流れに逆らうものは
■この小説は平日18時更新予定です■
夜、馬車の中で横になりながら、ユエはふと思い出す。
シュトカ村を出る前夜、剣塚で起こった事。
あの、小さな子供の声は、レオの祖母を母と呼んでいた。それはおそらく、四十年前に殺されてしまった女の子―……ジークの、姉ということになる。霊代が過去に人だったものならば、ムッカにも人だった頃があったのだろうか。
「……ねえ、ムッカ。あなた、霊代になる前の記憶ってある?」
寝てしまっているなら、それでもいい。そう思って躊躇いがちに小さく問いかけると、まだ起きていたのか闇の中でごそごそとムッカが動く音がする。
「霊代になる前?」
しばらくして聞こえたのは、暗くて表情は見えないが不思議そうな声音だった。
「そう」
「そんなの、無いわよ。ユエと初めて会った、あの日が『あたし』の最初。……料理のこととか、ユエのこととか、はじめから知ってる事もたくさんあったけど、別にそういうものだって思ってたし」
そうあっけらかんと言って、ムッカはふふっと笑みをこぼす。
「いきなり、どうしたの。あたしはあたしよ」
「……うん。そうよね。なんでも無いの。お休みなさい」
「おやすみー」
軽く返した彼女は、すぐに寝息を立て始めた。
ユエは一人瞠目する。なんて浅はかな期待をしてしまったんだろう。
……お母さまだったら、なんて。
「あたしはあたし」そう言った彼女の言葉が胸に刺さる。『ムッカ』という個の存在を否定してしまったような気がして、しばらく罪の意識で寝付けなかった。
そんなユエの隣に、そっと寄り添うものがある。手を伸ばすとテンのふわふわの毛に触れた。
小さな背を撫でていると不思議と気持ちが落ち着く。気を利かせたのか偶然かは分からないが、白イタチの気紛れにユエは少し感謝した。
*****
馬車が付け根の街チェッタに着く頃、ようやくユエのクッションは完成した。船の帆に使われる頒布が予想以上に緻密で分厚かったのだ。確かに丈夫なのだろうが、針をいちいち親指の腹で押し込まなくてはならなかったので皮膚に点々と赤い跡が残ってしまった。
たっぷりと綿を詰めたクッションを満足げ抱きしめ、いそいそと馬車の床に設置しようとしていると、ギードが幌の中をのぞいて眉を下げた。
「あー……。言いにくいんだがな。チェッタから領都ブノワまでは船を使う。だから、この馬車は一旦売り払う予定だ」
ぽりぽりと頬を掻く彼を凝視して固まるユエ。その手からぽとりとクッションが落下した。
一度もユエの尻に敷かれることなく宿に持ち込まれたクッションには、テンが悠々と寝そべっている。頬杖をつき器用に五本指で果物を摘まんでかじっているので、見た目は自堕落な王様といった風情だ。
「まあまあ。こうやって活用できてるんだし、そう落ち込まないで。弾力も申し分ないよ?」
ぼふんぼふんと跳ねてみせるテンの首根っこを掴んだムッカが低い声を出す。
「あんたねえ。船使うって分かってたんなら、ユエに教えてあげなさいよ」
「ええー?だって、聞かれなかったし」
「……オレにも、教えてほしかった」
俯く黒髪の青年は、その雰囲気さえも退廃的で美しい。実際は予期していなかった馬達との別れにしょんぼりしているだけだとしても、外からは憂う貴人に見えるのだ。おさげ髪の少女がただ肩を落としているのとは訳が違う。ユエは横目でそれを見てまた溜め息をついた。
その後開かれたテンの講義によると、チェッタは内陸から半島の付け根にかけて流れる川の河口にある街だということだった。確かに、バシリカの街から海沿いに延びた道を進んできたし、チェッタに着く直前には馬車の中から川らしきものが見えた。
「潮の干満を利用して、川を遡上するんだ。だから、それに合わせて船の出発まで宿で暇つぶししてるってわけ。ちなみに、ブノワは二本の川が合流する中州にある面白い都だよ」
今は夜も更けた頃合い。次の干潮は早朝で、そこからだんだんと満潮になるにつれ川に逆流する水と風を利用して、上流にあるブノワまで一気に駆け上がる。
―……領都ブノワ。あまり良い記憶の無い街だが、仕方ない。そこに寄らなければ旅の資金だってもらえないし、領境を越えるための旅券だって発行できないのだ。
*****
「お嬢ちゃんはどこから来たんだい?」
翌早朝。船着き場で待っていると、気の良さそうな船頭が声を掛けてきた。
若い女の子がいる集団はユエ達だけで、声をかけやすかったのだろう。すでに何人か順番待ちをしている人がいるが、皆暇そうにしている。今は乗船手続きに向かったギードを待っているところで、少し離れたところでは見張りの役人がちらちらとこちらを見ていた。
「シュトカ村からです」
「おお、そうかい。あの村ができてから、チェッタに結構な人が出入りしてるんで助かってんだよ。バシリカの海産物だけじゃあ、ここまで人は集まらないからなあ」
嬉しそうに言った船頭は破顔する。
シュトカ村やバシリカに行くには必ず通ることになるうえ、川を遡上すれば領都ブノワや王都に向かう別の川への合流地点があるので、ここチェッタは近年交通の要所になっていた。シュトカ産の薬草も基本的にこの街で取引されることが多いという。朝靄に沈む川沿いにはいくつもの宿や食事処が並んでいるのが見えた。
「そうですか。そう言っていただけると、嬉しいです」
「そういえば、ちょっと前に盗賊が村に入ったって聞いたんだが。大丈夫だったのかい?」
「えっと……」
応えに窮したユエを助けるように、ムッカが明るく笑う。
「少し怪我をした人もいたけど、盗賊は自警団が倒してくれたから大丈夫よ」
「そりゃ良かった。自警団様々だなあ」
乗船が始まって、船頭は人々を誘導するために戻って行った。
ユエ達は人数が多かったのでひとつの船に乗り込む。役人だけは所在なさげに船頭のいる舳先に収まったが、一行は中程に腰を下ろした。ギードはすっかりムッカに慣れているので問題ない。
「さっき、『シュトカ村に盗賊が入ったんだろう』って聞かれたわ。あいつら、領主様の書状を持ってたから盗賊じゃないでしょ。どうしてそういうことになってるの」
ムッカが機嫌悪く問いただす。肩をすくめてみせたギードはちらりと役人に目をやった。役人は船頭と話しこんでいてこちらを一切見ていない。それを確かめると、少し声を落とした。
「領主の遣いがあんな横暴をするわけがない。あの程度の連中が領中に遣わされていたら、あっという間に評判はガタ落ちだ。……あの書状は、バシリカの街で奪われ悪用されたんだ。だから今回の落ち度は全面的にバシリカ側にある。建前上、見張りということになっているが、直接領主様に弁解したいのもあってわざわざ俺達に同行してるのさ」
大事な命令書を奪われたということを直前まで隠すために、書状と男達の関係は伏せられたらしい。結局真実を知っているのは口の堅い自警団の面々と、バシリカの役人だけだ。村の人達は避難場所に集まっていたので直接見聞きしていない。
『偶然現れた盗賊が少女に危害を加え、霊代が生まれた』
本当のことはどうであれ、人々に知らされた表向きの情報はこうだ。
霊代が生まれると土地に人が寄りつかなくなってしまうので、村人達はそのことを口外しないよう努める。結果、盗賊が村を襲った、という話だけが外部には伝わっているのだ。
渋い顔をしたムッカは腕を組むとじっと川面を見つめた。幼い見た目なのに、少女らしからぬ表情で考え事をしている。
その横では、初めて船に乗って興奮したティハが船縁から身を乗り出していて、テンが彼が落ちないように後ろからシャツの裾をくわえ一生懸命引っ張っていた。
その努力は買うけれど、落ちる時はきっと一緒になって落ちてしまうわね、とユエは苦笑した。
今日はまにあった!!
でへへ……よかったよー(@_@)
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