偽おおかみと少女はほらを吹く
朝日がまぶしい爽やかな朝。
ユエは村の入口を見張っている自警団のひとりに、にこやかに手を振った。反対の手にはいつもの籠を下げている。
「おはようございます」
「おはよう。お出掛けかい?めずらしいな」
運がいい。ユエは胸を撫でおろした。
今日の見張り当番はバルバによく薬を注文するギードのようだ。
「外から親戚が遊びに来るので迎えにいくんです」
「……そうなのか!それこそおじさんは驚きだ。ユエには付き合いのあるご親戚がいたのか」
ギードのあご髭を蓄えた厳つい顔が驚きの表情を見せる。
そうなのだ。連絡を取り合うような親戚がいるなら、両親が亡くなった時にユエを迎えにくるなり何なりしているはずなのだから、ギードが驚くのも無理はないだろう。
ユエは内心冷や汗をかくが笑顔は絶やさない。
「まだ連絡を取りあったばかりなんです。その人も薬師で、薬草で有名なこの村に興味を持ったんですって。……それに、母方の親戚だから最近まで私のことを知らなかったみたいで」
「……ああ、いいよ、いいよ。話しづらいこともあるよな」
知らなかったみたい、というところでユエが悲し気に目を伏せると、ギードは勝手に色々と憶測したのか慌てて気にするなと手を振った。
ユエの母が勘当同然で嫁いできたことは村の皆も周知の事実だ。父親も元々流れの商人だったのが村に居着いてしまった人なので、ユエは親戚どころか祖父母というものにも会ったことがない。
「まあ最近は盗賊達も大人しくしてるみたいだから大丈夫だろうとは思うけど、外に出たら充分注意するんだよ」
「はい。ギードさんも、お仕事頑張ってくださいね。……そうだ、滋養強壮に良い薬草が採れたので、また薬が出来たら試してください。お安くしておきますので」
「もちろんだよ。例によって怖ーいバルバの婆さんには内緒で、だろ?」
おどけた仕草をするギードにユエはひとしきりくすくすと笑うと、じゃあ行ってきます、と手を振りその場を離れた。
街道を進み、村の入口が見えないところまで来るとユエはきょろきょろと辺りを気にする。誰もいないのを確認して脇の潅木に飛び込むと、人の目が届かないところまで入り込み周囲を注意深くさぐる。
そこまでして初めて、ユエはポケットにいる霊代達に声をかけた。
「……出てきてもいいですよ」
ぴょこん、とちびトカゲが顔を出す。おたまは私が出ても仕方ないとばかりに沈黙している。
「手早く準備しましょう。もうすぐ街道を行き来する人が増え始める時間ですから」
こくりと頷いたちびトカゲがぱっと地面に飛び降りる。ユエは籠から服、ブーツ、日除けの外套、背嚢など旅装一式を取り出すとちびトカゲの側に置いた。
これは全て商人だった父のものだ。ちなみに下の服は裾が短いとおかしいので昨日のうちに丈を足しておいた。ブーツの時は裾を入れるのが普通なので見えない部分だが、何かの際にぼろが出るのも困るので手は抜かなかった。
「他のものは付けるのを手伝うので、服を着たら声を掛けてください」
そう言うといつものようにユエは後ろを向く。ティハが大きくなった気配がして、ごそごそと衣擦れの音がし始める。
しばらくして、まだかな、とユエは首を傾げた。
用意したものは街の人らしく綿のシャツに濃い色に染められた汚れが目立たないズボンで、形は以前から着ているものとほとんど変わらないはずだ。何を着るのに手間取っているのだろうか。
「出来たぞ」
振り向きたいのをぐっと我慢していたユエははっとしてティハの方を向く。
「どうだ。昨日の夜、ムッカに教えてもらって、練習しておいた」
むん、と誇らしげに胸をはった美男子がいた。
シャツはきちんとボタンが掛けられているし、ズボンの裾もブーツに仕舞われている。日除けの外套も首元の留め具をはめて羽織っているのが様になっている。
同じものを着ているはずなのに、父とティハでこうも違うかと言いたくなるほど見栄えのする姿だった。
正直に言うとボタンのかけ間違いくらいはあるかと思っていたのだが、それどころかティハは昨夜のうちに一通り自分で着られるよう試していたようだ。
上から下まで感心したように見ていたユエが、やっぱり詰めが甘いのがティハらしい、と最後にしゃがみ込む。
「なんだ?」
きょとん、としているティハの足元。
ユエはブーツの靴紐を一度解くと丁寧に結び直す。惜しいことに、縦結びになっていたのだ。旅装とはいえせっかく素敵に仕上がっているのにこれは勿体無い。
これで良し、と満足してから、あ、と気づいた。
……よく考えたら、多少格好悪いところがあって女性たちに幻滅された方が煩わしいことが減ったかもしれない。
そう思ったが、今更遅い。
すでにティハはうきうきしながら背嚢を背負って街道に飛び出していくところだった。
ユエはため息をつきながらその後を追った。
*****
結論から言うと、予想以上だった。
バルバの家にたどり着く頃には、もう何度繰り返したか分からない説明のせいでユエは舌がもつれて回らなくなっていた。代わり映えのない村の毎日に退屈した人々は恐ろしい。つい先日の、大トカゲとお供の狼の話なんてどこかに飛んでいってしまったのではないだろうか。
「ねえ、ティハ様、今夜私たちとお食事に行きませんか?こんな田舎の村なのであんまり美味しいお店はないんですけど……」
「あ、なんなら、私の家で作って差し上げましょうか」
「ちょっと!抜けがけしないでよ」
周囲でうるさく話しかけてくる人達がいるが、それを相手にする元気もない。ああ、これはティハに話しかけているのか、なら私が返事しなくてもいいわよね、などどユエは現実逃避気味だ。
ティハは生まれて初めて多くの人間に囲まれた所為か表情が固くなり、いつもはよく動く口が言葉を発しなくなっている。それが硬派な魅力を醸して、またお姉さま方の狩猟本能に火を付けているのだが、まあ本人が気づいているはずもない。
ユエはうんざりした顔で女性達に向き直る。このままではバルバの家の中まで付いて来そうだ。
言外に、どっかいけ、と伝える。
「あの、これから師匠に用事がありますので。皆さんもお仕事があるのではないですか」
「あら!それなら、ユエだけ行けばいいじゃない。ティハ様にはその間、村を案内しておくわよ」
……様ってなんなの、様って。領主じゃないんだから、とユエは眉をしかめた。
朝から人に付き纏うばかりで肝心の仕事はどうしたのかと聞いているのに、それに答える気もないらしい。
女性陣の先頭を切っているアイーダは相当強気だ。麻のワンピースの胸元がボタンひとつ余計に開いている気がするのは気のせいじゃないだろう。つい昨日までルイの後をついて回っていたのに見事な変わり身で恐れ入る。
というか、この村の女性達はちょっと積極的過ぎると思うのだが、他の村や街もこんな感じなのだろうか。
「こんな子供臭い娘と一緒なんて、ティハ様も退屈でしょう?私達と一緒に行きましょうよ」
アイーダが豊満な胸を見せつけるようにティハに近寄り、上目遣いでねだる。ティハは親戚だと言っているのに、身内であるユエの悪口を言うなんて馬鹿なのだろうか。
ユエはかちり、と頭が切り替わるのを感じた。
「薬師である私とティハは、薬師の師匠に用があるんです。仕事の話だということくらい、察していただけませんか。私より大人で思慮深くて仕事の重要性も知っている皆さんになら、分かっていただけますよね」
にこり、とユエが営業スマイルで毒を吐く。
ユエは悪意や自分の損得だけを考えて近寄ってくる人に容赦はしない。レオには、丁寧な口調で応戦するユエの方が単なる罵倒より怖いと言われるが、怖くて結構。人は写鏡なのだ。害意を持って接すれば同じ態度で返されたって文句は言えないと思うし、それで離れていってくれるのならせいせいする。
「……なっ!何よ、私たちが仕事を放りだしてきたとでもいいたいの?!」
激昂するアイーダに、放りだしてきたんでしょう、と言いたくなるのをユエは飲み込んで、さらに輪をかけて微笑む。
「そんな。賢い皆さんがそんなことをするなんて、思っていません。でも、自分の興味を優先して仕事の義務を果たさないなんて、そんな人がいるとしたら、人の風上にもおけませんよね。そう思いませんか、ティハ」
にこり、とティハに同意を求めるように見上げる。
目を丸くして言葉の応酬を見守っていたティハが名前を呼ばれ、はっとしたように震えた。
「え……あ、ああ、そうだな……?」
その言葉を聞いたお姉さま方がぴしりと固まった。
よく話が分かっていなさそうだが、ここで上手く肯定の言葉を引き出せたユエは心の中でガッツポーズを取る。これで多少釘を刺せたはずだ。仕事を抜け出してティハに会いにくれば軽蔑される、くらいの思い込み効果は期待できる。まとわり付く人が少しでも減れば御の字だ。
「なんだい!人の家の前でうるさいよ、あんたたち」
聞きなれた怒鳴り声がして、ユエは後ろを振り向く。盛大に顔を顰めたバルバが庭先まで出てきていた。
その怒りに染まった顔を見て、青ざめた女性達がぱっと蜘蛛の子を散らすように居なくなる。
ユエはほっと肩の力を抜く。
バルバは外部との交易よりも村の人を診ることを優先している薬師だ。必然的に子供の頃から世話になっている若い村人が非常に多い。さらに、怒鳴る、厳しい、容赦しないの三拍子揃ったバルバに未だに恐怖心を持つ者がほとんどなのだ。
ユエも弟子入りするまでは似たようなもので小さい頃は診察の度に泣いていたほどだったが、今はその効果に心から感謝した。
「おはようございます。師匠」
「で、そいつは誰だい」
バルバが遠慮することなくティハをじろじろと眺める。そしてふと気づいた素振りを見せると、ああ、と手を打ってのたまった。
「例のユエの彼氏かい」
「違います!」
ユエは間髪入れず大声で叫ぶ。
もう今日だけで何度この言葉を否定してきたことか。これが災いして彼氏が一生できなかったらどうしてくれるのだと思うくらいだ。
「……遠い、親戚です。ティハ・リームルバと言って、何日か村に滞在したいそうなので私がお世話をすることになりました。一応、薬師を目指しているそうです」
ユエは舌を噛みそうになりながら説明する。さっきアイーダたちと言い合いになったときは怒りで口がするする回ったが、気が抜けるとやっぱり駄目だった。
「……ふん。リームルバ、親戚、かい。確かに、ユエとは少し似ているところがあるようだけどね」
バルバの視線が途端に剣を帯びる。ティハがその冷ややかな視線にびく、と身を固くした。
バルバは両親が死んだユエを放置した"親戚"たちに良い感情がないのだろう。リームルバは、ユエの母の旧姓だ。それはバルバも知っていることだった。
「まあ、いいだろう。……どうせ、三年前といっちゃあ、あんたみたいな若造に何か出来たわけでもないだろうしね」
バルバが気が削がれた、という風に手を振って家の中に入る。
ティハの見た目はユエより三、四歳上、といった程度だ。ティハが本当にユエの親戚であったなら、当時は十六、七歳だったことになる。親戚にしては珍しくユエに興味を持っていたとしても、その年頃の男の子が十三歳の子供を引き取るのは無理があるだろう。バルバは怒りを向けても仕方ないと結論付けたようだった。
ユエが後を追って庭に入ろうとすると、固まったままのティハと目が合う。
「……入りますよ」
「……自分も、入っていいのか。あの者は、かなり怒っていたように感じたが……」
ティハは足を踏み入れるのを躊躇している。ユエは面倒くさいな、とでも言うようにティハの後ろにまわって強引に背中を押した。
「大丈夫ですよ。師匠は理不尽なことで怒ったりしませんから。さっきは、ちょっと腹の立つことを思い出していたので怖い顔をしていただけです」
それを聞いたティハが疲れたように身体の力を抜く。
この朝だけで大量の視線と興味、女性の秋波とバルバの怒りに触れ、すっかりしおれてしまったようだ。料理のために村に入り込むと意気込んでいた昨日とはえらく違うが、自業自得なので慰めるような真似はしなかった。
その代わりユエは、人間に紛れても疲れるだけで良いことなんて何もないですよ、とその丸まった背中をからかっておいた。
今日もありがとうございます。




