フェーンエル
「さあ、早速届けます。行きましょう」
姫様は、男の観察&妄想を書き付けた紙を四つ折りにすると、椅子を蹴り上げんばかりに立ち上がった。
無駄に行動力がある姫なのである。
「そ、その文をそのまま突き付けるのですか? もっと推敲なさっては?」
「推敲などしたら、情熱が薄れてしまうじゃない。心の内をそのまま文字化するからいいのではないの?」
「あれが心のままだとしたら、ますます不安が募ります」
姫様は私の制止を振り切って、部屋を飛び出していってしまった。伯爵令嬢が走るなど、あってはならない無作法。奥様に見られでもしたら、それは恐ろしいことになってしまう。
まずはあのイノシシ娘を捕獲せねば。
幸い、姫様は行動が唐突で初動は速いが、走るのはとにかく遅い。あれほど懸命に手足を動かしているのに、なぜ速度が出ないのか。
不憫だ。
私はかなり出遅れた。だが案の定、姫様は大して進んでいない。
「まだそこ!?」と驚くほど近くにいた。
簡単に追い付いた。
そして、遅いといっても歩くよりはやや早く、玄関広間に着いた。だが、目的の騎士はいなかった。
「逃げられた!」
「単に交代の時間になっただけです」
窓の外が赤く染まっている。
姫様を食堂にお連れする時間だ。
食堂には、ご両親と二人の姉君が着席していた。長男と次男は自分の領地に住んでいるので、長らくお姿は見ていない。
「リリーメル、お食事の時間は守りなさい」
奥様がお嬢様をきりりと睨んだ。
お嬢様は、しおらしく返事をしながら着席した。全く懲りていない。
「キーゼロイデの輿入れは六日後だ。三日後には出発するから、旅の準備を始めておきなさい」
伯爵が、温和な表情で姫様に語りかけた。そう、次女のキーゼロイデ様はもうすぐ他の伯爵家のご嫡男の妻となるのだ。伯爵令嬢としては申し分ない縁談だ。
長女は既に公爵のご嫡男に嫁いでおり、三女も某伯爵家との縁談が進んでいるという。
キルエルト伯家の縁組は実に順調だった。
リリーメル様をのぞけば。
翌朝、私たちは再び玄関広間の手前の角で、顔を上下に並べて玄関広間をのぞいていた。
「居た! 私の想いを受け取る準備は整ったということね。殊勝なことだこと」
「姫様のことなど気にしていないと思いますが」
「文を渡してきます。い、い、い、行ききき、まますよよ」
「姫様?」
「ななな何にに? アディディディ」
「まさか、緊張しているのですか?」
これまでの猪突猛進吶喊突撃姿勢はどこに落としてきたのやら。
「き緊張? ままさっかか!」
そのまま、姫様は脱兎の如く駆け出した。
もう少し落ち着いてから行けばいいものを。相変わらず行動が唐突で止める暇もない。
姫様は意中の騎士の前に立っていた。
耳まで真っ赤にして、突っ立っている。
騎士は困惑していた。
私はそっと近づいて、姫様の顔をのぞき込んだ。
口をぱくぱくと開閉している。視線が泳いでぐるぐる回っている。
「あ、ああっ、あの、これをあげます!」
姫様は四つ折りにした紙を騎士に突き付けた。
目測を誤って、騎士の甲冑に手がガツンと当たった。
あれは痛い。
姫様は、「ぎゃっ」と叫ぶと走り去った。
だが、遅いので「去った」という状態にはなかなかならなかった。
長い廊下をもたもたと走っている姿がしばらく見えた。
不憫だ。
せめて、隠れていた方に逃げれば角を曲がるだけで見えなくなったのに。
「あの、これは……」
若い騎士は、姫様が落としていった紙切れを拾い上げて当惑している。ここは私が聞き取り調査をするしかない。
「私はリリーメル様付きの侍女、ソド・マークマエン・アディーメと申します。お名前を伺っても?」
「マークマエン卿のご息女でしたか。私はソド・デルバーエル・フェーンエルと申します。えっ、リリーメル様!?」
突然現れて甲冑に正拳突きを食らわせてきた美少女が、まさか主家の四女だとは思わなかったのだろう。フェーンエルという騎士は驚愕して立ち尽くしている。
デルバーエル家……。伯爵の外出時に常に侍っている壮年の騎士の息子か。家格は高くないが、伯爵の信頼は厚い。
「デルバーエル卿のご嫡男でいらっしゃいますか? お歳は?」
「ええ、デルバーエル家の長男です。一七歳になり、先月伯爵に叙任していただきました」
伯爵家の譜代家臣の嫡男で、歳は姫様の二つ上、私の一つ上。結婚相手としては身分違いだが、火遊びのお相手としてならば……。
私は、フェーンエルを改めて観察した。確かに、美男だ。身長は一八〇セル弱。姫様が一目惚れするのも頷ける。
あのヘンテコな恋文はどうしようか。回収したいところだが、相手が読んでいないと知ったら面倒なことになりかねない。いっそ、フェーンエルに読ませてドン引きさせた方が話が早いかもしれない。
「その紙は、姫様からあなたへの文です。読んでおいてください」
私は、面倒ごとを最小限に抑えるにはどうすべきか、頭を悩ませながら玄関広間を後にした。




