あるべき姿
フェーンは、馬を常歩に落としてさらに進んだ。馬の負担もさることながら、乗り手にとっても速歩は疲れる。
フェーンは時々空を見上げて方向を確かめた。季節と太陽の高さを参考に、不正確ながら北西にあるマイツァーデイン公領を目指す。
しばらく進んだとき、フェーンは背後に人の気配を感じた。だが、ガンデたちなのか敵なのかそれ以外なのか、判断できない。
フェーンは馬から降りると、両手を差し出してリリーメルの腰を受け止めた。逃亡時は必死だったので分からなかったが、彼女の腰は不安になるほど細かった。そして、やはり羽毛を詰めた袋のように軽い。
本当に、内臓ではなく羽毛が詰まっているのかもしれない。
リリーメルはふわりと地面に降り立つと、フェーンを見上げた。
「どうしたのです?」
「人の気配がします。念のため、こちらへ」
フェーンは、手綱とリリーメルの手を引いて道の脇の茂みに入った。フェーンの手を握るリリーメルの指に力がこもる。
フェーンは、握る力を一瞬だけわずかに強めた。
リリーメルはフェーンの顔を見上げると、ふふっと笑って彼女も一瞬だけ強く握った。
人のわめき声が聞こえてきた。
「なあ、そっちの馬、疲れてるぜ。オイラの馬に来いよ、アディ」
「お断りします」
「オイラは親切で言ってるんだぜ?」
「それ以外の感情が透けて見えていますよ?」
「ええっ! 見えちゃってる? マジか!」
「丸見えです」
「そりゃさ、ちょっとくらい触ったり匂い嗅いだりしてぇって思うだろ」
「言葉にしないでください!」
「お前ら、少し静かにできねえのか」
この声は……。
「アディ! ガンデ! 何だっけ!」
リリーメルは、フェーンの手をぱっと離して街道に飛び出した。
「姫様!?」
アディはガンデの馬からひらりと飛び下りると、リリーメルとひしっと抱きあった。
「アディ、アディ、アディ、よくぞ無事で!」
「姫様!」
わんわん泣きながら抱き合う二人を見ながら、フェーンも茂みから出てきた。
ガンデとダガベが、彼を見て「へっ」と笑った。フェーンも「ふっ」と笑った。
ひとしきりアディとの再会を喜んだリリーメルは、ガンデたちに向き合った。
「ガンデ! ……ダガベ!」
駆け寄るリリーメル。
ダガベは両手を広げて待ち構えたが、リリーメルは彼らの右手を握って「無事で何よりです!」と言ってほほ笑んだ。
ダガベは失望のあまりガクリとうなだれた後、リリーメルに握られた右手のニオイをかいでガンデに殴られた。
「やっと、あるべき姿に戻りましたね!」
リリーメルは上機嫌になって、くるりと体を回転させた。
「ところで、マイツァーデイン公領はこの方角で合っているのだろうか」
「夜にポーディレン卿に地図を見せてもらった。多分この街道のはずだがな」
ガンデはフェーンに答えたが、確実と言えるほどの確信はなかった。
「距離は大したことはないが、峠を越える必要がある。ここで馬に水を飲ませて休ませよう」
街道の左手に小川が流れている。水を使うなら、ここが最後の機会になるだろう。
「姫さん、フェーン、アディが先に行け。俺の馬に塩袋がくくりつけてある。ひとつかみ舐めさせてやってくれ」
そう言って、ガンデとダガベは街道で追っ手の出現に備える。後ろを警戒しながら少し進むと、風体の怪しい一団がいた。数は一五、六人……。
「兄貴、ありゃ傭兵だ」
「ああ」
傭兵同士が行き会うこともある。お互い、カネ目のものなど持っていないことは承知のこと。仲間意識もうっすらある。
普通は、睨み合いつつすれ違うだけだ。
だが、ガンデたちは今、リリーメルとアディを連れている。美しい女は、美しい女の体は、男たちにこの上ない娯楽を提供する。彼女たちには、多少の犠牲を払ってでもガンデたちを排除するだけの価値があった。
「これは血を見る展開だ」
ダガベの体が硬くなった。
「あ? おめえオソンか?」
「ソンデム? ソンデムか?」
「こんなとこで何やってんだテメエは」
「うるせえよ」
「オソン、テメエ確か招集がかかってんじゃねえのか」
「ちと野暮用よ。ソンデムは呼ばれてねえのか」
「俺は、変なにいちゃんのお守りよ」
「変なにいちゃんて何だよ」
「変なにいちゃんは変なにいちゃんだよ。当たり前なこと聞くな」
「さっぱり分からねえ」
よく見ると、顔見知りの傭兵がちらほら見える。
「変なにいちゃんって何だよ」
「変なにいちゃんだよ」「変なにいちゃんだな」「まあ変だな」「変としか言いようがねえ」
皆、「一足す一は二だろ。何が問題なんだ」という顔でガンデを眺めた。
◆
リリーメルたちが馬を連れて河原に下りると、燃えるような赤毛の若い男が顔を洗っていた。服装から察するに、下級貴族のようだ。男はリリーメルたちに関心を示さず、立ち去ろうとする。
「あの、ちとよろしいか?」
フェーンが男に声をかけて駆け寄った。
「何だい?」
「マイツァーデイン公領に行きたいのですが、この街道でよろしいか」
「うん、合ってるよ」
男は、わははと頭の悪そうな笑い声を上げながら去っていった。何が面白いのかさっぱり分からない。
「今の殿方、素敵じゃない?」
「そうですか? 顔立ちは整っていましたが、あのやる気のなさそうな目はいかがな……」
「眠かったのでは? アディ、そんなことを気にしていてはいけませんよ」
「姫様!?」
――あの姫様がそのようなことを……。いつの間にか、成長なさっておいでなのですね。
「こうしてはいられない。未来の夫を捕獲しますよ、アディ!」
リリーメルは、そう言って赤毛の男の後をふらふらと追った。アディは、リリーメルを止めようとして差し伸べた右手を力なく眺めた。
「成長……」
リリーメルが鼻息荒く迫ってくるとも知らず、赤毛の男は大層立派な馬具を付けた馬に取り付くと、ひらりと……
乗れなかった。
不様にしがみついてよじ登ろうとする。見かねた傭兵が手伝って、何とか鞍に跨がることに成功した。
「……」
リリーメルはくるりと向きを変えて戻ってきた。
「さあアディ、私たちも顔を洗ってさっぱりしましょう。やはり、殿方はフェーンやガンデのようにかっこ良く跨がらねば」
「えっ? オイラもかっこ良く跨がれるぜ! 姫さん! ほら、見てくれよ!」
ちなみに、ソンデム(ソンデム・ゲイン)は『愚者たちの輪舞』第五章にも登場します。
ガンデと同じく百人隊長です。




