07話 第二の太陽
炎が消え去ったあとの湿った肌に、冷たい風がピリリと突き刺さる。
あたりには、怯えた村人たちのすする鼻水と荒い息遣いだけが残されていた。
(――でも、あの人は地球から来たはずよね……? 普通の高校生が、あんな……人間離れした力なんて持ってるわけないじゃん……っ)
麗華の脳裏によぎるのは、あの森で遭遇した数々の凶暴な魔獣たちの姿。
命の危険にさらされて心臓が早鐘を打っていたあの時、シンはまるで映画でも眺めるかのようにポケットへ両手を突っ込み、平然と突っ立っていたではないか。
(もし、あの人に隠されたとんでもない能力があるんだとしたら……それですべて辻褄が合う……!)
思考の結論にたどり着くより早く、空気を引き裂く凄まじい轟音が頭上から降ってきた。
「っ……!」
反射的に麗華は顔を上げた。
強烈な風圧が髪を激しく乱し、周囲の村人たちが一斉に息を呑んだ。
はるか上空。暗黒の天蓋を切り裂くように、災厄竜が眩い紅蓮の炎を纏ってそびえ立っている。
巨体を覆う無数の鱗から火花が散り、魔力を孕んだ重低音を響かせながら、巨獣は一切の減速もせずに急上昇していった。
バサリ、と巨大な翼が一閃する。
放たれた圧倒的な衝撃波が空気を爆散させ、周囲に残っていた残り火の輪を塵へと変えた。
地底を洗うような低い威嚇音が、麗華の歯の根をガチガチと鳴らす。
隣では、激しい頭痛に耐えかねたように村人たちが膝をつき、ワナワナと震える両手で耳を塞いでいた。
その頭上で、竜は禍々しい突起の並ぶ頭部を大きく反らし、鋸歯の揃った巨大な口を限界までガバリと開け放つ。
咽喉の奥底で、眩い赤色の光が凄まじい勢いで収束していく。
あまりの光量の増大に、夕闇に包まれていたはずの空間が真昼のように白く染め上げられた。
押し寄せるすさまじい熱波が広場を飲み込み、泥濘んだ水たまりを一瞬にして沸騰させて分厚い白煙へと変える。
――シャーッ……!
焼け焦げた岩とオゾンが混ざり合った刺激臭が、肺の腑を焦がすように突き刺さる。
竜が放つ圧倒的なプレッシャーの前に手足がすくみ、恐怖で逃走本能すら完全に麻痺した村人たちは、その場から一歩も動けずにいた。
だが――。
眩いほどのオレンジ色の光に照らし出されたその場所で、シンはまばたき一つしなかった。
吹き荒れる熱風などどこ吹く風。
揺らめく地面に映る長い影すら微動だにさせず、その灰色の瞳は、竜の口内で渦巻く灼熱の光球をただ静かに見据えていた。
「もうおしまいじゃ……」
絶望に打ち震えながら、男はくずおれるように膝を泥土へと突いた。
次の瞬間。
異形の喉元で煌めいていた灼熱の光球が、まるでスイッチを切ったかのようにパツリと消え失せる。
あたりは再び、冷たい闇へと引き戻された。
息を呑む間もなく、周囲の空間から突如として荒れ狂う螺旋の炎が奔出し、災厄竜の巨体を丸呑みするように絡みついた。
凄まじい熱の奔流の中で、怪物は空中でのたうち回る。
底知れぬ恐怖を孕んだ絶叫が、麗華の靴底をビリビリと震わせた。
「ガアアアアアアアッ――!!」
だが、異様な気配を纏うその炎でさえ、深紅の頑強な鱗をかすめるのがやっとだった。
重々しい翼を二度羽撃かせるやいなや、竜は纏わりつく火焔を埃でも払うかのように吹き飛ばしてしまう。
信じられない光景を目の当たりにし、群衆は恐怖に凍りついた。
「う、嘘だろ……あんな化け物が……?」
「二度も攻撃を受けて、まだ無事だっていうのか……っ!?」
予期せぬ反撃に混乱したのか、竜は荒々しく頭部を左右に振る。
狂ったように翼を打ち鳴らし、そのまま垂直に天へとロケットのように駆け上がっていった。
巨大なシルエットがみるみるうちに小さな黒点へと変わり、やがて厚い灰色の雲の向こうへと姿を消す。
あとに残されたのは、ただ圧倒的な静寂だけだった。
破損した村の上空に、重苦しい沈黙が垂れ込める。
「お母ちゃん……」
母親の粗末な布服を小さな指先できつく握り締め、少女が上気した声で呟く。
「あの怪物、また戻ってくる……?」
母親は震える手で娘を胸へと強く抱き寄せ、乱れた髪を優しく撫でつけた。
「しーっ……大丈夫よ、もう戻ってきたりしないから」
人々はいつまでも曇天の空から目を離せずにいた。
長い、長い時間が流れたが、竜が再び姿を見せることはない。
強張っていた麗華の肩の力がゆっくりと抜け、広場全体から大きな、震える安堵の溜息が漏れ出した。
「神仏の加護じゃ……」
かすれた声が、吹き抜ける微風にかき消されるように零れる。
「竜は……もう戻ってこん……!」
「ま、二度もあんな反撃を受けたら、さすがの化け物もビビッて逃げ出したんだろ……!」
引きつった笑みを浮かべ、別の村人が恐怖を紛らわすようにそう吐き捨てた。
広場全体に安堵の空気が広がりかけたその矢先、空を引き裂くような爆音が鳴り響いた。
――ドオオオッ!!
凄まじい衝撃波が、すべての屋根から剥がれかけた木片を激しく揺らす。
一斉に頭上を仰ぎ見た視線の先で、圧縮された爆風が重い灰色の雲を吹き飛ばし、頭上に青空の穴をぽっかりと穿った。
その裂け目から、太陽の光を遮るほどの巨大な黒影が凄まじい勢いで急降下してくる。
「……っ!」
近づくにつれて剥き出しになる鋭利な鉤爪と巨大な翼が、群衆の胸に底知れぬ恐怖を叩き込んだ。
「う、嘘だろ……あれは……っ!」
誰もが恐怖に染まった目を剥き出しにする。
――災厄竜が、直滑降の姿勢でこの地面めがけて墜ちてきていた。
先ほどの轟音は、怪物が音速の壁を突破した衝撃波。重力を味方につけた巨獣は、加速に加速を重ねて真下へと迫る。
「い、命が惜しかったら走れ! 竜が落ちてくるぞ……!」
広場に爆発的なパニックが弾けた。
生存本能に突き動かされ、村人たちが我先にと四散して逃げ出す。
泣き叫ぶ子供を抱きかかえた親たちが、埃を巻き上げながら全速力で駆け抜けていく。
そんな大混乱の只中で、一人の少年だけが石像のように微動だにせず立ち尽くしていた。
舞い上がる砂煙の向こうにシンの背中をとらえ、麗華は息を呑んだ。
(こんな時に、あのバカ何やってるのよ……っ!)
上空から落ち来る怪物へと、シンは冷静な視線を向けたまま一歩も動かない。
眩しい陽光を遮るように片手を掲げ、灰色の瞳で急降下する巨獣の軌道を静かに追っていた。
「……あれに、使おう」
呟くような、風にかき消されそうな低い声。
空から目を離さぬまま、轟く風切り音を切り裂いて、冷徹なまでに落ち着いた声が届いた。
「――そこにいろ」
その言葉が紡ぎ出された瞬間、天を穿つような眩い閃光が世界を白く染め上げた。
逃げ惑う村人たちは腕で顔を覆い、荒れ果てた広場を焼き尽くすほどの強烈な光を防ごうともがく。
恐ろしいまでの数秒間、墜ちていくはずの災厄竜の巨体が、あまりにも巨大な白い光の球体の中に完全に飲み込まれ、瞼の裏を焼き付けるほどに輝き狂った。
空中で膨張した光の球は、ひと際激しく明滅したかと思うと――次の瞬間、激しい音を立てて内側へと収縮し、竜の胴体へと吸い込まれていく。
不気味な静寂が、一瞬だけあたりを支配した。
――そして、大気が爆ぜた。
――ドオオオッ!!
すさまじい爆風が広場を薙ぎ払い、逃げ遅れた村人たちを次々と地面へと叩き伏せる。
耳をつんざく高音が脳髄を揺らし、人々は頭を抱えて悲鳴を上げた。
上空では、黒煙を吹き上げる煤けた巨体が、重力に引かれるまま真っ逆さまに墜落していく。
――ズドンッ!!
村の中央広場が激しく揺れ動き、強烈な地鳴りと共に、無数の鋭い小石と粉塵が辺り一面に吹き荒れた。
恐る恐る、一歩、また一歩と村人たちが足を踏み出す。
渦巻く砂煙がゆっくりと晴れていくにつれ、誰もが息を呑んで硬直した。
転がっていたのは、竜の亡骸だった。
あれほど恐れられた怪物の姿は、もはや見る影もない。
全身の深紅の鱗はすっかり炭のように焼き焦げ、崩れ落ちた肉体は一握りの灰となって地面を黒く汚している。
村を滅ぼしかけた魔獣は、いまやただのくすぶる黒い殻と成り果てていた。
ざわめきのような小さな囁きが群衆の間に広がる。
だが、その安堵の色は、焼け落ちた自宅の残骸へと視線を戻した村人たちの顔から、一瞬で消え去っていった。
「そんな……」
誰かの掠れた嗚咽が、静まり返った広場にぽつりと零れ落ちる。
シンの力によって村が全滅の危機を免れたのは事実だった。
だが、その代償として突きつけられた被害はあまりにも大きすぎる。
奪われた命は、二度と戻らない。
ステータス
名前:真 ソル
種族:人間
称号:なし
能力:『???』
ステータス
名前:三葉 麗華
種族:人間
称号:なし
能力:なし




