香る予感は茨とともに
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眠れと囁く闇を振り払うかのように、どこか享楽的な灯りが煌々と輝く街。
「ねえ、寄ってかない?」
「安くしとくからさあ」
豊満な身体を惜しげもなくさらした女達の誘いを適当にあしらいながら、髭面の男は目当ての店へと進む。
まだあるのだろうかと不安になりながら二十年ぶりに訪れた王都の歓楽街。その隅の分かりづらい場所に古びた樫の扉と簡素な看板が下げられたひとつの店があった。ほっと安堵の息を吐き、扉に手を掛ける。ぎしり、と扉は唸るようにひとつ軋むと、カランカランと入店を知らせるベルが控え目に鳴った。
「……いらっしゃい」
記憶にある姿よりも衰えた様子のある店主。しかし動きは機敏で卒がなく、それでいて落ち着いている。以前はいなかった若い男の店員がいそいそと寄ってきて、ギードに席に着くよう促した。それに頷きを返して慣れたテーブル席に座る。
ひとりなのに四人掛けのテーブルに座ったギードを若い店員は訝しんだようだったが、店主はそれで彼のことを思い出したのか少しだけ目を見開き、店員に「構わない」といったような仕草をしてみせた。
過去の記憶を辿るようにまずビールを頼み、一息つく。暖かな店内の空気に触れ水滴の浮かびはじめたグラスは二十年前と同じだが、そこに映る自分はすっかり様変わりしていた。
護衛騎士として身だしなみを気にしていたあの頃には考えられなかったようなざんばら頭だし、精悍で色気があると評されたことのある顔はすっかり焦げ茶の髭に覆われ、大抵の子供ならば泣きだしてしまうような有様だ。何より目尻に浮かび始めた皺が過ぎ去った年月を物語っている。
今日は気分が優れず、どうしても酒が飲みたくなってここへ来た。理由が昼間の一件にあることは明白で、少女の陰った瞳が何度も脳裏に過る。ひとりで静かに飲みたい気分だったが、少なくない知り合いがいるこの王都では場所も限られてしまい。
結局、騎士団の連中のいる可能性の低い、かつ自分の知っている店はここだけだった。
「……おや。めずらしい人がいると思ったら、随分と湿気た面をしているんだね」
ふいにかけられた声に頭をあげると、正面に線の細い女がいた。あの頃と何も変わらない、いやそういえば当時は眼鏡などかけていなかった、とにかく色白で気配の希薄な友人。
「……チカ」
「王都に帰ってきたならば挨拶くらいしにきたらどうだい?まったく」
するりと向かいの席につき、当たり前のように店員にリキュールを頼む。健康面に気をつかってか昔から薬草や果実を使った蒸留酒を嗜んでいたが、それも変わらないらしい。昔はここにもう一人、共に食事を楽しむ女性がいたが、彼女はすでにこの世にいない。
「むさくるしい髭だね。それじゃあ女性が寄ってこないだろう」
「……女避けなんだ。お前こそ、眼鏡なんて掛けてなかったろう」
「書いた本が売れて小金ができてね。近頃近くのものが見えづらくなったから買ってみたんだよ」
眼鏡はただでさえ高価な硝子を特殊な技法で磨く必要があり、庶民にはなかなか手が届かないものだ。それをいじりながら、私も年かな、とおどけたように言うチカ。自分に皺ができたのと同じく、見た目はまだまだ三十代で通りそうな彼女にもそんな悩みがあるのかと思うと笑いが込み上げてくる。時は等しく皆を変えていくのだ。
誤魔化そうとビールを呷り、それでも堪え切れずに肩を震わせるギードを見てチカはほっとしたような顔をした。
「……笑えるなら、大丈夫だね。ラウラのこともあったから、もう王都へは戻ってこないものだと思っていたけれど」
「……まあ、ちょっと野暮用で。今はダミアン様のところに世話になっている」
ギードが歯切れ悪く言うと、普段は眠たげな目をめいっぱい広げてチカが驚いた顔をする。
「あの子のところにかい?……君のこと、知っていたっけ」
「いや、知らない。ビクトル様には挨拶したけれど奥方とダミアン様はまだだったし、何より三歳かそこらじゃ覚えていないだろう」
「じゃあ何も言ってない?」
「……そうだ」
ギードが死んだ姉の元婚約者だと告げたところで、何が変わるというわけでもない。言う必要もないだろう。そうぼそぼそと自分の考えを話すと、チカはふうん、と呟いて首を傾げた。
「じゃあ……君が戻ってきたのは、あの女の子たちが原因かな?」
女の子たち、と聞いて、ギードは少し驚く。
「……会ったのか」
「ダミアンが私の店に連れてきたんだよ。ユエと、連れの……ムッカといったけ、小さな女の子の方が私の本を好いてくれているみたいでね。可愛い子たちだね」
ギードは口をつけようとしていたグラスをテーブルに戻し、チカを見た。
シュトカ村のユエの家で見た料理本の作者名。なんとなく気になってはいたが、あれはやっぱりチカだったのだと今更ながら気づく。
「ところで……彼女達は君の子かい?」
にやついた顔で茶化すチカ。それに渋い顔をしたギードはぶっきらぼうに答える。
「そんな訳ないだろう。……向こうでできた、友人の、子供だ」
深くは説明できずに言葉を濁すが、チカはそれに気付かなかったようだ。
「そう。……ダミアンと、上手くいけばいいのだけれど。あの子もせっかく王都に来たというのに最初の四年は資料とにらめっこ、その後の三年は彼女も作らず研究ざんまいだったみたいだからね。世話役の人がラウラの元侍女でよく相談にくるのだけれど、婚期を逃すんじゃないかって、それはもう心配していたよ」
世間話でもするようにつらつらとチカが並べ立てた言葉。ギードは目を瞬いた。
「……ダミアン様と、誰が上手くいけばいいって?」
「なんだ、気づいてなかったのか。ユエだよ。ダミアンの様子を見ていればわかるじゃないか。あれは恋する目だったよ」
嬉しそうに笑うチカ。弟のように可愛がっていた青年が迎えた遅い春に喜びを隠せないのだろう。
しかし、それとは正反対に、ギードの胸の内に苦い物が広がり始める。ユエは、駄目だ。それでは、自分達と同じ顛末に成りかねない。応援するな、と言いたいが霊代の件を詳しく話すことは許されていない。それ故、チカに言うこともできず。
さあ、飲みなよ、と新たなビールのグラスを差し出してくるチカに固い笑いを返しながら、ギードは動揺を必死に隠していた。
*****
翌日。夜更かしの所為で昼前に目が覚めたユエ。寝坊してしまった、と慌てたが、事情を知っている者しかいないこの屋敷でそのことを咎める人はいなかった。
「……皆、いないのね」
霊代達を含め、ユエに気を使ってか姿が見えない。
昨日、ギードから聞いた話。テンが話してくれた、父の故郷であるフォマー帝国のこと。
「おじいさまは……知っていたのかしら」
『北方の、凍えるフォマーの色』
庭で話したあの夜、そうユエの髪色を評した祖父。あの時はわだかまりが溶けた嬉しさからすっかり聞き流してしまっていたが、確かに『フォマー』と口にしていた。
「……お手紙、書かなきゃ」
祖父の知っている、父と母のことが知りたい。でも、聞いていいのか分からない。
そんな気持ちを抱えながらユエは机に向かい、迷いつつ筆を進める。しばらくして、結局当たり障りのないことしか書けなかった、と落ち込みながらも最後は丁寧に封をして立ちあがった。
「天気……荒れそう」
ふと窓の外を見れば、どんよりと厚い雲が空を覆っている。今にも泣きだしそうな気配に、ユエは慌てて外套をはおり廊下へ出た。
王都周辺ではもうすぐ雪が降るらしい。そうなれば輸送が一気に難しくなり、手紙を配達してくれる行商人も少なくなってしまう。
「少しの距離だし、大丈夫よね」
ダミアンの屋敷と行商人の集まる広場はそれほど離れていない。
以前、師匠のバルバ宛ての手紙を出した際にそのことに気づいていたユエは、霊代たちのことをそれほど心配していなかった。それに、本当に危険なほど離れた時はムッカの時のようにユエにも何か変化が感じ取れるはずだ。
屋敷を出ることを世話役の老婆に言付け、ユエはひとり屋敷を離れた。
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