16話 私の、とある夢
シンがすやすやと寝息を立てているのを確認し、音を立てないように麗華はそっと起き上がる。
夜風が冷たく頬を撫で、焚き火の残り香と湿った土の匂いを運んできた。
冷たくも心地よい夜気を肺いっぱいに吸い込み、誰もいない静まり返った小道を麗華はあてもなく歩き出す。
足の向くままに歩いていると、いつの間にか村の入り口にある頑丈な木製門へとたどり着いていた。
見張りの門番が近づく気配に気づいて声をかけようとしたが、パッと顔を上げた麗華の姿を見て門番はぴたりと動きを止める。
(ん……?)
怪訝そうな顔をする門番に向かって、ふっと優しく穏やかな笑みを麗華は向けてみる。
すると、不思議なことに門番は警戒を解き、強張っていた肩の力をふっと抜いた。
「@#*&……」
何やらボソボソと言葉を呟きながら、重い木製の閂を持ち上げて通るように門番は手招きしてくれる。
言葉の意味こそ分からなかったが、その身振りだけで意図は十分に麗華へと伝わった。
静かに会釈を返し、暗闇の広がる夜の外へと麗華は足を踏み出す。
村の境界を少し歩いた先には、月明かりに照らされた墓地がひっそりと佇んでいた。
白い月光の下、並んだ真新しい土盛りと素朴な石碑を前にして、麗華の胸の奥がギュッと締め付けられる。
(何か、自分にできることがあればよかったのに……)
そっと両手を合わせ、犠牲者たちに静かな祈りを麗華は捧げてから、再び村へと引き返す。
暗い小道を歩きながら、ふと右手を開いて自身の手のひらを麗華はじっと見つめた。
(あの時頭に焼きついた奇妙なシンボル……あれって、本当に何か特別な力だったりするのだろうか……?)
長く細い息を吐き出し、今なお脳裏に鮮明に残る記憶の残滓を麗華は静かに反芻した。
意識は自然と、あの時脳裏に浮かび上がった文字の一つへと引き寄せられていた。
『主観的支配』。
魂の奥深くに焼き付いたかのように、その名前だけが鮮明にこびりついている。
別に、使おうとしたわけではない。
ただ、ふと頭の片隅でその名を思い浮かべただけだった。
それなのに、概念に触れた瞬間――全身の神経を電流が駆け抜けたような、静かな衝撃が走り抜ける。
「……っ?」
ぼんやりとした夜の闇が剥ぎ取られ、その裏側に隠されていたはずの「別世界」が突如として麗華の視界に露出する。
足元の土中を這うのは、生きた魔力の奔流――微かに脈打つ発光の糸だった。
すべての石ころ、木の葉、草一本一本にまとわりつく紫と黄金の火花が、世界そのものを呼吸する光の網へと変貌させていく。
眩い光の洪水に呑み込まれ、ハッと息をのんで麗華の心臓が激しく跳ねる。
「なんなの……これ……」
自覚もないまま、闇夜の中で麗華の瞳の奥が淡く妖しい紫色に発光し、煌々と輝きを放っていた。
それこそが『契約』の第一の力――『主観的支配』の覚醒を示す証だった。
夜空に漂うように、無数の光の玉が空間を埋め尽くすように浮かんでいる。
色も、大きさも、明滅のテンポもさまざまだ。
精神を呑み込もうとしたあの不気味な化け物とは違い、小さな光たちは穏やかな魔力を放ちながら、ただ静かにたゆたっていた。
(はいったい……? さっきまでこんなもの、どこにもなかったのにっ!)
再び脳裏に焼き付いた名前がフラッシュバックする。
「これが……『主観的支配』……?」
小さく麗華は零した。
呟いた瞬間、まるで忘れていた記憶を取り戻すかのように、知識が雪崩れ込んできた。
肉眼の限界を超え、魔力の隠された理そのものを捉える――それがこの眼に与えられた権能だった。
すっと背筋を伸ばし、静かな感動に包まれながら麗華は辺りを見回す。
視界の端から端まで、色とりどりの光の粒が闇夜を舞うように揺らめいていた。
(あの文字……ハッタリなんかじゃ、なかったんだ……!)
ふと視線を右に向けると、麗華は思わず息を呑んだ。
墓地の石碑の周りを、一際大きな黄金色の輝かしい球体がふわりふわりと旋回している。
空へと昇っていくその軌跡から、夜風にかき消されそうなほど微かな囁きが耳に届いた――それは、この村で聞き慣れた言葉の調べだった。
大空へと溶けていく黄金の光が、ふわりと肌を撫でるような優しい温もりを残していく。
「……」
かすかに響く穏やかな囁きに耳を傾け、麗華の口元に自然と柔らかな笑みが浮かぶ。
「……みんなの邪魔をしちゃ、駄目だよね」
星空へと消えていく最後の光を見送りながら、麗華はそっと呟いた。
満足して意識を切り替え、土の小道を漂う小さな光の群れへと麗華は視線を戻す。
悠々と漂う大きな光とは違い、小粒な光たちはまるで意思を持っているかのように一筋の軌跡を描いて進んでいた。
「ん……あっち、森の方へ向かってる……?」
導かれるように光の列を追いかけ、気がつけば麗華は森の縁へとたどり着いていた。
鬱蒼とした木々の荒々しい樹皮からは、かつて村の畑で見かけたものと同じ微かな魔力の光が滲み出ている。
光の行列は、そのまま深い森の奥へと吸い込まれていくようだった。
(もっと奥へ進むみたいだけど……)
足を踏み出そうとした瞬間、胃のあたりをギュッと嫌な予感が縛り上げ、麗華はピタリと足を止めた。
(うっ……! あの気味の悪いお喋り球体に引きずり込まれて、前回あんな目に遭った時のことを思い出すだけでもぞっとする……!)
目の前の小さな光たちはどれほど無害そうに見えようとも、精神を引き裂かれかけたあの恐怖の記憶が生々しく蘇る。
闇深い森の奥には今も得体の知れない気配が澱んでおり、本能のすべてがこれ以上踏み込むなと強い警鐘を鳴らしていた。
「あたし、いったい……」
「レイカ」
静まり返った夜の闇を裂くように、低く落ち着いた声が響き渡り、麗華は思わず肩をびくりと跳ねさせた。
慌てて振り返ると、暗がりの中に数歩遅れて佇むシンの姿があった。
相変わらずの、感情の読めない平坦な顔つきだ。
「こんなところで何してるの……?」
驚きを鎮めながら、ほっと小さく麗華は息を吐き出す。
「迎えに来た」
トクンと高鳴っていた心臓が急速に落ち着いていく。
「……もしかして、サイラスさんに言われて?」
「ああ」
思わず喉まで出かかった溜息を麗華は飲み込んだ。
(そりゃそうか。誰かにハッキリ指示されなきゃ、ベッドルームから一歩も動かない人だもんね……)
目の前のシンと、その向こうに広がる漆黒の森を交互に麗華は見つめる。
小さな光の行列が吸い込まれていった、影の濃い樹々の奥。
その時、ふと大胆な考えが頭の片隅にひらめいた。
「ねえ、シン。あそこの中に入るのって、別に怖かったりしないよね?」
「怖くない」
迷うことなく、即座に平坦な声が返ってくる。
(この人と一緒なら、きっと大丈夫……!)
口元に思わず笑みが広がるのを堪え、甘えるように上目遣いで麗華はねだってみる。
「ねえ、もっと森の奥まで一緒についてきてくれない?」
「いいぞ」
「ありがとっ!」
暗い木立へと振り返り、さっきまでの恐怖は綺麗さっぱりどこかへ消え去っていた。
シンが後ろに控えているだけで、不思議と心底安心できる。これまで何度も自分を救ってくれた、出会った中で間違いなく最強の男だ。
この異世界で、何の迷いもなく全幅の信頼を置けるたった一人の存在。
生い茂る木々の下を抜け、静かな光の列を追って麗華は足を進める。
やがて鬱蒼とした枝葉が途切れ、目の前に開けた空間が現れた。
「もうすぐ森を抜けられそう……っ」
低く垂れ下がる乾いた枝を手で払い、麗華は声を潜める。
広い空き地へと足を踏み出した瞬間――あまりの光景に、麗華は思わず言葉を失って立ち尽くした。
「……うわぁ」
目の前に広がっていたのは、まるで地上に落ちた星の海だった。
墓地で見かけたものとは比べ物にならないほどの数の光の球が、あたり一面を埋め尽くすようにふわりふわりと漂っている。
「ねえ、シン、これ見えてる……っ?」
淡い紫色に光る瞳を大きく見開き、興奮気味に麗華は隣を見上げた。
主観的支配の能力を持たないシンに映っているのは、ただ静かに草の揺れる真っ暗な原っぱだけだ。
それにもかかわらず、シンはいつもの調子で静かに頷いた。
「ああ」
返ってきたのは、あまりにも平坦な返事。
シンにも自分と同じ景色が見えていると麗華は完全に勘違いし、ぱっと満面の笑みを咲かせた。
「すごいっ……! まさに夢に見てたみたいな光景だよ……っ!」
ステータス
名前:真 ソル
種族:人間
称号:なし
能力:『???』
ステータス
名前:三葉 麗華
種族:人間
称号:なし
能力:『契約』
さぶあびりて『拘束の鎖』
さぶあびりて『主観的支配』
さぶあびりて『主観的接続』




