空き部屋で大人の恋を
キーゼロイデ様の婚礼もつつがなく終わり、安心した伯爵は椅子にへたり込んでしまった。奥様はそんな伯爵の隣に座り、優しくほほ笑んで伯爵の手を握っていた。
「あっ!」
伯爵夫妻の様子を眺めている間に、姫様の姿が消えていた。見目の良い男の後をふらふらと付いていったに違いない。
無駄に行動力がある姫なのである。
貴族の婚礼の場は、若い男女が知り合う数少ない機会だ。ここでの出会いから親同士を巻き込んだ縁組に発展することもある。親同士が縁組の交渉を進める場でもある。
もちろん、ほんのひとときだけ、快楽を得るための出会いを求める男女もいる。
姫様はどこに行った?
まさか、庭の茂みや空き部屋に連れて行かれたのではあるまいか。
会場を見回していると、フェーンが見えた。二人のご令嬢に囲まれて、鼻の下を伸ばしている。右ハネがクルンッとしているが、女ウケする美男なのだ。
右ハネはクルンッとしているが。
「デルバーエル卿! 姫様を見かけませんでしたか?」
「リリーメル様ですか? いえ、別に」
「なら一緒に探してください」
「えっ、しかしこちらのご令嬢が……」
「姫様の護衛が仕事でしょう!」
ご令嬢たちとの会話に未練たらたらのフェーンを彼女たちから引き離すと、庭を探せと命じた。茂みの陰で不良貴族の食いものにでもされていたら一大事だ。
私は、壁伝いに会場を見回ることにした。
居た。
二〇代前半くらいの、整った顔立ちの男と話をしている。
姫様は壁に背を付けて、頬を赤らめてほわわんとした顔で男の顔を見上げている。既にすっかりのぼせ上がっている。
もちろん、これが姫様が求める恋に発展する可能性もあるから、安易に邪魔はできない。
少し離れた所から監視することにした。空き部屋に連れて行かれそうになったら阻止しよう。それは婚姻後に心置きなく致していただけばよい。
三メルほど離れた場所から二人を睨んでいたら、姫様が私に気付いて手招きしてきた。お召しがあったので近づくと、姫様は男を私に紹介した。
「こちら、メルサート副伯ですって。これは私の侍女のアディーメ。アディとお呼びになって」
「アディ、よろしく」
メルサート副伯は如才なく、侍女ごときの私にも笑顔を向けた。姫様は何やら視線が定まらず、ふにゃふにゃしている。フェーンのときとはまた違う異常を来しているのだろうか。
「それで、私たちこれから別の部屋に移動し……」
「駄目です!」
「固いこと言わないの。しばらく消えるから、父上たちをうまく誤魔化しておいてね」
「姫様!」
「これも経験よ。挑戦よ。そういうとき、殿方が私をどう扱うのか、じっくり観察させてもらうの。私はあまりにも何も知らないのだから」
メルサート副伯は、姫様の赤裸々な物言いにややたじろいだ様子を見せた。「あなたのすることを観察する」などと言われたら、興が削がれることだろう。
姫様の様子も何だか変だ。
いつも変だが、もっと変だ。
「さ、メルサート副伯行きましょう。邪魔が入る前に、大人の恋を致しましょう」
そう言って、姫様はメルサート副伯の左腕をぐいっとつかんで彼を見上げた。
「姫様!」
姫様の顔がスンと虚無になり、メルサート副伯の左腕を離した。
「姫様?」
「アディ、行きましょ」
姫様はメルサート副伯に背を向けると、すたすたと歩き出した。メルサート副伯は、何が何だか分からないという顔で立ち尽くしている。侍女や他の貴族が見ている前で追いすがる気にはならなかったようだ。
「あれほどヤル気まんまんだったのにどうしたのですか?」
「首筋のほくろから毛が生えてた。ナイわー。ほくろ毛……ナイわー」
そのとき、向こうからフェーンがやって来た。頭に葉っぱを乗せて、左の鼻の穴から鼻血をたらしている。
姫様は、目を丸くしてフェーンを眺めている。
「あらフェーン、どうしたの?」
「どうしたの、って……」
「姫様の言動をイチイチ気にしていたら切りがありません。で、どうなさったのですか? デルバーエル卿」
「茂みの裏を探したら、そこで絡みあっていた貴族に殴られました」
「それはフェーンが悪いわ。お楽しみの邪魔をするなんて不粋ね」
そう言って、姫様は颯爽と歩き去った。歩く速度は普通だ。
「デルバーエル卿、ご覧の通り姫様はご無事です。ご苦労様でした」
平和な日常はここまで。
次回から姫様の冒険が始まります。
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