丸太で川下り
何が起きたのか、分からない。
目の前の景色が、ゆっくりと流れていった。
歯に野菜を挟んだ男の焦った顔。
青い空。蝶々の形の白い雲。
そして……。
冷たい!
水? 何で?
そうだ、川に落ちたのだった。
頭から水の中に突っ込んでしまったのだ。
息ができない!
服が絡まって足が動かせない。
ジタバタしていたら、顔が水面に出た。
鼻に水が入った!
痛い!
服がぷくりと膨らんでいる。重ね着した服の間の空気のおかげで体が浮いたらしい。
これはいい!
と思ったら、段々沈んできた。
服が水を吸って重くなってきた。
沈む!
と思ったら、目の前に黒い物体が迫ってきた。
これは……木だ! 丸太だ。
実に幸運なことに、私は丸太を捕らえることに成功した。
丸太を華麗に捕まえた。
我ながら、ちょっとカッコ良かったんじゃないだろうか。
水面から顔を出せるようになって、少し落ち着いた。
周りを見渡すと、前方にも丸太が流れている。そうか、切り出した木材を、こうして川に流して下流に運んでいるのだ。
私はツイている。やはり日頃の行いの賜物だろう。
姉様が割ってしまった高いお皿を、私がこっそり庭に埋めてあげたこともあったっけ。
いいことをした。
それはいいが、手がかじかんできた。
冷たい。寒い。
そもそもどこまで流れていけばいいの。このまま海に出て、他の国まで流されてしまうのだろうか。
それは少し困る。
外国の食事は口に合うだろうか。
素敵な男性はいるだろうか。
ゴツン。
つかまっている丸太から衝撃が伝わってきた。他の丸太がぶつかったらしい。
振り向くと、その丸太がこちらに向かってくる。濁流に乗った巨大な木材が、容赦なく迫ってくる。このままではその丸太に突き飛ばされてしまう。いや、挟まれたらペチャンコだ。
それはとても痛そうだ。
丸太が迫る!
怖い!
つかまっている丸太が流れの影響で少し斜めになった。その直後、バキイィッ!と恐ろしい音を立てて丸太の端がもう一方の丸太に激突し、水しぶきが顔を打った。
迫ってきた丸太の向きが変わり、私の背中をかすめていった。
ぞっとした。久しぶりにぞっとした。
一〇・七セルくらいあるクモが、目の前にどさりと落ちてきたときくらいぞっとした。
安心したせいか、眠くなってきた。あんなに凍り付きそうだった手の感覚はもうない。つかまっていられない。
視界が徐々に暗くなっていった……。
◆
「兄貴、あれ人じゃないか?」
「ああ?」
「ほら、あの丸太の横」
「ありゃあ……女か」
――丸太につかまっている? いや、樹皮のささくれに服が辛うじて引っ掛かっている、といったところか。
意識はなさそうだ。
兄貴と呼ばれた男は大儀そうに立ち上がると、短槍を持って馬に飛び乗った。そのまま馬を川の中に進めると、槍の石突きの方で女の服を引っかけて持ち上げた。小柄な女性とはいえ、たっぷりと水を含んだ服ごと片手で持ち上げるその膂力は端倪すべからざるものがある。
川岸に戻ると、男は女をべちょりと下ろした。力はあるが優しさはやや不足しているらしい。
「兄貴、まだいるぜ」
「まだだぁ?」
振り向くと、丸太の上でぐったりしている女が見えた。男はため息をつくと、その女も槍で引っかけて川岸にべちょりと下ろした。
念のため、もう一度振り向く。
「兄貴!」
「見えてるよ」
少し上流に、丸太につかまっている男が見えた。この女たちの関係者だろうか。
丸太が目の前に流れてくるのを待って、男を槍で引っかける。さすがに持ち上げるのは不可能だったので、槍で動きをとめつつ右手で男の襟首をつかんで馬の上に引きずり上げた。
馬が「重い」と抗議するようにいなないた。
「ロレル、まだ流れてくるか?」
「いや、今のところ見えねえ」
「しばらく見てろ」
男は川岸に戻ると、鎖帷子を着た男を馬から下ろして女たちの隣に転がした。
――貴族の娘に侍女風の女、若い兵士……護衛か?
「余計なものをひろっちまったかな」
男は、「さてどうしたものか」とつぶやきながら周りを見渡した。




