独り凍える指先に
ちょっと痛い描写が続きますm(__)m
「では、その拐かされた少女が、ユエ・カファロだったんだね?」
「はい。間違いありません。容姿が一致しています」
跪く家臣から報告を聞いたレイナルドが、紫苑色の瞳を伏せ考え込む。
はやる気持ちを必死に押さえながら、ダミアンはその憂い顔をじっと見つめた。少しでも気を抜けば、「だからユエはどこに攫われたのか」と問い詰めそうになるが、そんなことをすれば今度こそ騎士達に摘まみだされてしまうのが分かっているので懸命に口を閉じているのだ。
許しも得ずに声を掛けた無礼者として、ダミアンはすでに周囲の護衛達から警戒されている。時折刺さるような視線をもらっているのがその証拠だ。レイナルドの取り成しがなければとっくに排除されていただろう。
「レイナルド殿下、発言をお許しいただけますでしょうか」
焦るダミアンを見かねたのか、ブラウリオが口を開く。
「カルバハルの次期領主……確か、ブラウリオ、だったね。発言を許そう」
レイナルドは頷いた。ブラウリオは次期領主として王家主催の夜会にも多数出席している。たかが傍流のダミアンよりも、余程王家の覚えが厚かった。
ブラウリオが前に出た途端、騎士達の気配が気安いものに変わり、その影響力の違いに少なからず悔しさが募る。普段はまったく羨ましいと思わないその立場を得ている彼が、妬ましいとさえ思えた。
ダミアンは眉を寄せ俯く。こんなことは初めてだ。大切な人を救えない無力感が、こうも自分を卑しくする。
「ユエ嬢……ユエ・カファロを攫った者についてですが。殿下には心当たりがある、と思ってよろしいでしょうか」
「そう……だね。別件で追っていた相手なのだが、どうもそれと同一らしい」
「差支えなければ教えていただけませんか。ユエ・カファロは、我がカルバハル領の名士、レジェス・リームルバの直系の孫なのです。ここで救えなければ、私は彼に顔向けができません」
三つの領を繋ぐ大橋を擁するドゥルセは王都を凌ぐとも言われるほど活気のある街だ。その土地を牛耳る大商人リームルバ家の名は王都でも知られている。
レイナルドは一考する。そして情報を寄越した家臣に目配せし、指示を出した。
「ここでは衆目を集め過ぎる。どこか部屋を用意してくれないか。……そこで説明しよう」
はっとしたダミアンが周囲を見渡せば、研究所中の、と言っても過言ではないほどの人影がそこかしこで聞き耳を立てているのが嫌でも分かった。そんなことも気づかなかった自分に唖然とする。
行くぞ、とブラウリオに背中を押され、ダミアンは誤魔化すように腕の中の少女を抱え直したのだった。
*****
ずきり、と鈍い痛みを感じる。
次いで身を裂くような寒さに襲われ、ユエは目を覚ました。ガタガタ震えながら、固く冷たい床に手をつき身を起こす。
「……痛っ」
また痛みを感じて後頭部に手をやれば、乾き切らない血糊がべたりと張り付いた。殴られた時に出来た傷らしい。底知れぬ不安が心の内に広がっていく。
「ここ……どこ……?」
見渡す限り灰色の、ごつごつした石で覆われた部屋。唯一石のない一面には太い鉄格子が嵌められ、ユエの身長を二人分足しても届かないような高さに申し訳程度の小さな穴がひとつ空いている。通気口なのだろう、そこから風が微かに流れているのが分かったが、それでもこの部屋を満たすには十分な量ではなく重く空気は澱んでいた。
「牢屋……」
ユエには囚われるような心当たりは無かったが、ここは明らかに牢獄と呼べる場所だった。
冬のさなか、ただでさえ寒いというのに、石が発する冷気でまるで氷室のような有様だ。凍える手足を必死に擦って温め、持っていたハンカチを裂いて頭の傷を覆う。
「みんな……」
自身に手当を施すことで必死に平静を保とうとするが、上手く考えがまとまらない。こういう時こそ落ち着かなければならないのに、勝手に胸をせり上がってくる嗚咽と荒くなる息を押さえることができない。
この感覚にユエは覚えがある。これは、霊代達と離れすぎた時に起こる弊害。そう、自分は独りきりだった。
「おや、お目覚めかな?……自分で治療してしまうとは、さすが薬師、といったところだねえ」
聞き覚えのある声がして、ユエは弾かれたようにその方を向く。
「あなたは……広場の」
「やあ、今朝も会ったね。お嬢さん」
鉄格子の向こうで、笑みを絶やさないまま手を振る男。バルバへの手紙を預かってくれた、いや、鍛冶屋のブレンダによると有名な悪徳商人だという、広場に居た男だった。
正体を知っていれば、その笑顔がいかに薄ら寒い代物か知れるというもの。掴まれた腕の痛みを思い出して、ユエは後ずさる。
「まあまあ、そう警戒しなくても。ちょっと協力してもらいたいことがあってね。それさえ了承してくれれば、悪いようにはしないよ」
そう笑いながら鉄格子を開け、房に足を踏み入れる商人。きっちりと鍵を締め直すと、くるりと振り返った。
「ヨクーデルを送るように、君の師匠に手紙を出してほしいんだよ。そうだなあ……まずは薬百回分できるくらいの量を、三月毎ぐらいかな」
「なっ……」
ユエは空いた口が塞がらない。ヨクーデルは希少な薬草だ。一回服用する量を用意するのに、十束は必要になる。百回分とすればもちろん千束。一か所に群生するのがそれと同量だが、採取は一年に一度きりだ。それを三月毎など無茶にも程がある。ただでさえ自生する数が減ってきているのに、そんなことをしていればあっという間に絶滅してしまう。
「それはできませ……きゃああああああッ」
険しい顔で否定の言葉を口にした途端、太ももに熱い痛みを感じてユエはくず折れた。
「駄目だよ。君に拒否権はないんだからね」
商人の手に握られたのは、小ぶりのナイフ。それが、ユエの太ももに突き立てられていた。スカート越しに鮮血が滲む。
痛みを堪え切れず、ユエはひっ、ひっ、と過呼吸寸前の状態で太ももを庇うようにうずくまった。
「大丈夫、ちゃんと大きな血管は避けたから、死にゃあしないよ。それに君、自分で止血できるでしょ、薬師なんだから。……ああ、後さあ。ここ、住宅街で周囲の目が煩いから騒がれると困るんだよね。これ飲んでくれる?」
なんでもないことのように言った商人は、懐から小瓶を取り出す。そしてユエの顎を掴み、どろりとした中身を有無を言わさず喉へ流し込んだ。
「……ぐ?!」
溶解した鉄を飲んだかと思うほどの灼熱感。苦しさに涙が次々とあふれ、激しく咳き込む。何故、自分がこんな目にあっているのだろうか。嗚咽が漏れるが、薬で焼かれたユエの喉はひゅうひゅうと音が鳴るだけで声にならない。
それを見た商人はさして顔色を変えることもなく、むしろ感心した様子でユエをしげしげと観察している。
「やあやあ。バルデム卿の薬は良く効くなあ。あの年でこうして周囲にばれないよう何人もの女を抱き潰してきたというんだから、恐れ入るよ。……じゃあ、また後で来るよ。それまでに手紙の件、考えておいて」
牢獄にそぐわない軽い口調でそう言い残し、商人は倒れ伏すユエのいる牢獄を後にした。
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