事変
ダミアンは何かを振り切るように一度しっかりと目を閉じる。すぐに開かれた瞳には強い光が宿っていて、ユエは知らず身を震わせた。
「……じゃあ、君はどうするの。ティハのことも話さず、僕とも結婚せず、甘んじて罰を受けるつもりなのかい」
静かな、それでいて強い口調で問われ、動揺する。動かないユエを見てダミアンが畳みかけるように言葉を続ける。
「平民が貴族を殺した際の罰は、死刑が相当だけれど。それでも?」
ああ、やっぱり。そう思ったユエの目は勝手に潤んでしまう。震える唇を引き結び、大きく深呼吸をして心を落ち着かせた。
それでも。それでも、自分はいい。遠からず死ぬと分かっている身だから、構わない。ティハも助けたいし、ダミアンにも迷惑をかけたくないのだ。その一心で、必死に首を縦に振った。
「そう……」
ダミアンの目に冷めた熱が浮かぶ。だが、うつむき涙を堪えるユエはそれに気付かない。
「いらないのなら、その命、僕にくれるよね?」
不穏な言葉に、え、と思ったがもう遅かった。握られたままの手に伝わるダミアンの力がぎり、と強まり、次の瞬間には腰かけていたベッドに押し倒される。
何が起こったのか分からず抵抗もできないユエに、冷めた目をしたダミアンが言った。
「……たとえ、君に嫌われたとしても、僕は君を死なせたくない。だから、既成事実を作ろうと思う」
自失していたユエだが、胸元を肌蹴られてやっとダミアンの思惑に気づく。
しかし、必死にもがいても成人した男であるダミアンの力には勝てず、制止の言葉を口にしようにも痛めた喉は掠れた空気を漏らすだけだ。屋根裏を見張る騎士は階下にいて、扉には鍵が掛けられている。外からの助けは期待できなかった。
――好きでもない男の子供を産むのは、存外しんどいものだよ。特に、あなたのように別に想う人がいる場合はね。
今になって、あの時ブラウリオが口にした言葉がよみがえる。こんなことにならなければ気付かないなんて、なんて自分は愚かなんだろう。涙を流しても、もう遅い。
ねえ、ティハ。私はあなたが好きだったみたい。あなたが人間じゃなくても、側にいてくれればそれでよかったの。
「……くそっ」
扉を出たダミアンは、貴族の子弟には似合わない悪態を吐く。
自分がいかに狡猾で非情なことをしたのか、分かっている。あの蜥蜴に奪われたくない、けれど死なせたくもない。そう葛藤したあげく、膨れ上がった気持ちを押さえることができなかった。
事後、泣き続けるユエに「ティハはもういない、君は私と結婚するのだ」と言い聞かせれば、心が折れたのか彼女は虚ろな目のまま頷いた。そう、目的は果たした。それなのに、後味は最悪で、気分は最低だった。
だが今からやらなければならないことは山積みだ。ユエの命を救うために、婚約しているという事実をこれから作り上げなければならない。ブラウリオと、ユエの祖父のレジェスは喜んで協力してくれるだろう。加えて、煽ったレイナルド殿下にも手伝ってもらえば何とかなるはずだ。
そして、最優先事項がひとつ。あの大蜥蜴を追い払わなくては。研究所に報告するという手もあったが、これ以上ユエに嫌われることはしたくない。
ダミアンは頭を振って、今、自分がすべきことを見据えた。
*****
捕えられて、五日が経った。もうすぐ六日目の朝がくる。
見張りの騎士が交代する音を聞いて、ムッカは冷静にそう判断する。ふつうの少女なら真っ暗な物置部屋に長時間閉じ込められれば泣き叫びもするのだろうが、彼女はあくまで霊代であって人間とは違った。
「ユエ……」
心配なのは契約主であるユエのことだが、騎士たちの話を総合すれば彼女は無事目覚め回復に向かっているようだった。それに、ティハのことがばれた形跡もない。ダミアンは誰にも話していないようだと分かってほっとする。
ふう、と溜め息をついてまた座ろうかと屈んだ時だった。
「……?」
ぐらり、と内側の力が揺らいで、一瞬めまいのような感覚を覚える。再び目を開けたときには、なぜか目線が一気に下がり床との距離が近くなっていた。倒れてしまったのか、と思い身を起そうとして気づく。
手が、無い。いや、手だけではなく足も無い。だが、これは良く知っている状態だった。
「……おたまに戻った?」
言葉にすればよくわかる。甲高い、鈴のような音は久しぶりに聞く自分の声だ。
そして同時に不安になる。動くための力が足りない訳じゃない。けれど、この状態になって気付いたのは、今までは力が溢れすぎておたまの姿に戻れなかっただけだということ。何が変わったのかは分からないが、やっとムッカが調節できる量にまで『減った』という事実だった。
ユエの所に行きたい。それと、テンとビーオにも変化があったのか、調べなければ。
意識をすれば、人の姿には戻れる。それを確認してから、ムッカは行動を開始した。
「何か、暴れてるな」
「ああ……ちょっと確かめるか」
内側で暴れる音を聞いた騎士が確認のために扉を開け、異変に気づいて叫ぶ。
「……おい!少女の霊代がいないぞ!」
「逃げ出したのか?!窓もないのに、どうやって!」
「知るか!とにかく探せ!」
足音も荒く見張りが走り去った後、開け放された物置の扉の影から銀色のおたまがそっと顔を出す。辺りを伺ってから、ぴょんぴょんと手慣れた様子で廊下を跳ね角を曲がって消えた。
騎士たちは血眼になって探すが、目当ての霊代は見つからない。ユエとティハ以外、ムッカの本性が『おたま』だと知る者がいないのが原因だった。
「いくらなんでもこの扱いは酷いよね」
「うん、酷い」
これまで何度繰り返したか分からないこのやり取り。
台所の隅に置かれたネズミ捕りの籠の中で白イタチのテンと小人のビーオは膨れっ面をする。大したこともできまい、と捨て置かれた雑魚扱いのふたりを見張る者はいない。それもまた、彼らの自尊心を手酷く傷つけていた。
「あーあ。果物食べたいなあ。急にお腹が空いてきちゃった」
むっちりとした腹をなでながらテンが愚痴をこぼす。
「霊代は空腹なんて感じないんだから、気のせいですよきっと。……って、腹の虫鳴らさないでくださいよ!そんなことされると僕までお腹が空いた気になるじゃないですか!」
「勝手に鳴るんだもん。仕方ないじゃないかー」
ぐしぐしと泣き真似をするテンの尻尾をビーオは蹴りつける。ふだんから食べ過ぎてたからですよ、と説教をしているとバタバタと足音がして数人の騎士が台所に飛び込んできた。
「お!やっとボクたちの重要性が分かったのかな?!」
変な所で喜びの声をあげる白イタチを一切無視して、「いないぞ」「仲間の霊代もそのままだ」と話合った騎士たちはまた急いで台所を出ていく。
めそめそと本格的に落ち込み始めたテンの背をビーオがおざなりに撫でていると、「ちょっと!」とどこからか小さな声がした。なんだなんだと見渡せば、ネズミ捕りの置かれたテーブルの下におたまがいる。そう。『あった』ではなく『いる』のだ。というのも、おたまはふつう直立したりしないが、誰も支えていないのに丸い部分を上にして器用にも柄で立っている。
テンとビーオはしげしげとそれを眺めてから、顔を見合わせた。ふるふるとお互い確かめるように首を振って、またおたまに視線を戻す。
「「あのー……どちらさま?」」
困惑の声をあげた彼らの額に、怒ったように跳ねたおたまの柄が続けざまにぶすりと刺さった。
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