帝都の魔境
「アディーメ、相変わらずリリーが迷惑をかけているようね。あなたはデルバーエル卿の嫡男ね。二年前よりいい男になったじゃない。さ、また後で会いましょう」
キーゼロイデは、ピーデを使用人たちの食事場に、フェーン、アディ、ポルメを来客用の控え室に案内させ、リリーを伴って伯爵家の食堂に向かった。
――やはり、ここでも身分、か……。
ピーデはガンデ以上に居心地悪そうにしていたので、これでいいのかもしれない。でも、いまだにリリーメルは完全に割り切れなかった。いつか気にしなくなるときが来るのか。それとも……。
食堂には、ウグナペリン伯を襲爵したゼレベレンがリリーたちを待っていた。
リリーは右手を左胸に当てて膝を軽く曲げて会釈した。
「前伯爵に安らぎとデズダウロンの寵愛を」
「あなたの祈りに感謝を」
「そして、襲爵おめでとうございます、義兄上」
「ありがとう、リリーメル。二年ぶりだね」
ウグナペリン伯ゼレベレンは、やや肉付きがよくて、全体的にぽんわりとした印象を与える。美男と言うほどではないが、感じの良い笑顔にリリーメルは好感を持っていた。
ゼレベレンはキーゼロイデの手際の良い説明を受けて、「なるほど」と頷いた。
「私も義父の釈放を帝国に訴えていたのだが、そのような事情があったとは。正攻法では難しそうだね」
ゼレベレンは、ふくよかな頬に手のひらを添えた。肉がぷるるんとして、意外に愛らしい。
「だが、リリーメルの話によって幾つかはっきりしたね。当初は呪符を埋めた男の証言も怪しいと思っていた」
「父上に命じられたというベーベンの話ですか?」
「その通り。証言を捏造した冤罪なのではないかと疑っていた。つまり、義父上を陥れようとしているのは司法院なのではないかと」
「司法院が……」
「そうなると、覆すのはほぼ不可能だ。有罪無罪を決める司法院が有罪の証拠を作っているのなら、もはやどうにもならぬ。だが」
「だが」
「司法院は、『キルエルト伯に命じられた』というベーベンの証言という事実に基づいているだけだ。司法院は敵ではない、ということが分かっただけでも大きな前進だよ、リリーメル」
ゼレベレンは、にっこりと笑った。
――キーゼ姉様と正反対のこの伯爵は、大丈夫だろうか……。
リリーメルはゼレベレンへの心配が募るばかりである。
「かといって、司法院は味方にもならない。彼らは係争関係者と距離を取ることを己に課している。下手な接触は、彼らの神経を逆撫ですることになろう」
「取次を介して皇帝陛下に訴えることはできないのですか?」
帝国の貴族が皇帝に訴え出る場合は、各グライス担当の取次役を介することになる。キルエルト伯やウグナペリン伯らは、マイツァーデイン公を長官とするマイツァーデイン・グライスに属している。
「取次は領地と関係が深いが故に、紋章院との結び付きが強い。だが、今の紋章院次官の宮内伯はとかく評判が悪い」
「評判、ですか?」
「賄を要求される」
「賄賂、ということですか」
「うむ。義父上のためなら賄もいとわぬ。それはマイツァーデイン公とて同じ。だが、あの宮内伯は諸侯の弱みを握る癖があるとも聞く」
「そのような方が、帝国を動かしているのですか?」
「陛下のお考えは余人の知るところではない。ただ有り様を受け止めるしかないのだよ」
皇帝の家政機関を原点とするといわれる宮内伯。彼らの身分は、各諸侯の屋敷を管理する執事、家令、家宰と同じだ。ただ、皇帝家の使用人であるというだけで、宮内伯という称号を与えられて帝国の運営のために使役されている。彼らの肥大化は、帝国中枢に魔境を作り出していた。
リリーメルは、そのおぞましさに震え、恐れた。一体、誰を頼ればよいというのか……。
突然、手のひらをパンと打ち鳴らす音がした。
「私たち、難しく考えすぎよ! 大して知己もないのだから、ウダウダ考えていないで、数少ない知人を頼ります! さあ、付いてきなさい!」
キーゼロイデは、高らかに笑いながら玄関にすたすたと歩き出した。




