赤と黒
取りあえず、応接室の長椅子にアレナエリンを横たえた。
メリエリナは、思い詰めた表情でアレナエリンの額の汗を拭っている。アディは、まだぼんやりする意識の中で、メリエリナの目に違和感を覚えた。だが、自分が何に引っ掛かっているのか、どうしても分からない。
リリーメルは、男たちを応接室から追い出した。淑女が横たわっている姿を見せる訳にはいかない。
「メリエリナも事情をご存じのようですね。可能な範囲で構わないので話してはもらえないでしょうか。あの赤い液体は私たちが狙われている原因でもあるのです」
メリエリナは、汗を拭う手を止めてしばらく動かなかった。アディには、その背中に逡巡と葛藤を感じた。
「私も、全てを理解しているわけではないのです……」
そして、メリエリナは一年前に起こったある事件について語り始めた。
アレナエリンの実家、ヘイセイス家にポセワイゼスという男が滞在していた。この男は、不審な薬物の密売に関わっていた。
ポセワイゼスは、ヘイセイス家で死亡する。
密室の客室で、服毒死した。
その事件は、ポセワイゼスの自殺ということで片づけられた。上級領主のブレンナーレ伯も自殺として認定したことで、ヘイセイス家は一切とがめられなかった。
メリエリナは、ポセワイゼスが飲み干したらしい小瓶の残り香をかいでいた。
木の筒から出てきた赤い液体のニオイは、ポセワイゼスが持っていた小瓶のニオイと同じだった――。
「つまり、この赤い液体はポセワイゼスが自殺に使った毒薬ということなのですね」
リリーメルは、得心したとは言い難い顔で、取りあえず頷いた。
メリエリナの顔色も表情もすぐれない。アレナエリンの手を握って、彼女の寝顔を見つめている。その二人を、リリーメルは見つめた。
――まだ何か隠している。
それだけではない。今の話とアレナエリンの叫びとには、決定的な齟齬がある。
「私が殺してしまったの」
その悲痛な叫びが耳から離れない。
だが、それは私が詮索すべきことなのか。私たちが知るべきなのは追われている原因、襲撃を回避するための方法だ。過去の事件をほじくり返すことではない。
自殺で片が付いているというではないか。
リリーメルは、横に控えているアディを見た。
アディは、静かに顔を振った。
彼女は、リリーメルの葛藤を理解した上で、「それ以上はいけない」と伝えたのだ。
アレナエリンが目を覚ました。
「アレナエリン様!」
メリエリナがアレナエリンの顔をのぞき込んだ。
ここから先は、メリエリナに任せるべきだろう。
リリーメルとアディは立ち上がって、席を外すことにした。
「お待ちください、リリーメル様」
「アレナエリン様?」
「私の話を聞いていただけませんか?」
「しかし……」
「ずっと、誰かに聞いてほしかったのかもしれません。そして罰してほしかったのです」
「罰する?」
「私は人殺しなのですから」
アレナエリンは起き上がると、気遣わしそうに手を添えるメリエリナに礼を言って、リリーメルたちに着席を求めた。
「私は、ポセワイゼスに乱暴されそうになったのです」
「アレナエリン様!?」
「大丈夫。未遂だったの。メリエリナはきっと、私があのとき汚されてしまったと思っていたのね」
「……」
「ポセワイゼスは突然苦しみだした。そして、『黒い薬』を取ってくれと私に要求しました」
「乱暴しようとした娘に助けを求めたの!? 何て図々しい! 私なら殴り殺しているところです」
リリーメルが、頭から湯気を出さんばかりに怒ってこめかみに青筋を浮かべた。フェーンが居たら、八つ当たりしていたかもしれない。
「お人好しだった私は、助けようと思ったのですよ。今思えば、殴るくらいはしてもよかったかも」
アレナエリンはそう言って、かすかに笑った。少しずつ、現実を受け入れ始めているようだ。
「私は彼の求め通り、『黒い薬』を渡したのです」
「……」
「その薬を飲み干したポセワイゼスは、急に苦しみだして、死んでしまいました」
「単に、間に合わなかっただけでは?」
「その『黒い薬』は、確かに先程のニオイがしました。私が彼に渡したのは、あのニオイの薬なのです」
「つまり、この『赤い液体』は毒薬だと?」
「でも、このような透き通った奇麗な色の薬はなかったのです。私は確かに『黒い薬』をちゃんと選んだのに」
アディがそこで口を挟んだ。
「色は重要ではなかったのではありませんか? 黒いものもあったとか」
「そうかもしれません。いずれにせよ、私は毒薬をポセワイゼスに飲ませたのです」
「う~む」と言いつつ、リリーメルは赤い液体が入った小瓶を手に取って眺めた。日の光に透かしたり、瓶の底からのぞき込んだり。そして再び「う~む」と言って小瓶を握った。
「色、色……」
そして再び、指を開いて小瓶を見た。
「えっ……」
「姫様、どうかしましたか?」
「うん。ねえアレナエリン様。ポセワイゼスに薬を飲ませたのは室内ですか? 昼間ですか? 窓は開いていましたか?」
「あれは日没後で、窓は閉じていて……真っ暗ではなかったので、ろうそくが何本か灯されていたのだと思います」
「メリエリナ! ろうそくを何本か用意して! アディは窓を閉めて!」
「姫様!?」
「早く!」
窓を閉じてろうそくを灯すと、室内は夜のようになった。
「そう、確かにこれくらい薄暗い部屋でした」
「では、これは何色に見えますか?」
リリーメルは、赤い液体が入った瓶を机の上に置いた。
「あっ!」「あっ!」「あっ!」
「思った通りね。ろうそくの明かりしかない暗い部屋では、『黒にしか見えない』の。手のひらの中でもほとんど黒に見えたから、もしかしたらと思ったのだけれども」
「そう……それで私は毒薬を選んでしまった……」
「この状態では、誰もこの液体が赤いとは思わない。分からない」
「リリーメル様、ありがとう。なぜ私が間違えたのか、これでやっと納得できました。でも、ポセワイゼスに毒薬を飲ませたという罪は消えない」
「そう、ポセワイゼスに毒薬を渡したという『事実』は変わらない。でも、誰もあなたを責められない」
「……」
「アレナエリン様は『罰してほしかった』とおっしゃっていたでしょう? でもこれでは罰しようがないじゃない」
「……」
「アレナエリン様は、もう一つ大切なことを忘れています」
「大切なこと?」
リリーメルはゆらりと立ち上がると、仁王立ちになってアレナエリンに人さし指を突き付けた。
「乱暴されそうになったのでしょう? 私なら相手を殺します。アレナエリン様、あなたもポセワイゼスを殺すべきだったのです!」
一年前に起きた事件の全貌は『居眠り卿と密室の死体と消えた小瓶』(https://ncode.syosetu.com/n2128lt/)をご参照ください。
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