そんな事。まったく自分可愛さが甚だしくて嫌になる。
ダミアンとの子であるはずのお腹の子が、なぜティハと繋がっているのか。何となくだが検討はついている。そして、同時に迷いも消えていた。
「私、この子を産みます」
「ユエ!」
「ほお」
泣きそうな顔をした小人と、感心した様子の美女。その二人をゆっくりと見て、心を落ち着かせようとユエは息を吐いた。
「でも、ここには残れません。ティハと共に行きます」
「腹の子は別の男の子供なのにか?受け入れてもらえるのか?いっそ、ここで産めばよいではないか」
からかいを含んだようなアデライダの言葉に、ビーオが威嚇する。それをたしなめて、ユエは言葉を続けた。
「ティハが父親でなければ、繋がりがあるはずがない。……そう、言いましたよね。だから、産みたいんです。この子は、独りぼっちだった彼の『家族』になれるかもしれないから」
まだまっ平らの、何の存在も感じられない腹を見つめる。
何時だったか、『可笑しいのは自分の存在だ』と寂しげに笑っていたティハ。草木はいたるところにあって彼に力を与えてくれるけれど、話すこともできなければ思いを交わす術もない。
ずっとずっと一方通行の力に生かされて、一人ぼっちで生きてきた蜥蜴。彼が草木以外に初めて契ったこの子は、変革を内包している。
「ティハが受け入れてくれるかは分かりません。でも……」
繋がりは、特別だ。ムッカや、テンや、ビーオと契っているユエには分かる。
温かで、心強くて、愛おしい。時に疎ましいことや残酷な一面もあるけれど、死ぬまで切れないもの。それは、家族の絆と似ている。
「家族は、一緒にいるべきでしょう?」
目を瞑って聞いていたアデライダが瞼を開ける。ふい、とユエに向けて呪いをかけるかのように指を踊らせてから、水の戒めを解く。
「勝手にするがよい。子を生かすのならば文句は言わん。……ただし、リームルバの男は妾のもの。その子と契りは持たせてもらうぞ」
恩恵と、加護。アデライダが初めに言っていた言葉を思い出す。
子を生かせと迫ったこの不遜な態度の霊代は、結局のところ慈愛の塊ともいうべき存在なのだろう。
「……ありがとう、ございます」
ユエは深々と頭を下げる。次に顔をあげたときには、アデライダの姿は消えていた。
夕食の準備をする薪の灯りが見える。せっせと動く二人の影に気づいて、ビーオが不安そうにユエを見上げた。
「ユエ……」
「大丈夫。ちゃんと、自分で説明するわ」
本当は、少し怖い。けれど、もう決めたこと。
「ユエ!おかえり」
ユエの姿に気付いたティハが嬉しそうに駆け寄ってくる。寒くないか、気持ち悪くないか、と言いながら無事を確かめるように少女の体を撫でていた美しい黒髪の青年は、ふと眉をひそめる。
「ユエ……その糸」
アデライダと子供を繋ぐ糸に気付いたのだろう。腹を見つめる視線に気づいて、ユエは深呼吸する。
「ティハ、大事な話があります。ムッカも、聞いてくれるかしら」
ぎゅっと、肩に掴まる小人が力を込めたのが分かる。
ビーオを撫でることで自分を落ち着かせたユエは、そっと口を開いた。
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感無量。。。ありがとうございます。




