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奴隷から始まる異世界転生  作者: Aoshiba
第一章 奴隷から始まる異世界転生
3/3

第3話 もう一度生まれた日


 目が覚めた。最初に見えたのは石の天井だった。

 ところどころ黒ずんでいて、隙間から蜘蛛の巣が垂れている。

 身体中が痛い。腕も、背中も、足も、お尻も。

 どうやら随分と全身が傷んでいるらしい。


「……あれ?」


 声が違う。

 起き上がろうとすると、背中に鋭い痛みが走った。


「いたたた……」


 思わず声が出た。

 でもちゃんと動く。手も足もあるし息もできる。


「おお……!」


 ぼくは自分の手を見つめた。

 細くて白くて、傷だらけの手だった。


「生きてる!」


 嬉しくなって思わず笑ってしまった。

 あの綺麗な女の人が言っていた通り、本当に生まれ変わったんだ。

 それにしてもすごいなぁ。

 死んだと思ったらまた生きているなんて。


「……うるさい」


 —―隣から声がした。

 振り向くと、女の人が壁にもたれて座っていた。

 長い髪は乱れていて、着ている服も薄汚れている。顔色が悪く、目の下には隈があった。

 でも、ものすごく綺麗な人だった。


「あ、おはようございます!」


「…………」


 女の人はぼくを見つめた。


「……あなた、生きていたのね」


「はい!」


「……そう」


 それだけ言うと彼女は目を伏せた。

 なんだか、随分疲れているみたいだ。

 ぼくはもう一度、自分の身体を見下ろした。

 痩せた腕。あちこちに残る傷。見覚えのない服。


 ……いや、見覚えは—―


「あれ?」


 知らないはずの記憶が頭の中に浮かんできた。


 石造りの街。大きな市場。馬車。知らない文字。

 そして、たくさんの人の顔。

 なのに、その人たちの名前も話していた言葉も分かる。

 不思議だなぁ。

 僕は目を閉じて記憶をたどってみた。

 この身体の元々の持ち主の名前はフェリクス。十六歳。

 今は奴隷として商人の屋敷にいる。


 生まれたのは小さな農村だった。

 お父さんとお母さん、それから妹がいた。

 十歳の時、戦争で村が襲われた。

 家族とは離れ離れになって、それからずっと奴隷として暮らしてきた。

 何度も売られて、何度も逃げようとして何度も捕まった。

 最後に連れてこられたのがこの商館だった。


 そして、この身体の持ち主はもう生きることを諦めてしまった。


「……そっか」


 —―僕は小さく呟いた。

 ずいぶん大変だったんだなぁ。

 この子は最後まで頑張っていた。

 家族に会いたくて、自由になりたくて何度も助けを求めていた。

 でも、もう疲れてしまったんだ。


 僕は傷だらけの手を握った。


「……大切に使わせてもらうね」


「……何?」


 隣の女の人が顔を上げた。


「あ、なんでもないです!」


 彼女は眉をひそめた。


「……あなた、そんな喋り方だったかしら」


「え?」


「……いえ、いいわ」


 彼女の名前も分かる。

 リディア・コルネリア。十八歳。

 三か月ほど前にこの商館へ連れてこられた女の人だ。

 元は貴族の娘だったらしい。記憶の中の彼女はいつも静かだった。

 それでも泣いているフェリクスに水を分けてくれたり、傷の手当てをしてくれたりしていた。

 —―優しい人なんだなぁ。


「リディアさん!」


「……何?」


「いつもありがとうございます!」


「…………」


 彼女はゆっくりと顔を上げた。


「……どうしたの、急に」


「お礼を言いたくなったので!」


「……そう」


 リディアさんは僕をじっと見つめた。


「……昨日まで、あんなに泣いていたのに」


 声が小さくなった。


「……本当に、どうしてしまったの?」


 ぼくは首を傾げた。どうしたと言われても。

 生き返ったから嬉しいってだけどなぁ。

 でも、そんなことを言っても信じてもらえないかもしれない。

 その時、扉が乱暴に開いた。


「おい、おまえ!」


 大柄な男が入ってきた。

 記憶にある顔だ。商館で奴隷を管理している男だった。


「なんだ?まだ生きていたのか」


「はい!」


 男は一瞬、妙な顔をした。


「……ふん。だったら働け。さっさと立て」


「分かりました!」


 僕は立ち上がった。足に力が入らず少しふらつく。


「……おい」


「え、はい?」


「なんだ、その顔は」


「ん?顔?」


「昨日まで泣き喚いてたくせに、気色悪ぃ笑い方しやがって」


「あ、すみません!」


 僕は頬に手を当てた。どうやら笑っていたらしい。


「……まあいい。こっちに来い」


「はい!」


 男について廊下に出る。

 石造りの建物は思ったより大きかった。

 窓から日差しが差し込んでいる。

 外には青い空が広がっていた。


 —―ああ。

 この世界の空も青いんだ。

 なんだか、それだけで嬉しくなった。

 男は僕を浴室へ連れていった。


「身体を洗え。客の前に汚ねえ格好で出るんじゃねえぞ」


「お風呂ですね!」


「……あ?」


「ありがとうございます!」


「うるせえ。さっさとしろ」


 男は舌打ちして出ていった。

 浴室には桶と水が用意されていた。

 冷たい水だったけれど、身体を洗えるのはありがたい。

 でも、傷にしみる。


「いたた……」


 それでも、汚れが落ちていくのは気持ちよかった。

 鏡のように磨かれた金属板が壁に掛かっていたので、顔を覗き込んでみる。


「……おお」


 知らない男の子が映っていた。

 淡い金色の髪。大きな瞳。白い肌。

 少し痩せすぎているけれど、びっくりするくらい整った顔立ちだった。


「……僕、こんなに綺麗になったんだ」


 前世では、こんな顔じゃなかったなぁ。ちょっと得した気分だ。

 身体を洗い終えると男が綺麗な服を持ってきた。


「これを着ろ。汚すんじゃねえぞ」


「はい!」


 渡された服は女の子が着るようなものだった。

 柔らかい布に綺麗な刺繍。

 この身体の記憶にある、いつもの接客用の服だ。

 前世では、こんな服を着たことがない。


 —―ちょっと新鮮だなぁ。

 僕は服を着た。男はぼくを奥の部屋へ連れていった。

 そこには、立派な椅子に座った太った男の人がいた。

 高そうな服を着て、指には大きな宝石の指輪をはめている。

 男の人は僕を見るなり、満足そうに笑った。


「ほう……今日はずいぶん機嫌がいいじゃないか」


「こんにちは!」


「……ふふ。いい子だ」


 男の人は商館の男に金貨の入った袋を渡した。


「いつものように頼むぞ」


「へい」


 商館の男は頭を下げ、扉を閉めた。

 僕は目の前の男の人を見た。記憶の中にもこの人はいた。

 この身体の持ち主は、何度もこの人の相手をさせられていた。

 何のために呼ばれたのかも、僕は知っている。


 —―なるほどなぁ。

 この世界にも、いろんな仕事があるんだなぁ。


     *


 しばらくして奥の部屋から戻ると、廊下にいた男が顎をしゃくった。


「おいガキ、早くこっちに来い」


「はい!」


「さっさとその服を脱げ。汚すんじゃねえぞ」


 僕は借りていた服を返した。

 男は足元に、いつもの汚れた奴隷服を放り投げた。


「ほら、着ろ。終わったら戻れ」


「はい!」


 着替えながら、僕は小さく息を吐いた。


「ふぅ……疲れたぁ」


 でも、今日は水も浴びられた。

 身体もさっぱりしたし綺麗な服まで着られた。

 それにしても、どの時代でも仕事というのは大変なんだなぁ。

 いつもの部屋に戻ると、リディアさんが壁にもたれて座っていた。


「……戻ったのね」


「はい、ただいま!」


 彼女はゆっくりと顔を上げた。

 目の下には濃い隈ができている。

 頬も少しこけていて、随分と疲れているようだった。


「……あなた、本当にどうしたの……?」


「はい?」


「昨日まで……あんなに泣いていたのに」


 リディアさんはぼくを見つめたまま、しばらく黙っていた。


「……もう、壊れて何も感じなくなってしまったの?」


「ううん。ちゃんと感じるよ!」


「……そう」


 彼女は視線を落とした。


「……あなた、まだ十六歳なのよ」


「はい!」


「私は十八歳なのに……あなたばかり、こんな目に遭って……」


 リディアさんは唇を噛んだ。


「その顔が綺麗なせいで……本当に、不幸な子ね」


「えっ、綺麗?」


 思わず聞き返してしまった。リディアさんは答えなかった。

 膝を抱えたまま、僕から顔を背けてしまった。

 僕は隣に座った。

 この身体の持ち主は、ずっと辛かったんだろうなぁ。

 リディアさんもきっと辛いんだろう。


 —―でも。

 鉄格子の向こうに見える外の夕焼けが、石造りの牢屋を赤く染めていた。

 綺麗だなぁ。またこんな景色を見られるなんて。

 やっぱり生きているって素晴らしい。


「……ねえ、リディアさん」


「……何?」


「この世界には、カレーってありますか?」


「…………は?」


 リディアさんが初めて少しだけ顔を上げた。

 どうやらカレーは知らないらしい。残念だなぁ。

 でも、きっとこの世界にも美味しいものがあるはずだ。

 いつか食べてみたいなぁ。

 そんなことを考えていると、お腹が鳴った。

 リディアさんは、呆然とぼくを見つめていた。

 僕は笑った。


 今日も、いい日だった。

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