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05話 カラミティ・ドラゴン

屋敷の中に足を踏み入れると、滑らかな木の香りと乾燥した藁の匂いが鼻腔をくすぐり、麗華はぎゅっと胸が締め付けられるような郷愁に襲われた。


放課後に友達と食べた熱々のラーメン……。

コンビニの夜間バイト……。

静かな日曜の朝、おじいちゃんおばあちゃんと過ごした穏やかな時間……。


「はぁぁぁ……」


長くて重い溜め息を漏らし、麗華はシンの隣でござの上に倒れ込んだ。


村長は和やかに頷くと、お茶の準備をしてくると告げて席を立った。

カラコロと軽やかな草履の音が廊下に響き、やがて遠ざかっていく。


センチメンタルな気分を振り払おうと、麗華は静まり返った部屋を見回した。

シンのすぐ背後、壁際に置かれた素朴な木製の本棚が目に留まる。棚の大半は空っぽだったが、中央に一冊だけ分厚い本が鎮座していた。


気になって腰を上げ、近くへ寄って覗き込む。

粗い表紙が分厚い紐でしっかり綴じられ、正面には力強い墨文字の漢字が躍っていた。


――『ドリスの大森林 魔獣生態録』。


(……あのおそろしい森、ちゃんと名前があったんだ)


ページをめくろうとした矢先、カチャカチャという湯呑みの音が村長の帰訪を知らせた。

三つの陶器のカップを載せた木製のお盆を低い座卓に置き、村長は二人の向かいの座布団に腰を下ろす。


村長の視線が、すぐさま麗華の手元にある本へと注がれた。


「おや、その本に興味がおありかな?」


「あ……ええ、まあ」


粗い表紙を指先でスッとなぞりながら、麗華は答えた。


「まあまあ、まずはお茶を飲みなされ」


村長はフォッフォッフォと穏やかに笑い、お盆の湯呑みを指さした。


「冷めたお茶では、疲れた身体の養生にもならんからの」


本を一旦置き、麗華は温かな素焼きの湯呑みを両手で包み込んだ。

じんわりと温もりが、冷え切った指気に染み渡っていく。


芳醇で香ばしい茶の香りを胸いっぱいに吸い込み、一口すする。

胃の奥でキュッと固まっていた緊張が、ほろほろと解けていくようだった。

隣では、シンが無言のまま一定のペースでごくごくとお茶を飲んでいた。


カチャン、と静かに湯呑みを置くと、麗華は再び本へと手を伸ばした。

背表紙の粗い麻紐に親指を滑らせる。


(ふむ……)


分厚い表紙をめくると、乾燥した紙と古墨の匂いがかすかに鼻腔をついた。

一ページ目には、端正な墨文字で一行の文が記されている。


――『本書はドリスの大森林に棲まう生態の理解に資する目的で認めたものである。取り扱いには細心の注意を払われたし。フメイロウ著』


次のページを繰った瞬間、麗華は思わず目を丸くした。


紙面狭しと躍る緻密なスケッチ。

鋭い爪から波打つ鱗に至るまで、黒々とした滑らかな筆致で魔獣たちの姿が描かれていた。

その傍らには、体長、長所、弱点、そして好む狩り場などが簡潔な添え書きとして並んでいる。


「大したものじゃろう?」


ページの端に指を添えたまま、麗華は顔を上げた。


「フメイロウ……これ、本当にお息子さんが一人で全部描いたんですか?」


「ああ」


目元の皺をゆるめ、村長は誇らしげに微笑んだ。


「村の者たちの力を借りてな、あの子が自ら集めた情報じゃ。森に潜む魔獣を見たという者がいれば誰にでも話を聞きに行き、細部まで書き留めておった。先祖すら見たこともないような生き物まで、フメイロウは一頭残らず記録に残したのさ」


衣擦れの音を立てて身を引くと、村長は小さく肩をすくめた。


「挙句の果てには、あの頑固者はあろうことか一人で森へ忍び込みおった。間近で魔獣を観察し、己の目で見て描写するためだけにな」


ゴクリ、と麗華は唾を呑み込んだ。喉の奥がカラカラに乾く感覚があった。


(あの悪夢みたいな森に、わざと忍び込むだなんて……!?)


「最初は喉が枯れるまで叱り飛ばしたものじゃ」


苦笑混じりに村長が付け加える。


「あまりにも危険すぎる、一人で行くなど自殺行為じゃとな。だが何度言い聞かせても、あの子は夜中に抜け出しおる。慎重に距離を保っておるから大丈夫だと、口を開けばそればかりでな。最後には小言を言うのにも疲れ果て、諦めて好きにさせおったよ」


麗華の膝の上にある本に視線を落とし、村長は目を細めた。


「だが結果として、あの子のしたことは村にとって絶大な救いとなった。その本は我が村の生存の道標じゃ。いつ森に入れば安全か、どんな危険を避けるべきか、どの魔獣が食えるのか……すべてがあそこに詰まっておる」


ざらついたページをめくると、大きな顎を剥き出しにして威嚇する獣の絵が現れた。

黒墨の文字で、その下に端正な名前が添えられている。


――『ラビッドウルフ』。


(さっきの巨大な狼……この世界ではそう呼ばれてるんだ)


次のページをめくった瞬間、二足の爪足と巨大な皮膜の翼を持つ魔獣が目に飛び込み、麗華は肩を跳ねさせた。

下に添えられた名には、はっきりとこう記されている。


――『ワイバーン』。


(……ッ!)


間違いない。自分たちに火を吹いてきたあの空飛ぶトカゲ、やっぱりワイバーンだったのだ。


鋭い目つきの巨大トカゲ『バジリスク』のページを素早く通り過ぎる。

パラパラとページを繰る指の速度が上がり、黒々としたスケッチを幾つも流していく中、一際描き込まれた一枚の挿絵に麗華の手が止まった。


それまでの簡素なスケッチとはまるで違う、異常なまでの密度。

岩を掴む巨大な曲爪、紙面一杯に広がる皮膜の翼。

ワイバーンに似てはいるものの、重厚な四本の足で立ち、身体全体が鎧のような分厚い鱗で覆われている。


「フォッフォッ……災厄竜ヴェイリアじゃな」


村長が目を細めて和やかに微笑んだ。


「あの子め、ワシが話した通りに見事に描きおった」


即座に言い当てた老人の反応に驚きつつ、麗華が余白へ目を落とすと、そこには全く同じ名が力強い墨文字で刻まれていた。


「これ……本当にお息子さんが自分の目で見たんですか?」


「カッカッカ! もしそうなら、それこそ奇跡じゃよ!」


お盆の湯呑みをカタカタと揺らし、村長は大笑いした。


麗華は表情を一切崩さず、じっと老人を見つめ返す。

真顔のまま微動だにしない視線に耐えかねたのか、村長はゴホンと咳払いをして笑いを強引に収めた。


「コホン……いやなに、あの子が直接見たわけではないんじゃ。さっきも言った通り、昔ワシが話した内容を基に描かせたものでな」


板壁に背を預け、老人は昔を懐かしむように目を細めた。


「ワシがまだほんの小小僧だった頃、愚かにも好奇心に負けて森へ忍び込んでしまってな。気がついた時には深い藪の中で完全に迷子になっておった。暗闇の中でパニックになり、泣き叫ぶことしかできんかったよ」


身震いするように、老人は小さく首を振る。


「運良く魔獣に匂いを嗅ぎつけられることも、泣き声を聞かれることもなかったのは奇跡じゃった。一歩進むごとに危険な深部へ足を踏み入れているとも知らず、ただ暗闇の中を彷徨っておったのさ」


言葉を区切り、村長は小さな小窓へ視線を向けた。

午後の柔らかな陽光が、板張りの床の上に真っ直ぐな光の筋を描いている。


「夢中で帰り道を探しておった時じゃ。突如として、頭上の木々を巨大な影が覆い尽くしてな。見上げると、鳥やそこらの魔獣など比べものにならんほど巨大な影が、空を滑るように飛んでおった。捕まってたまるかと、ワシはトゲのある藪の中へ頭から飛び込み、息を殺して息をひそめたよ」


村長の声が、かすかな掠れ声へと落ちる。


「……龍じゃった。正真正銘、『災厄竜』の姿だったのさ」






ステータス

 名前:真ソル

 種族:人間

 称号:なし

 能力:『???』




ステータス

 名前:三葉麗華

 種族:人間

 称号:なし

 能力:なし

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