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一目惚れ伯爵令嬢と下僕たち ~イケメンを探していたら陰謀を暴いてしまいました~  作者: 中里勇史
貴族として

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18/25

泥だらけの君主

「俺も暇じゃねえんだ。そろそろ行くぞ」


 ガンデは、自分の荷物をまとめつつ一同を促した。

 フェーンとアディも、のろのろとそれに従った。


「だめよ」

「ねえ、だめだってば」

「ダガベを助けに行きましょう。ねえみんな、手伝って!」

「姫様……」「姫様……」「……」


 リリーメルは、ゆっくりと崖に近づいた。岩が突き出て木々が生い茂り、崖の下は全く見えない。

 震える足をさらに前に出して、下をのぞき込む。やはりダガベの姿はなかった。


 怖い夢を見て泣いたとき、母上がぎゅっと抱き締めてくれた。

 犬に追い掛けられたとき、兄上が震えながら追い払ってくれた。

 雷が鳴る夜、姉上が添い寝してくれた。

 私は末っ子で、最年少で、いつもみんなが守ってくれた。

 だから私は怖くなかった。


 崖の下には月明かりは届かないだろう。

 このまま夜になったら、完全な闇に閉ざされる。

 闇は……怖い。

 あの街で、夜、一人ぼっちになったことを自覚したときの恐怖が甦ってきた。

 胸の奥がぎゅっと締め付けられる。

 何も見えないという恐怖。一人ぼっちという恐怖。全身に鳥肌が立った。

 怖い、怖い、怖い。

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。


「こんなところで、一人ぼっちさせちゃだめ」

「ダガベは、一番年下なの」

「今度は、私が助けるの。私の方がお姉さんなんだから」


 リリーメルは振り向くと、一同に静かに頭を下げた。


「お願いです。ダガベを助けるのを手伝ってください」

「姫様……」


 ガンデは明後日の方向を眺めたまま動かない。

 それを見たフェーンとアディは、躊躇した。ガンデの助けなしではどう考えてもダガベ救出など無理だ。


 誰も動かないと理解したリリーメルは、馬にくくり付けられていた縄の束を外し、崖の縁に生えている木に結び付け始めた。


「姫様?」とアディが問いかける。

「皆に無理を言ったようです。私だけでやります」

「そんな、姫様」


 フェーンとアディは頷き合うと、リリーメルに駆け寄った。


「私が行きますから、姫様はアディと上で待っていてください」

「フェーン、ありがとう。でも無理はしないでください」

「姫様がやるよりははるかにましですよ」


 ガンデは、苦虫をかみつぶしたような顔をしたまま動かない。


 フェーンは、くくり付けた縄を何度か引っ張って強度を確かめると、崖の下に下り始めた。

 下の方で、フェーンのうめき声がする。


「フェーン、大丈夫ですか!?」


 リリーメルが必死に声をかける。


 「うわっ」という声と、ガラガラと石が崩れ落ちる音がした。


「フェーン!?」


 返事はなかった。


「フェーン!?」

「私は大丈夫です。ダガベが!」

「私も行きます!」


 リリーメルは縄をつかんで下りようとした。だが、あっという間に転落しかけてアディに腕をつかまれた。


「だめです姫様! 危険過ぎます」

「邪魔しないでアディ。二人を助けなきゃ」

「はっきり申し上げます。姫様には無理です」

「アディ……」


 ほんの少し体重をかけただけであるにもかかわらず、リリーメルの手のひらは血だらけだった。野良仕事などしたことがない貴族の手は、縄が少し食い込んだ程度の負担にも耐えられなかった。

 ずり落ちたときに枝に顔を打ちつけて、新雪のような肌に傷が付いていた。

 肘や膝を擦り剥いて血が滲んでいる。

 リリーメルは、改めて自分の無力さを思い知らされた。

 ほんの三〇セルほど下りようとしただけでこのざまだ。

 アディにも無理だろう。


 アディに引き上げられたリリーメルは、改めてガンデを見つめると頭を下げた。


「お願いです。ダガベとフェーンを助けてください」

「俺の仕事はあんたを領地まで送り届けることだ」


 リリーメルは目を閉じて唇を噛んだ。

 そして、静かに目を開いた。


「キルエルト伯の四女、ヴァル・サーディバル・リリーメルとして命じます。ダガベとフェーンを救出しなさい。救出の暁には、我が父より褒美を取らせます」

「命じるだと? 俺はあんたの家臣じゃねえぜ」


 「へっ」と笑いながらリリーメルを見た。

 そして凍り付いた。

 彼女の目は、見るものを圧倒する力を宿していた。

 生まれながらの君主の威厳に射貫かれた。


 顔と手足と手のひらから血を流し、泥だらけになって、それでも貴族の矜持を忘れず仁王立ちしている。


 ――なるほど。イカレてるが、さすがお貴族様だ。

 その命令を、平民を救うために使うってか。

 笑わせる。

 笑ってしまうくらい愉快じゃねえか。


「いいだろう。褒美の件、忘れるなよ」

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