隠れる真実ともつれる糸
蜥蜴の背負っていた枝とも根ともつかない茶色い塊の中からひとりの少女が吐き出される。ユエだった。
どうやらこの蜥蜴が守っていたらしい。すぐさまムッカが抱きとめ、その無事を確認する。ダミアンも眠る彼女の胸が上下しているのを見てひとまずほっとするが、ひとつ気になることがあった。
「ティハだって……?」
思わず呟いたダミアンの言葉に、ムッカが自分の失言に気づく。うろうろと視線をさまよわせた後、表情を歪めてダミアンにすがった。
「お願い、このことは誰にも言わないで!」
「いいんだ、ムッカ」
少女の言葉を遮るように、金色の目を伏せた蜥蜴がたどたどしく喋る。
舌っ足らずなその言葉とは裏腹に瞳を見れば高い知性が宿っているのが分かった。腕を広げたよりも大きい巨体に圧倒されながら、思ったままを口にする。
「その……彼、ティハも、ユエの霊代だったのか?」
というよりも、そうとしか思えなかった。狼狽するダミアンを見て、蜥蜴はしばらく逡巡した後苦々しく呟いた。
「ちがう、おれは……だれのたましろでも、ない」
蜥蜴は自分が『ティハ』だという点は否定しなかった。しかし、「だれの霊代でもない」という言葉にダミアンは混乱する。
霊代は人の願いを受けて生まれるもの、というのが研究者にとっての常識だ。けれど、誰の霊代でもないというこの蜥蜴はこれまでの定説を覆している。しかも、なぜ人型を維持してまでユエに付き添っているのか、さらに言えば行方の知れなかった彼女の居場所がなぜ分かったのか、あらゆることがダミアンの理解の範疇を超えていた。
「どうなっているんだ?いったい、これは……」
声をあげた矢先、瓦礫の下の方で物音がした。どうやらレイナルド殿下の騎士達が敷地内に足を踏み入れたらしい。
それに気づいたムッカが慌ててユエを抱き寄せ、動こうとしない蜥蜴を揺さぶった。
「ティハ、とにかくこの場を離れて。あなたがここで捕まったら……」
言葉を切り、ムッカは眉を下げる。蜥蜴は眠るユエをじっと見つめた後、何かを振り切るようにぶるりと頭を振った。
傾いた太陽はすでに西の地平線に吸い込まれ、空は闇の色が濃くなっている。その暗闇に溶けるように漆黒の大蜥蜴は樹木を操り家々の屋根の向こうに姿を消した。
ムッカに聞きたいことは山ほどあった。これまで不可解な点の多かったユエに関するあらゆることが、あの蜥蜴に起因しているのは明白だったから。が、すぐにダミアンたちを探しに来た騎士たちに囲まれ、口を噤むしかなくなる。ここで「大蜥蜴を見た」と言っても証拠が無いうちは信じてもらえないだろうし、不用意に口にすべきでは無かった。
意識の無いユエを抱き上げ、驚くほど冷たい身体にぎょっとする。先ほどは息をしているだけで安堵してしまったが、近くで見た彼女の顔は青白く、美しかった白金の髪は無残に切り取られ血が付着していた。
この少女に、どれほどの無体を働いたのだろう。恐らく瓦礫に埋まっているであろうバルデム・ガスパルに怒りを覚える。
自分の着ていた上着で少女の身体を包み、騎士たちに促されるままダミアンはその場を後にした。
*****
バルデムの屋敷に居た人々は残らず死に、攫われたユエの衣服には血が付着しているのに外傷が見当たらないという不可思議な事件。
相手が犯罪者だったものの殺人を犯したのは変わらないとして、疑いをかけられたユエの霊代は拘束されることになった。本当は殺したのも傷を癒したのもティハであるはずだったが、それを立証する術はない。あの日以来、ティハは人の姿を取っていなかった。
ユエが目覚めたのは、事件の三日後。
「目が覚めたかい?」
枕元で本を読んでいたのは、本屋の女店主、チカだった。かけていた眼鏡を外すと、飲めるかい、と言って水を差しだしてくる。
牢獄で意識を失って以降の記憶が無いユエはコップを受け取りながら「私、どうなったのでしょう」と聞こうとして声が出ないことに気づく。少し痛みの残る喉に手を当て顔を顰めると、それを見たチカが痛ましげな表情になる。
「……喉を、焼かれたようだね。外傷はなかったようだけれど」
ここは、と口の形で聞くと、苦笑してチカが答えた。
「ダミアンの屋敷だよ。……ここは使用人用の部屋だから、ユエが知らないのも無理はないね」
使用人用、と聞いて納得する。窓の無い質素な造りの部屋は、ベッドと小さな机以外何もない。そこはユエが足を踏み入れたことのない場所だった。
チカは知っていることを話してくれた。
ユエを攫ったのはバルデム領主のガスパルで、すでに死亡したこと。王家に目を付けられていた犯罪者とはいえ、一領主であるバルデム卿を殺害した疑いのあるユエをすぐに投獄すべきだという意見もあったが、ダミアンの嘆願とレイナルド殿下の取り成しで監視を付けることを条件に屋敷での療養を許されたこと。また契約者と離れることのできない霊代たちも、屋敷内の別の場所で拘束されていること。監視に派遣された騎士の対応に追われた侍女から頼まれ、チカがユエの世話をしていること。
そして言いにくそうに付け加えられたのは、ユエを探しに飛び出したティハが屋敷に戻って来ていないことだった。
「逃げるような人には見えなかったけれど……まぁどこか抜けたところのある青年だったし、迷子になっているのかもしれないね」
首を竦めそう茶化すことで、チカがユエの気持ちを軽くしようとしているのは明らかで。心遣いに感謝してユエは微笑む。
本当は、いまだ色濃く残る痛みの記憶に怯える自分がいる。不安で寂しくて「どこに行ってしまったの」と叫び出したい気持ちでいっぱいだったが、それを押さえるだけの理性は残っていた。
ダミアンは紙束を抱え廊下を歩く。そのほとんどは研究所に詰める上司や同僚たちからの手紙で、「能力が再び発現したと思われるユエに関する報告書を送れ」というものばかりだ。彼女の身を案じるブラウリオからの手紙を除き、それらはすべて書斎の隅に放り投げている。
監視の任についている騎士とすれ違い、軽く会釈する。ふだん人の少ない屋敷のあちこちから人の気配がして落ち着かない。窓の外に目をやると、中庭の木々に埋もれるように黒い岩が鎮座しているのが見え、ダミアンは目を細める。
そう、あの大蜥蜴だ。うまく溶け込んでいるせいで庭の装飾の一部に見えているが、一度動いている姿を見ているダミアンにはすぐに分かった。ギードなど『ティハ』を心配して街中を探しまわっているのに、何を思って人の姿を取らずあそこにいるのか。今夜、人目の無い時間に話をしにいこうと決めていた。ちなみにムッカとはまだ話せていない。能力のはっきりしない彼女が一番厳しい監視下に置かれているのが原因だった。
ユエの様子も見に行かなければ。そう思って、ダミアンは踵を返した。
ご覧いただきありがとうございます。




