リリーメル迷子事件
「ロレル、ちょっと来い」
「何だよ」
ガンデが、先頭を歩いているダガベを呼びつけた。
「次の分かれ道で右に進め」
「え? テリテーに行くのかい? 左の方が少し近道だろうに」
「んなことたぁ分かってんだよ。右だ。右」
「じゃ今夜はテリテーに泊まるのかい? 左の先にある宿場町の方が安上がりだろうに」
「うるせえな。んなことたぁ百も承知よ」
ガンデは、拳をダガベの脳天に振り下ろした。
こうして一行は、比較的大きな街であるテリテーに入った。
「そろそろ日が暮れる。取りあえず宿に入るぞ」
ガンデはそう言うと、街の中を右に左に何度も曲がりながら進み、安宿に入った。
「つけられているのですか?」
ガンデの横にアディが静かに近づいて、問いかけた。
「何のことだ」
「ダガベとの会話が聞こえました。街道沿いに宿が並ぶだけの宿場町ではなく遠回りしてでも大きな街に入り、人込みの中を何度も曲がって宿に入った。尾行をまくためとしか思えません」
「……」
「宿場町なら、行き先もその街道の先。しかし、この街は四方に門があって、ここからどの方向に向かうのかも分からない。先回りされる心配もありません」
ガンデは、アディの顔をしばらく眺めて、ため息をついた。
「あんたとロレルを交換したいぜ」
「私は姫様の侍女ですから」
「ま、分かってるなら話は早ぇ。尾行はまいたはずだ。後はこの宿に引きこもって、朝イチでさっさとずらかる。目立たなければ、見付かる心配はないだろう」
「あなたを選んだ姫様の目に狂いはなかったということですね」
「それは早計ってもんだな」
「姫様は、ああ見えて人を見る目は確かなんですよ。比較的正常なときは」
「そうみたいだな」
ガンデがあっさり認めたので、アディは目を見開いた。「あのイカレ姫のどこが?」と反論されると思っていた。ずっと、そう言われ続けてきたのだから。
その姫様が、居ない。
どこにも居ない。
「どどどどういうことなんだ? どうして目を離したんです?」
フェーンに詰め寄られて、アディは唇を噛んだ。自分の失策であることは分かっている。なじられても仕方がない。
改めて手分けして探したが見付からない。もはや、この狭い宿屋のどこかに居るとは思えなかった。
「すると、外、か……」
ガンデは頭を抱えた。この広い街で人捜しをするのは難易度が高い。下手に目立つと尾行者に見付かる恐れもある。
「面倒なイカレ姫だぜ」
◆
リリーメルは、商人とおぼしき男の後ろをふらふらとつけ回していた。宿屋の一階にある酒場に食材を運んできたらしい商人の理知的な横顔にときめいてしまったのだ。
「己の才覚だけで商売を切り盛りする……。なんて知的な方」
お近づきになりたい。彼はどんなことを考えているのだろう。
金貨をどのように数えるのか。
二枚ずつ、五回に分けて一〇数えるのか、一枚ずつ数えるのか。二枚ずつささっと手際良くさばくのも素敵。一枚ずつちまちま数えるのもかわいらしい。
ああ、あなたはどんなふうに数えるの?
日没が近づき、空も街も真っ赤に染まった。真横から眩しく光が差し込むこの時間は雰囲気満点だけど、陰影が濃くて顔を見分けにくい。往来の多さも相まって、思い人を見失いそうだ。
ああ、そこにいる彼は誰。まさに黄昏時……。
愛しい商人は、しかし、露天の前を通り過ぎる瞬間に、店先の果物をひょいとつかんでそのまま歩き去ったのだった。
私はスンと虚無になり、回れ右した。
「ナイわー。泥棒って……ナイわー」
すっかり醒めた。帰ろう。来た道を戻れば……。
「来た道ってどれ?」
見たこともない景色だ。そもそも、あの泥棒の後頭部しか見ていない。自分がどのような道を通ってきたのか、全く覚えていない。
困った。だが、困っていても道は開けない。
ま、そのうちどうにかなるでしょう。
そうだ。夕日が真横から差し込んでいた。左が眩しかったのだから、夕日が右から差すように、つまり南に向かえばいいのだ。
私は意気揚々と前進を再開した。だが、弱ったことに夕日はほとんど沈んでしまった。曲がり角が続いたら、方向を見失うかもしれない。それに、いくら街の中とはいえ、日没後はほとんど真っ暗になってしまう。急がねば。
リリーメルは走った。本人の主観的には、馬の駆け足のように。客観的には、歩くよりも幾分速い程度で。
どんどん暗くなってきた。
庶民にとって松明やろうそくは高価であり、普段使いするものではない。日が没したら寝るのが基本だ。
夜間でも営業する飲み屋は例外として、多くの店や民家は明かりを落とし、眠りに就く時間に入っていった。
リリーメルの胸に恐怖がわき上がってきた。暗闇で右も左も分からなくなった街の中に一人取り残された自分を想像して、涙が出てきた。
「怖い」
「怖い」
「怖い怖い」
「怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い」
もう、どっちに走ったらよいのかも分からなくなった。
「アディー、フェーン、ガンデー、えーと、何だっけー!」
力の限り叫んだ。何度も叫んだ。
叫びながら走った。
「ひ~め~さ~ま~」
声が聞こえた。あれはフェーンの声だ。
「フェーン! アディー、ガンデー、あともう一人~!」
「ひ~め~さ~ま~」
リリーメルを呼ぶ声が近づいてきた。自分の居場所を伝えなければ。
「フェーン! アディー、ガンデー、思い出した~ダガベー!」
突然、暗がりからフェーンが飛び出してきた。
彼は、ひどく汗をかいていた。ぜーぜー言いながら、笑顔を見せた。
「姫様、お探ししておりました」
「ああフェーン、偶然ね。実は私もあなたを探していたところです」
私は、涙を袖で拭った。泣きべそ顔を見られてしまったかもしれない。だけど、フェーンはそのことに一切触れなかった。
「さあ、宿に戻りましょう」
「帰り道は分かるの?」
「お任せを、姫様」
リリーメル迷子事件は、こうして事なきを得たのだった。
◆
「あの宿屋に入ったな」
「まかれたときは終わったと思ったが」
「まだツキは逃していないらしい」
「ヤツらは恐らく、朝イチで宿を発つはずだ」
「まったく、街の中で野宿かよ」
二人の男は、くしゃみをしながら宿屋を眺めた。
「冒険の始まり」は今回で終了。
次回から「貴族として」編です。
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