ルーシェン領主の悩み事
まだ太陽がぎらぎらと輝く昼間。
寝不足で痛む目に刺さるその明るさに苛々しながら、ルーシェンの領主、アルトゥロ・ルーシェンは執務室で机上の資料を眺めていた。
それは前年の冬までの領地の徴税結果を示した書き付けで、春の間に役人たちがまとめ、夏に入り始めたこの時期にアルトゥロの手元に上がってくるものだ。
チェッタ、ブノワ、バシリオと大きな街からの納税額が占める割合が大きいのはアルトゥロの一族がこの地を治め始めたここ百年ずっと変わらないが、暖かな南の地であることが幸いして整備を進めた農村地帯からの額も年々上がってきている。
成果が出始めた自らの政策に内心胸を撫で下ろしたアルトゥロはさらに資料を読み進める。
そこで、シュトカ、という文字が目について視線を止めた。
領地の南端に位置するシュトカ村は規模としては小さな村だが、特殊な立地がもたらす質の良い薬草という生産物によってここ数十年で税収がめきめきと上がっている。
村近くの森を囲む断崖絶壁の所為で一番近くの街からも馬車で四、五日かかる僻地だが、『薬師』という、他の領地であれば大きな街に二、三人いればいい方だろうという貴重な職に就いている者が大勢集まる、異常な土地だ。
本当のところはその村の全ての『薬師』と呼ばれる人が逐一患者を見る仕事をしている訳ではないので、どちらかと言うと『薬草を売り買いするために知識を身に付けた者』と言った方が正しいのだが、外部からすると『薬師』が大勢いるのとそう対して変わらない。
しかも、他領の薬師達にも珍しい薬草が手に入ると噂が広まっているようで、わざわざ遠くから足を運ぶ者が相当数いるのも確認されている。
それがまた、あの土地に薬の知識が集約されるという結果をもたらしているのだが、それはもう致し方ない話だろう。
一度資料から目を離したアルトゥロは眉間を指で揉みほぐす。
昨夜は王都からの客をもてなしていた所為であまり眠れていない。少し休憩しようかと思案していると、タイミング良く執務室の重厚な扉がノックされた。恐らく、執事だろう。
「入れ」
声をかけると案の定、「失礼いたします」と白髪頭の執事が茶の支度をした盆を持って入ってくる。
そして扉の前で一度頭を下げると、いつものように執務机の側に寄り紅茶をカップに注ぎ始めた。
「お疲れでございますね。……昨夜の、お客人とのお話はいかがでしたか」
アルトゥロが初夏に合わせてブレンドされた、すっとした清涼感をもたらす紅茶を含んでため息をつくと、それを見た執事が労わるように声をかけてくる。
この執事も昨夜は遅くまで自分と一緒に客をもてなし、朝早い見送りにも立っていたはずなのだが、年老いた見た目とは裏腹に一向に疲れを見せることはない。
「ルーシェンの農作物を仕入れる代わりに、薬師を自分の領地に都合しろと相変わらずうるさいよ。……まったく、勘違いされても困る」
アルトゥロは嫌そうに眉を顰めた。
最近は特にこういった客が増えてきた。交友を深めたいと表向きは近寄ってくるが、蓋を開ければ薬師、薬師としつこい程に迫ってくる。
そうやって何の努力もせずに欲しいものを欲しいと言えるのは子供だけだというのに、まったく嘆かわしい。
「……そうでございましたか」
執事はわざわざ聞いてきた割に、予想通りというような顔で相槌を打った。
まず、他の領地の薬師はそう儲かる仕事でもない。
遠くから運ばれ高くなった薬を自ら仕入れるのに、人道に基づいて安い診療費で人を助けるよう国から推奨され、そのうえ人口に対する薬師の数が少ないために寝る間も惜しんで患者の面倒を見なければならない。
それを村を訪れる他領の薬師から聞いていれば、そう簡単にシュトカ村を、引いてはまだ待遇の良いルーシェンからも、人々は離れようとしないだろう。
なにも、あの村の薬師全てが患者のために動いている訳ではないのだ。村が出来た当初は志の高い薬師もいたかもしれないが、五十年も時を経れば皆暮らしのため、家族のために働いているに過ぎない。
「まったく、本当に薬師が欲しいなら、助成金を組むなり、数年かけて育成するなり計画を立ててから話を振ってほしいよ。他の品を買ったからと言って譲るものではないと、口酸っぱく言っているのだが」
アルトゥロは首を振った。
計画を考える頭がある領地にはこちらも指導役の薬師を募集するなどして援助しているが、はなから薬師を消耗品と思って譲れ譲れと声高に主張する輩に協力するつもりもない。
そんなことをして薬師が過労死でもすれば、今度はルーシェン領内から不満が噴出する。
薬草の恩恵に預かっているのは単に儲けているシュトカ村の人だけでなく、品を売り買いする商人や、ルーシェン領内を横断するように流れ込む他領からの旅人に宿や食事を提供する街道沿いの町々、それから安い金額で高度な医療が受けられる領民、と、その範囲は無視できないほど広い。
そのようなことをぶつぶつと呟いていると、アルトゥロの愚痴に同感だというように頷いていた執事がふと口にする。
「そういえば、シュトカ村に行っていた商人が久々にヨクーデルの葉が手に入ったと言って持って参りましたよ」
「……本当か!!」
アルトゥロは机を打ちつけて立ち上がる。
机に乗ったカップが激しく音を立て紅茶がこぼれたが気にしなかった。期待に胸が高鳴り、さきほどまでの憂鬱などもうどこにも感じない。
ヨクーデルの葉と言えば、使えばどんな不能も治ると言われる強力な精力剤の薬草だ。
お盛んだったアルトゥロの祖父などはこれを使って終生現役を貫いていたものだったが、近年は薬草自体の数が減ってそう簡単に市場に出回らなくなっていた。
そして、この薬師くれくれ騒動で精神的にまいっていたアルトゥロはここ最近役目を果たせず、多いに悩んでいたのだ。
これで、妻からの冷たい視線に終止符を打つことができるに違いない。
ストレスの原因が薬師なら、それを治してくれるのも薬師が調達した薬草。
よくできているものだとしみじみ思いながら、アルトゥロはいそいそと執事に今晩用意するように指示を出す。
長年彼に仕えている執事はもちろん心得ていて、「すでに買い占めておりますので屋敷付きの薬師に調合させます」と素晴らしい笑顔で答えた。
休憩前とは打って変わって精力的に執務に励むアルトゥロは、補佐をする執事と話をしながら業務を進める。
「……という訳で、ヨクーデルの葉のありかを知っているのは村随一の薬師だそうですよ」
「そうか。なら、今後もその者に話を通せば融通してもらえるのだな」
「それが、なんでも相当頑固なご婦人なようで、そう簡単にはいただけないようです。もともと数が減っている薬草ですので、採集量を減らし守りたいという思惑があるのかも知れませんね。今回は可愛がっている弟子の結婚資金のために特別に放出したとか」
「……なるほどな」
書類の内容に目を通し、サインをする、という行為を淡々とこなしていく。執事はサインが終わった書類を一時的にインクが乾くまで広げ、その後分類し箱に収める。
アルトゥロはあくびを噛み殺した。この退屈な作業はおもしろい話でも聞いてないと眠くてやっていられない。
「何か、愉快な話はないか」
アルトゥロの無茶ぶりにも、そうですね、と執事は至極真面目に答えようと思案する。
「……シュトカ村でおもしろい噂がありまして。ちょうど、ヨクーデルを持ってきた商人から聞いたのですが」
そこまで言って、もったいぶるように執事は一拍呼吸を置いた。
「犬たちが騒ぐ満月の晩に、大人が両腕を広げたような大きさのトカゲが村に現れたんだそうです。それも、あの森では見られない狼を連れていたそうですよ」
「……ほう」
トカゲ、と、狼。何とも奇妙な組み合わせだ。
しかし、あの暖かな森には昔から奇妙な生物が多く見られた。シュトカ村の者にとっては見慣れたものなのだろうが、外部から訪れたものは決まってその色や形に驚く。
アルトゥロの伯父などは変なものが好きで、一時期あの村に足を運んでは奇抜な色のヘビやらトカゲやらを持って帰ってきて、その度に祖母が悲鳴をあげていた。
アルトゥロはサインする手を止めた。
……そういえば、王太子が王都の外れに趣味で巨大な温室を作っていたな。
一般市民にも開放する施設にすると豪語していたから、目玉になるような世にも珍しい大トカゲを献上すれば、大臣どもが難色を示している農地改革の予算に口添えしてくれるかもしれない。大トカゲが見つからなかったとしても、色の綺麗な鳥でもいれば喜んでもらえるか。
「……そうだな。久しぶりに、シュトカ村に人を派遣するか」
徴税も特に問題なく、独自に自警団まで保持しているためにシュトカ村に調査が入ることはほとんどない。
この機会に一度目を通しておいてもいいだろう。アルトゥロはそう判断した。
「……そういえば、あの村は四十年ほど前に霊代を生んだ土地でしたね。塚が築かれていますから、そろそろ確認しておいた方がいいかもしれません」
執事が書類を箱に収めながら助言する。
霊代が生まれたのはアルトゥロが生まれる前の話だが、一度そういった事が起きた土地には王都から監査がたびたび入る。霊代を生んだ人物が死んで四十年も経っていれば、その頻度は無いにも等しくなるものだが機会があるなら記録に残しておくべきだろう。
何しろ、統治者にとって霊代は良くも悪くも世間を騒がせる厄介ものなのだ。
四十年前は人を殺す力を得たというが、国でも有名な物語には水や、火を操る、人を癒し蘇らせる、というものもある。それに眉つばものに違いないが、時を超えたなんて伝説すら存在する。
なかでも霊代を得た人間が死に至るという点は共通していて、人々はその人知を超えた力に焦がれながらも、実際に死をもたらすその存在が現れると極端に恐れを抱くのだ。契約者が死んだら、次は自分が命を喰われるのではないかと。
「そうだな。塚の確認も、項目に追加しておこう」
国はこの契約を人が死ぬことなく管理できれば大きな力を得られるとして研究しているが、成果はそう芳しくないという。
それでも、年間ひとりかふたりは王都に召喚される霊代の契約者が出るというから、領地を管理するアルトゥロも人ごとではない。確認でき次第中央に送らねば、義務を怠ったとして多大な罰金を科せられるのだ。
新たな書類を引き出しから取り出し、アルトゥロはシュトカ村への派遣の詳細を記しはじめた。
初めて舞台が森or村を抜けだし、物語が少しずつ動き始めます。
でも、ちょ…っと説明が多すぎたかなーと反省…。
ちょっと男くさいのが続いているので、次回は女子会の予定。
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