06話 予期せぬ訪問者
身を乗り出し、麗華は村長の一言一言にじっと耳を傾けた。
「ワイバーンなど赤子に見えるほどの巨躯での。蛇のように長くしなやかな巨体に、陽の光を軽々と遮る巨大な翼。頭部には鋭利な突起が並び、その爪は巨岩すら容易く粉砕しそうじゃった。全身を覆う鱗は、炎と焦げた木を混ぜ合わせたような、禍々しく深い赤色をしておったよ」
「ねぇ、その竜が……」
麗華は疑問を拭いきれず、眉をひそめて言葉を挟んだ。
「昔話に出てくる竜と『全く同じ個体』だって、どうして言い切れるの……?」
「ワシのひいおばあ様もまた、その目で直接その姿を見ておるからじゃよ」
膝の上で指先をトントンと遊ばせながら、老人は穏やかに答えた。
湯呑みを持ち上げ、ゆっくりとお茶を含んで喉を潤すと、コトンと静かな音を立てて木製のお盆へ戻す。
「幼い頃、母からよく聞かされたものじゃ。あの森の深部には、守護神のごとき古の竜が鎮座しておると。単なる知性のない魔獣などではない、確固たる『名』を持つ本物の竜がな」
トントン、と固い拳の節で座卓を叩いた。
「伝承によれば、遥か太古の昔、その竜は大狂乱を起こして国土の半分を灼熱の地獄へと変えたという。轟々と吹き荒れる火の海は、立ちふさがる魔獣も大木も、一切合切を灰燼に帰せしめたのじゃ」
白髭に指先を滑らせ、村長はニヤリと乾いた笑みを浮かべた。
「母は口酸っぱく言っておったよ。その竜の感性は、普通の魔獣など比べものにならんほど鋭いとな。見つからなかったのは運が良かっただけだと言われたが……ワシはな、あの藪の中にいたワシの存在に、竜は気づいておったと思うのじゃ。泣きじゃくるガキなど相手にする価値もないと見逃されたか、単にお腹が空いておらなかっただけじゃろうて。フォッフォッフォ!」
「巨大な影が樹々の向こうへ去った後、ワシは生まれて一番の速さで走ったよ」
かすれた声が、遠い昔を慈しむように小さくなっていく。
「何時間も探し回っておった父親に正面から激突するまで、一度だって立ち止まらなかった。あの時は本気でぶん殴られたものじゃ!」
再び湯呑みを取り、冷めきった最後の一滴を飲み干すと、カチャンと小さな音を立ててお盆へ置いた。
「母の話ではな、その『災厄竜』以外にも、別の『災厄竜』が存在するらしいのじゃ」
粗末な布服を着た両手を、老人は静かに膝の上へ置いた。
「もっとも、他の竜がどんな姿をしておるのかはワシにもさっぱり分からんがね。ひいおばあ様ですら、目撃したのはその『災厄竜』だけじゃったからな」
はぁ、と小さく溜め息を漏らし、村長は肩を落とした。
「冥土の土産に一度くらいは拝んでみたいものじゃが……この歳になっては、叶わぬ夢じゃろうて……」
黙して耳を傾ける麗華の前で、老人の深い皺の間にしんみりとした翳が落ちる。
「龍という生き物はな、この大陸で最も古くから存在する古参の種族じゃ。人間の時間感覚などとは比べ物にならんほど長く生きる」
静かな声で村長は語る。
「人間の一百年など、あやつらにとってはほんの十年程度にすぎん。普段は深い洞窟の奥からほとんど出てこんゆえ、その姿を拝むことなど一生に一度あれば奇跡の類じゃよ」
「なるほど……」
思わず感心したように、麗華は呟いた。
老人は視線を下ろし、空になった湯呑みへ向けていた目を、ふと驚いたようにぱっと見開いた。
「おっといけない! 肝心の名乗りがまだじゃったな!」
ハッと頭を下げ、村長は丁寧に礼儀を示した。
麗華とシンも慌てて頭を下げ返す。下を向いた瞬間、滑らかな木の香りが麗華の鼻腔をくすぐった。
「わしはこのシグナス村の村長、サイラスという」
上体を起こし、麗華はシワの寄った制服のスカートを手のひらでそっと撫でつけた。
「あたしは……三葉麗華です。で、こっちは――」
「真ソル(しんそる)」
被せるような、どこか冷たく平坦な声。
麗華の頬がピクッと引きつった。
(……人の話を遮った挙句、苗字を前に出しやがったわねこの男!)
「ほう、レイカ殿に、シン殿というのだな」
穏やかな笑みで目尻の皺を深め、サイラスはしみじみと頷いた。
「い、いえいえ違います!」
麗華は慌てて両手をパタパタと横に振った。
「名前がソルで、シンが名字なんですよ!」
「ほう……?」
二人の衣服へと視線を走らせるサイラス。
村の者たちが纏う粗い布とは似ても似つかない、すべすべとした上質な仕立ての揃いの制服。
(お偉い高貴な身分の方々か……。その珍しい衣装と、古式ゆかしい苗字の並びにも納得がいくわい)
サイラスはザラついた親指で、蓄えられた白い口髭を静かに撫でた。
(――だが、どうしてあの者たちが日本語をな?我が息子以外にその言葉を知る者などおらんと思っていた。ましてや、遠方からやってきた見知らぬよそ者が話すなど、到底信じがたい……)
村長が思考の海に沈んでいる間、麗華はシンのすぐ傍らに身を寄せ、その耳元へと低く鋭い声音を投げた。
「ちょっと! ここは異世界なんだから、苗字を前に出すななんて――」
突如、外気を切り裂くような凄まじい絶叫が響き渡り、屋敷の薄い板壁をビリビリと震わせた。
一瞬の静寂の後、サイラスは村の中央へ向けて土道を文字通り駆け出した。
その意図を瞬時に察し、麗華はスニーカーの爪先で地面を蹴って老人の背中を猛追する。
「シン君、行くよ!」
轟々と燃え盛る炎の爆音に負けじと、振り返りながら麗華は叫んだ。
「村の人たちを安全な場所へ避難させなきゃ!」
中央広場に足を踏み入れた瞬間、耳をつんざく悲鳴と、家屋が引き裂かれる激しい破砕音が飛び込んできた。
サイラスは崩れかけた戸口へ突っ込み、パニックに陥った家族を引きずり出す。
右手に目をやると、熱せられた炭火につまづいて転び、甲高い泣き声をあげる小さな女の子の姿が視界に映った。
麗華は迷わず駆け出し、怯える子供を両腕に抱え上げて安全な小道へと走る。
その傍らで、シンは全く逆の方向へと歩みを進めていた。
赤々と燃え盛る炎の壁に対し、必死の面持ちでバケツの水をぶっかけ続ける男たちの姿があった。
飛来する火の粉など気にも留めず、シンはマイペースな足取りでその一団へ近づいていく。
「動ける者は、中に取り残された者の退路を作れ! 負傷者は広場の中央へ集めろ!」
現地の言葉など一言も理解できないはずのシンだったが、目の前の異常事態は一目瞭然だった。
躊躇の色すら見せず、猛烈な熱量を放つ炎の壁へと真っ直ぐに歩み寄る。
燃え盛る業火へ直進する背中を見つけ、村人たちが慌てて声を張り上げた。
「おい、若造! 何をする気だ、危ない……っ!」
シンは振り返りもしない。
ただ、右手を静かに掲げた。
コンマ一秒の静寂。
次の瞬間、纏わりつくような重苦しい熱気が嘘のように消え去った。
木造家屋を赤々と照らし出していた強烈な光が、まるで蝋燭の灯を吹き消すかのようにパツリと途絶える。
それは目の前の家一軒だけではない。村中を覆い尽くしていたすべての炎が、瞬く間に跡形もなく消滅したのだ。
あたりに残されたのは、奇妙な静けさと、立ち込める白い薄煙ばかりだった。
肌を刺すような不自然な冷気があたりを駆け抜け、麗華の腕の産毛が逆立った。
水桶を抱えたまま、男たちは完全に言葉を失って硬直する。
「え……?」
子供をしっかりと胸に抱き締めたまま、麗華はその場で凍りついた。
息が喉に詰まり、動悸が激しく波打つ。
見逃さなかったのだ。シンが右手を掲げたその瞬間を。
「うそでしょ……」
炎が消え去ったまさにその瞬間、空気を切り裂いたあの強烈な冷気。
先ほどの寒気は、間違いなく今の現象と同一のものだった。
(シン君……まさか……)
頭を稲妻が走り抜け、麗華の目が大きく見開かれる。
(――あの森で、あたしを助けてくれたのは……この男なの……っ?)
ステータス
名前:真 ソル
種族:人間
称号:なし
能力:『???』
ステータス
名前:三葉 麗華
種族:人間
称号:なし
能力:なし




