青年の決意
今は使われていない屋根裏の使用人部屋。そこへ至る唯一の階段を見張っている騎士が「ユエが目覚めたようだ」と教えてくれた。彼女の様子は何度か確認しにきているが、意識が戻ったのは今日が初めてだ。ダミアンは礼を言ってから上階へあがる。
質素な扉をノックして返事を待ち、ひとつ深呼吸してから扉を開けた。椅子に座るチカの向こう、ベッドに身を起こしているユエがいる。その淡い褐色の瞳が一瞬期待を込めたように輝き、ダミアンだと分かるとすぐに曇ったのが分かった。どうやら目当ての人物ではなかったらしい。ダミアンは少しばかりむっとする。
「ああ、ダミアン。用事は済んだのかい?」
そう声を掛けてくるチカに生返事をしながら、椅子に腰かける。三日ぶりに目覚めたユエは少しやつれ、短く切られた髪と小さな体躯のせいでぱっと見た印象はまるで少年のようだ。
「体調はどう?喉は痛むだろうけれど、今治療できる医者を探しているから少し待ってくれるかな」
ダミアンの言葉にユエは目を丸くする。喉の治療をさせてもらえるとは思っていなかったようで、彼女は頭を下げ嬉しそうに微笑む。その様子を見たダミアンは気付かれないように息を飲んだ。あんな事件のあった後なのに、少年のようなどと批評した自分が馬鹿らしくなるほど彼女の笑みは変わらず綺麗だった。
ユエがきょろきょろと辺りを見回し何かを探している。どうした、と問うと何かを書くような仕草をした。どうやらしゃべれない代わりに文字を書くことで意思を伝えたかったらしい。
「後で筆記具を持ってこさせるから、今はこれで勘弁してくれるかな」
そう言って手の平を差し出せば、ユエは躊躇うことなく手を添え、逆の人差し指で文字を綴りはじめる。包まれた手に伝わる温かさにどきりとして、ダミアンは最初に書かれた文字の判読に失敗する。首を傾げたユエに「ごめん、もう一度」と謝り、今度こそと意識を集中した。
『ティハは、見つかりましたか』
ダミアンは僅かに眉をひそめる。ユエが期待していた人物に気づいてしまった。さっきまで感じていた胸の高鳴りが嘘のように収束して、代わりに苛立ちがざわりと広がったのが分かる。
「……ギードが探してくれているけれど、まだ見つかっていないんだ。行方が分かったらすぐにユエに知らせるようにするよ」
あの黒蜥蜴は庭にいるが、チカがいる手前おいそれとその存在を話すことはできない。そう自分に言い聞かせて誤魔化すように笑えば、ユエがほっとした顔をする。その表情に罪悪感を覚えつつ、ダミアンは「また来るよ」と挨拶をして逃げるようにユエの部屋を後にした。
しゃく、と枯れた下生えの草を踏む。中庭はすっかり夜の闇に覆われ、見張りに立つ騎士のためにと常時灯している明かりもここまでは届かない。そんな状況でも、屋敷に住み慣れたダミアンはランプを持たずともこの庭を歩くことができた。
「……いるんだろう」
漆黒の体躯は夜に溶け込んでいるが目を凝らせば何とか見える。声をひそめて呼べば、暗闇の中に金色の双眸が浮かんだ。
「……なんの、ようだ」
人とは思えぬ不思議な声。もちろんその正体は巨大な黒蜥蜴だ。話しかけてほしくないと言わんばかりの口調に、ダミアンは顔を顰める。
「何の用、とはとんだご挨拶だね。人の『ティハ』が急に失踪すれば、心配する人が出るのは道理だろう。ギードなど君を探して今夜も帰ってきていないんだ。それなのに……なぜ人の姿を取らない?」
それを聞いた黒蜥蜴は目を伏せる。ぐう、と唸ると小さく呟いた。
「ちからが、たりない」
「……力?」
「ユエをたすけて、ちからをつかいはたした。このみやこは……ちからが、すくない」
苦しげに言う黒蜥蜴。ダミアンはそれを聞いて、研究者なりに『力』が少ない理由を考える。
人が生む霊代が消費していると思われるのは『寿命』、いわゆる命だ。この王都は少なくとも二万人が住んでいるので人の命は腐るほどあるが、この黒蜥蜴の『力』には値しないらしい。それにもし人の命を使うというのなら、バルデムの屋敷であれだけ人を殺しているのに足りないというのもおかしな話だ。
であれば。この都市に無いもので黒蜥蜴はあの不思議な能力を補う『力』を補充しているはず。
ふと目線をあげれば、殺風景な庭を彩っていた常緑樹の葉が枯れ落ちているのに気付いた。根元には黒蜥蜴がうずくまっている。
『襲撃者は胸や腹を貫かれ死亡。少女は重傷を負った形跡があるものの、傷は見当たらず貧血の所見が見られる。また、森の一部が枯れ果て……』
ルーシェン領で読んだ、バシリカからの最初の報告書が脳裏に蘇る。
「……そうか。樹木、か」
ダミアンの呟きに、黒蜥蜴がぴくりと身動きする。それは正解、と言っているも同然だった。
この王都は石造りの街で、緑が極端に少ない。貴族や大きな商家の屋敷の庭にひっそりと設えられているのがせいぜいだ。大蜥蜴が回復できる場所はほとんどなく、またユエに固執していると思われる彼の行き着く所はダミアンの屋敷だけだった。
「ユエは、げんきか」
「……ああ。目は覚めたよ」
黒蜥蜴の問いに自然声が冷たくなる。研究者としての自分は『機嫌を取って情報を集めろ』と必死に囁いているが、それを私情が上回った。
「そう、か。……ちからが、もどれば、ユエたちをつれて、かえる」
黒蜥蜴の勝手な言い分に、ぷつりと何かが切れた。
「連れて、帰る?どこに連れて帰るというんだ?……彼女は殺人の疑いを掛けられ、処罰を待っている。簡単には動けないんだ。シュトカ村でも、ここでも、君が……人を殺したから!」
思わず声に力が入る。ダミアンの憤りに、黒蜥蜴は少し首を傾げただけで特に感情を浮かべることもない。
彼にとってはユエを助けただけで、「人を殺す」ということに対して罪の意識がないのだろう。人でないならば、それでも許される。だが、ユエは人の社会で生きる人間だ。人を傷つけることを厭わない蜥蜴を庇い続けることで彼女が被る別の被害をこいつは考えていない。
人は強い力を恐れ叩きつぶそうとする。若しくは渇望し手に入れようと牙を剥く。多勢や強すぎる権力の前に只人は無力で、残るのは自由を奪われる苦しみと死だけだ。ダミアンの姉も、そうだった。
「……いつ、力は戻るんだ」
ユエは自分の喉を自力で治せていない。傷を癒す力もこの蜥蜴のものなのだろう。
彼女自身は既出の契約者とそう大差なく、人を殺したのも別の存在だと分かれば拘束も解かれる。
「みっかもすれば、もどる」
さらりと告げられた言葉に、ダミアンは拳を握る。
期限は三日。それまでに、ユエを説得しなければならない。黒蜥蜴の存在を明らかにし、決別する選択をしてもらわければ。そうしなければ、ありもしない能力のせいでユエが裁かれるのは明白だった。
ご覧いただきありがとうございます。




