心のありか
「では、君はその商人と話した後の記憶が無いんだね?」
問われた言葉に、ユエはこくりと頷く。手元には子供が手習いに使う黒板が置かれ、そこに書かれたユエの言葉を側に控える書記官が書き写して行く。
「シュトカ村のときと同じ……か」
質問をしていたレイナルドがあごに手を置き考え込むような仕草をした。
ユエが目覚めたという知らせを聞いた彼は、数人の伴を連れてダミアンの屋敷を訪れていた。王太子殿下がなにもこんな所に来ることはないのにとユエは冷や汗をかく。
聞き取りが行われているのはユエが閉じ込められている屋根裏部屋だ。もともとバルデム・ガスパルの調査をしていたレイナルドが被疑者を殺したと思われるユエの調書を取るのは道理だが、壁際に控えるダミアンも同じような心境なのか顔色が優れない。
「能力をふるった際の記憶がない……そんな例はあるのかな、ダミアン?」
ダミアンは一瞬口籠り、だがすぐにゆるゆると首を振る。
「……いえ、過去の例はくまなく目を通していますが、今のところそのような例は存在しません。基本的に霊代は契約者の願いを叶える存在ですから、本人が祈った覚えのない事象が起きることは考えにくいと思います」
そうか、と言ったレイナルドはまたユエに向き直る。その紫苑色の瞳に心中を見透かされているような気がして、ユエは目を伏せた。
本当は、心当たりがある。たぶん、ユエを助けてくれたのはティハだ。
レイナルドの書記官が当時の状況を一通り説明してくれたが、どこをどう取ってもティハがあの場にいたとしか思えない。後頭部と脚に受けた傷も治っているし、うっすらと枝葉に包まれた記憶も残っている。その後どうして姿を見せないのかユエには分からなかったが、すでに二度ティハには助けられている。今どこにいるのか心配ではあるものの彼が無事ならばそれでいいと思っていた。
……ラガルティハの森に帰っていてくれればそれが一番安心できる。
心の奥底で「置いて行かれたかもしれない」という焦燥とも寂寥感ともつかない感情が疼いたが、そう自分に言い聞かせて心に蓋をする。
「とはいえ……ユエ以外に手を下せた人物がいないとなると、こちらとしても君の処遇を考えなくてはならない。なにしろ、あれでもバルデム卿は王国の有力貴族だったのでね。なにかと五月蠅い者たちも多いのだよ」
困ったように頬を掻いたレイナルドは、そう口にする。
今手元にある物証だけでガスパルの凶行を公にするのは危険な行為で、バルデム家に言い逃れされる可能性が高い。それに本人が死んだ今、領地の館では彼の息子たちが証拠隠滅に躍起になっているだろう。レイナルド達があてにしていた王都の参考人や証拠がそろって瓦礫に埋まってしまったのも手痛い。
結果、傍目から見ると「ユエという少女が、ガスパル・バルデムを殺した」という部分だけが残ってしまうことになる。
平民がなぜバルデム家の屋敷にいたのかという点は貴族にとって特に重要ではない。貴族の気紛れで屋敷に平民がいることもあるだろう。だから、霊代を持つ者が貴族を殺したという部分だけが問題視されてしまうのだ。
レイナルドは溜め息を吐くとちらりとダミアンを見る。彼の表情を見て「ふうん」とひとつ頷くと、周囲に聞こえるよう意識してかやけにはっきりと言った。
「ユエが……同じ貴族か、せめてダミアンの婚約者だったというのであれば、話は別なのだが。そうなれば、『縁もゆかりもないバルデム家に、別の貴族との婚姻が決まっている女性がなぜいたのか』という点を争点にガスパルの罪を紐解いて、減刑するよう進言することもできるのだけれどね」
ユエはどきりとする。おそらくレイナルドは「乱暴を働かれそうになった女性が我が身を守ろうとした結果」ということにすればいいと言っているのだろう。だがここで重要なのは『女性』が平民か、貴族階級に属する者かでそれだけ発言力が変わるということだ。その策を労するためには今までの口約束のような婚約ではなく、貴族社会に則った婚約発表をして最終的には婚姻届を出すような強固な事実が必要になる。
時間は私が稼ぐから、しばらく考えるといい。そう言い残して、レイナルドは帰っていった。
レイナルドを見送ったダミアンが屋根裏部屋に戻ってくる。また彼が部屋に戻ってくると思っていなかったユエは少し狼狽えるが、すぐにベッドから身を起こし腰掛けた。
「ちょっと……大事な話をしたいから、鍵をかけてもいいかな」
彼の提案に、外聞の悪い話を聞かれたくないのだろうと解釈する。ユエは頷いて了承の意を示した。チカは「王太子殿下がいらっしゃるのに同席などできない」と言ってずいぶん前に部屋を出て行ったままなので、今ここにいるのはユエとダミアンの二人だけだった。
扉の錠を下ろしてユエの前に立ったダミアンは何度か口を開きかけ、また閉じてと随分言いにくそうにしている。
ユエもその表情を見て、困ったな、と眉を下げた。以前求婚された時は寿命が短いので結婚相手として相応しくないと伝えたが、人殺しの容疑を掛けられた今はさらに輪をかけて条件が悪い。それなのに王太子殿下からあのように煽られては「やっぱり求婚を取り下げたい」など言いにくいことこのうえないだろう。
本当は、領主を殺した平民がどのような罰を受けるのかと考えると怖い。けれど、だからといってダミアンにすがってはいけない気がした。自分は気にしていない、求婚の件は聞かなかったことにする、と伝えようと黒板に手を伸ばす。と、その手をダミアンに握られた。
驚いたユエが顔をあげると、怖いくらい真剣なダミアンが至近距離にいた。
「ユエ……君は、どうしてあの大蜥蜴を庇うんだい?シュトカ村のときも、今回も、人を殺したのはティハなんだろう?」
唐突に告げられた言葉に、ユエは茫然とする。
なぜ、ダミアンがティハのことを知っているのだろう。それも大蜥蜴の本性のことや、能力のことも知っているような口ぶりだ。理解できずに固まる。
「君が、僕との結婚に乗り気じゃないのは分かっている。でも、そんなことをしなくても、あの大蜥蜴の事を話せば罪を被らなくても済むんだ。それなのになぜ……」
ダミアンが苦しげに顔を歪める。ユエは咄嗟に反論しようとして声が出ないことを思い出し、自由な方の手で黒板を引き寄せた。
ティハはユエの命を助けてくれた。彼が癒してくれなければ、とうにユエはラガルティハの森で命を落としていただろう。自分でもそう分かるほど、あの時の腹の怪我は酷かったのだ。
彼が人を殺すのは、すべてユエのため。普段のティハはそんなことを微塵も感じさせない穏やかな気性で、彼だけに罪を着せるのは間違っている。それに彼の存在が人間に知られれば、捕えられ酷い実験をされるかもしれない、そんなのは、そんなのは嫌だ。自分は彼を、ティハを助けたい。助けられるばかりでなく、彼を支えたいのだ――……
焦る気持ちばかりが募って、思いを文字にするのは苦しいくらい難しい。いや違う、こんなことを言いたいんじゃないと黒板の文字を手で消して、また書いて。言いたいことの半分も表現できていないだろうと悔し涙が滲んだ頃に、またダミアンの大きな手がユエの筆を遮った。
「もう、いいよ。分かったから」
どうして、あなたがそんな顔をするの。
声にできないユエの目に映ったのは、泣きそうな表情をしている青年だった。
ご覧いただきありがとうございます。
評価、うれしかったです。はげみになります。




