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奴隷から始まる異世界転生  作者: Aoshiba
第一章 奴隷から始まる異世界転生
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第2話 次も、きっといい人生

 目を覚ますと、見知らぬ場所にいた。

 辺り一面に白い花が咲いている。空は薄暗くどこまで続いているのか分からない。 

 風はないのに、不思議と寒くも暑くもなかった。体を起こしてみる。

 さっきまで痛かった頭も今は何ともない。制服も綺麗になっている。


「あれ、なにこれすごい」


 袖を引っ張ってみる。破れていたところまで元どおりだ。

 もしかして、死んだら服も直るんだろうか。


「お目覚めですか?」


 声のする方を見ると女の人が立っていた。

 長い黒髪に白い着物。整った顔立ちのとても綺麗な人だった。

 年齢はよく分からない。若くも見えるしずっと年上にも見える。


「こんにちは!」


「……こんにちは」


 女の人は少しだけ目を細めた。


「ここがどこか、お分かりになりますか?」


「うーん、天国ですか?」


「いいえ。生と死の境にある場所です」


「へえ。じゃあ、僕死んだんですね」


「ええ」


「そっかぁ」


 やっぱり死んでしまったらしい。

 明日のカレーは食べられなかったなぁ。ちょっと残念だ。


「……やはり、残念でしたか?」


「え、カレーの話ですか?」


「いえ。ご自身の死についてです」


「ああ。もちろん、もっと生きたかったですよ」


 女の人は静かに頷いた。


「そうでしょうね」


「まだ読みたい漫画もあったし、行ってみたい場所もいっぱいありましたから」


「……ええ」


「でも、楽しかったなぁ」


 女の人の目がわずかに動いた。


「人生が、ですか?」


「はい!」


「……そうですか」


 女の人は驚かなかった。ただ、僕の顔をしばらく見つめていた。


「長い間、ここで多くの死者を迎えてきました。あなたのように人生を喜び、満足して旅立つ方も珍しくありません」


「そうなんですね!」


「ええ。愛する者に囲まれ悔いなく生きた方。苦難を乗り越え、自らの生を肯定した方。死を恐れず静かに受け入れた方。実にさまざまです」


「へえ。みんなすごいなぁ」


「ですがあなたの人生については、私も少しお尋ねしたいことがあります」


「はい、なんでしょう?」


「あなたは、あなたの人生は幸福でしたか?」


「はい!」


 即答すると、女の人は少しだけ微笑んだ。


「そうですか。では、あなたにとって幸福とは何でしょう」


「えっ、幸福ですか?」


「ええ」


「うーん……」


 難しい質問だ。幸福って何だろう。

 美味しいご飯を食べると嬉しい。漫画を読むのも楽しい。綺麗な女の子に冷たい目で見られるのも、かなりいい。

 でも、それだけじゃない気がする。


「生まれてこられたこと、ですかね?」


「……生まれてこられたこと?」


「はい。だって、すごいことじゃないですか!」


「どうして、そう思うのです?」


「僕が生まれなかったら、何も知ることができなかったんですよ?」


 女の人は黙って続きを待っていた。


「空が青いことも、雨が冷たいことも、ご飯が美味しいことも。お父さんやお母さんにも会えなかったし、漫画だって読めなかったんです」


「なるほど」


「それに、僕、日本に生まれたんですよ。すごく運がよかったと思うんです」


「日本、ですか」


「はい。学校にも行けたし、文字も覚えられたし、戦争に巻き込まれることもありませんでした。僕が知らないだけで、もっと大変な場所もいっぱいあるんですよね?」


「ええ。あります」


「だったら、僕、かなり恵まれてますよね!」


 女の人は少し考えるように目を伏せた。


「……あなたがそう感じていることは、分かりました」


「はい!」


「ですが、あなたが受けた苦しみまで、なかったことにはなりません」


「もちろんです。殴られるのは痛かったですよ」


「そうでしょう」


「お腹が空くのも嫌でしたし、冬は寒かったです」


「ええ」


「でも、それで生まれてこなければよかったとは思わないです」


 女の人は静かに僕を見つめた。


「あなたは、ご両親を愛していましたね」


「はい! 大好きでした!」


「お二人が犯した罪についても、ご存じですね」


「はい。三十七人も殺したんですよね。絶対にやっちゃいけないことだと思います」


「それでも、愛しているのですか?」


「え? はい」


「なぜでしょう?」


「だって、お父さんとお母さんですから」


 女の人は何も言わなかった。

 もしかして、変な答えだっただろうか。


「僕には優しかったんですよ。動物園にも連れていってくれたし、誕生日にはケーキも買ってくれました」


「……ええ。知っています」


「悪いことをしたのは本当です。でも、優しかったのも本当なので」


「なるほど」


 女の人はゆっくりと頷いた。


「では、あなたを傷つけた人々については、どう思っていますか?」


「黒瀬君たちですか?」


「ええ。彼らだけではありません。あなたの家を壊した者、食べ物を奪った者、命を奪った者も含めてです」


「うーん……」


 少し考えた。確かにいろんな人がいた。

 黒瀬君はよく怒っていたし、隣のおばさんはいつも元がよかった。先生にも何度か叱られた。

 最後に会った男の人たちは、僕を殺してしまった。


「人を殺すのは、よくないですよね」


「ええ」


「だから、あの人たちも悪いことをしたんだと思います」


「そのとおりです」


「でも、僕が嫌いになる理由にはならないかなぁ」


「……そうですか」


「はい」


「彼らを罰してほしいとは思いませんか?」


「うーん。これ以上、誰かを殺したりするなら、止めた方がいいと思います」


「それは、彼ら自身のためですか?」


「それもありますけど、殺される人がかわいそうなので」


「……では、あなた自身のためには?」


「僕ですか?」


「ええ。あなたが受けた仕打ちに対して、償いを求める気持ちはありませんか?」


「特にないですね」


「なぜです?」


「えーっと……」


 難しいなぁ。

 別に我慢しているわけではない。

 許そうと頑張っているわけでもない。

 ただ、最初からそんな気持ちがなかった。


「謝って欲しくないから、ですかね?」


 女の人が目を細めた。


「……誤って、欲しくない?」


「はい。謝ってもらったらいい気分になるかもしれないですけど、別にそれがなくても幸せなので」


 しばらく沈黙が続いた。

 女の人は怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもなさそうだった。

 ただ、何かを考えているようだった。


「あなたは、執着という言葉をご存じですか?」


「はい。何かにこだわることですよね?」


「概《おおむ》ね、その理解で構いません」


「僕、漫画の続きには結構こだわりますよ!」


「……そうですか」


「あと、美味しいものも食べたいです」


「欲望がないわけではないのですね」


「いっぱいありますよ!」


 女の人が小さく笑った。


「それは、よく分かりました」


 なんだか少し嬉しい。この人、笑うとますます綺麗だ。


「では、あなたは再び生まれたいと思いますか?」


「えっ、また生まれられるんですか!?」


「ええ。命は一度きりではありません。肉体が滅びても魂は次の生へと巡ります」


「すごい!」


「ただし、次にどのような生を受けるかは誰にも分かりません」


「そうなんですね!」


「次は今より厳しい境遇かもしれません。生まれてすぐに命を落とすこともあるでしょう」


「それでも、また生まれられるんですよね?」


「ええ」


「だったら、楽しみです!」


 女の人は少しだけ目を伏せた。


「……そうでしょうね」


 そのとき、遠くの花畑に光が現れた。

 白い花の間に細い道ができている。


「あれは何ですか?」


「次の生へ向かう道です」


「へえ!」


「本来、魂はあの道を通り新たな肉体へと宿ります」


「本来?」


「ええ。ほとんどの者は次の生で前世の記憶を思い出すことができません」


「えっ、そうなんですか?」


「記憶そのものが消えるわけではありません。魂には、これまでの経験が刻まれています。ただ、新たな肉体がそれを読み取れるとは限らないのです」


「なるほど……?」


 正直、よく分からない。


「つまり、忘れちゃうってことですか?」


「多くの場合は、そうなります」


「そっかぁ。ちょっと勿体ないですね」


「ですが、あなたの場合は少し事情が異なります」


「え?」


「今、あの道の先に、あなたの魂を受け入れられる肉体があります。既に持ち主の魂が離れ、なお命をつなぎ留められる状態にある肉体です」


「へえ。そんなこともあるんですね」


「極めて短い時間に限られますが、あります。新たな魂が宿れば、その肉体は再び生命活動を始めます」


「すごいなぁ」


「そして、その肉体は既に成長し、自我を形成するだけの器を備えています。あなたが前世の記憶を取り出せる可能性は高いでしょう」


「じゃあ、お父さんとお母さんのことも覚えていられるんですか?」


「おそらくは」


「やった!」


 思わず声が出た。

 また生まれられるだけでも嬉しいのに、前の人生のことまで覚えていられるなんて。

 なんだか得した気分だ。


「……喜ばしいことばかりではありませんよ」


「そうなんですか?」


「その肉体が置かれた境遇は、決して恵まれたものではありません」


「へえ」


「あなたが望むなら、今はあの道を進まず別の巡りを待つこともできます。ただし、次にどのような肉体が現れるかは分かりません」


「じゃあ、今のところに行きます!」


「……即答ですか」


「はい!」


「理由を聞いても?」


「だって、せっかく生まれられるんですよね?」


 女の人は黙った。


「だったら、もう今すぐ早く行ってみたいです!」


 しばらくして女の人は小さく微笑んだ。


「……分かりました」


 光の道が、ゆっくりと広がっていく。


「最後に一つだけ、お伝えしておきます」


「はい!」


「私は、あなたの次の人生を幸福にすることはできません。苦しみから守ることも、望むものを与えることもできないのです」


「大丈夫ですよ!」


「……なぜ、そう言い切れるのです?」


「え? だって、幸せにするのは僕ですから」


 女の人が目を見開いた。

 女の人は何かを言いかけて、やめた。

 そして、静かに頭を下げた。


「……どうか、よい旅を」


「ありがとうございます!」


 僕は光の道へ歩き出した。

 途中で振り返ると、女の人はまだこちらを見ていた。


「あっ、そうだ!」


「……何でしょう?」


「あなたのお名前、聞いてませんでした!」


 女の人は少しだけ驚いた顔をした。

 それから穏やかに微笑んだ。


「……名など、必要ありませんよ」


「そうですか?」


「ええ。あなたが再びここを訪れる日が来れば、私はまたあなたを迎えましょう」


「じゃあ、そのときはよろしくお願いしますね!」


「……ええ」


 僕は手を振った。

 女の人も小さく手を振り返してくれた。


 光が身体を包み込む。次はどんな世界なんだろう。

 どんな人がいて、どんな食べ物があるんだろう。

 魔法とかあったらいいなぁ。

 楽しみだなぁ。

 そして、意識は光の中へ溶けていった。

 白い花畑に静寂が戻った。


 女は、少年が消えた場所を見つめていた。

 人生に満足して死を迎える者は決して少なくない。

 愛する者に囲まれて旅立つ者も、己の使命を果たして静かに目を閉じる者もいる。  

 長い修行の果てに執着を手放した者も、数え切れないほど見送ってきた。

 あの少年だけが特別に幸福だったわけではない。


 ただ、彼は何も成し遂げていなかった。

 誰かに認められたわけでも、望んだ人生を送れたわけでもない。

 愛する者を奪われ、住む場所を奪われ、最後には命まで奪われた。


 それでも、彼は幸福だった。


 幸福になるために何かを捨てたのではない。

 苦しみを知らなかったわけでもない。

 ただ、生まれたことを喜び生きることを楽しんでいた。

 あの少年のように、幸福を得るための条件を何一つ必要としない者は、ほとんど見たことがなかった。


 女は静かに目を閉じた。


 あの少年が次に生まれる世界を彼女は知っている。

 そこには戦争があり、飢餓があり、人が人を売り買いする制度さえ残っている。


 彼の新たな肉体は、既に奴隷として売られていた少年のものだった。


 女はその事実を知っていた。

 それでも、彼の選択を止めなかった。


 あの少年は、きっとまた笑うのだろう。

 女は小さく息を吐いた。


「……どうか、その笑顔が、誰かの救いとなりますように」


 白い花々が、静かに揺れていた。

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