12話 不平等な交換
シルヴァの優しい言葉に促され、麗華は再びきらめく夜空へと視線を戻す。
冷たい夜風がふわりと頬をなでていった。
「……そうだね」
麗華は小さく呟いた。
小一時間ほど歩き続け、開けた野原が深い森の巨木へと取って代わる。
暗い空気の中に、湿った土と潰れた苔の青くさい匂いが混じり合ってきた。
影に目を凝らしていたシルヴァが、背後に控える松明持ちの男たちへと振り返り、指示を飛ばす。
「@#&#-#*!」
「@&#$.」
シルヴァの号令に合わせ、村人たちは荷車から炭化した竜の肉の塊を次々と引きずり下ろしていく。
ドプン、と濡れた重い音が苔むした地面に響き渡った。
手伝おうと一歩踏み出す麗華の手首を、シルヴァが軽く掴み止める。
「力仕事は男たちに任せておきなって」
小さくウインクしながら、そう言って笑った。
数分もしないうちに、荷車はすっかり空っぽになった。
男たちは凝った肩を回し、低く言葉を交わしながら空の荷車へと乗り込んでいく。
「@#&@#!」
帰り道を指さし、シルヴァが明るく声を張る。
ぎいぎいと鉄の車輪が土を削り、男たちは荷車を反転させて帰路につき始めた。
その様子を見届け、シルヴァはクルリと麗華に向き直る。
「ずっとつきっきりで付き合わせてたし、退屈だったでしょ……?」
地面に突き立てられていた松明をひっぱり抜き、パチパチと夜気へオレンジ色の火の粉を散らす。
「さあ、村に戻ろっか!」
「そうだね……」
麗華は静かにうなずいた。
村へ向けて足を踏み出そうと身体を翻した瞬間、ぞっとするような冷気が耳元をなでた。
静まり返った夜の静寂を切り裂くように、底知れぬ冷たさを孕んだ低い囁きが直接脳裡に響く。
――「こっちへ……おいで……」
ぴたりと麗華の足が止まった。
慌てて振り返り、積み上げられた竜の肉の向こうにそびえ立つ、漆黒の木々を凝視する。
だが、木の向こうの暗がりに、動くものの気配はない。
重い静寂を切り裂くように、温かな手が少女の肩にぽんと置かれた。
「……どうかしたの?」
ハッと息をのみ、ビクッと体を跳ねさせて麗華は振り返る。
そこに立っていたのは、怪訝そうな顔をしたシルヴァだった。
(あ……なんだ、シルヴァか……)
「ものすごい青い顔してるけど……」
松明を高く掲げ、黄色い光が顔を照らし出す中で、シルヴァが心配そうにのぞき込んでくる。
「どこか悪いの?」
生唾を飲み込み、麗華の視線はふたたび暗い森の奥へと引き戻された。
(あの声……まちがいない、また聞こえた……っ!)
「い、いま……誰かの声、しなかった……?」
震える声で問いかける。
首をかしげ、シルヴァは暗い木々へと耳を澄ませた。
森から聞こえるのは、一定の調子で響く虫の音と、頭上の葉擦れの音だけだった。
「何を言ってるの?」
眉間にシワを寄せ、シルヴァは怪訝そうに首を振る。
「虫の声と風の音しか聞こえないけど」
浅く荒い息を繰り返す少女の様子を見て、シルヴァは心配の色をさらに濃くさせた。
「ううん、その……」
わななく指先でこめかみを押さえ、麗華は小さく息を吐き出す。
「さ、先に行ってて。すぐ追いつくからさ……!」
一歩踏み出し、シルヴァはかぶりを振った。
「ダメだよ! こんなところに一人残るなんて、魔物がいたらどうするの!」
「大丈夫、すぐだから!」
作り笑いを浮かべ、麗華は軽く手を振ってごまかす。
「ちょっとだけ、気になるところを見てくるだけだからさ〜!」
頭をポリポリとかき、シルヴァは困り果てたようにため息をついた。
「い、急いで戻ってきてよ? 気をつけるんだよ、竜の匂いに釣られて別の魔物が寄ってくるかもしれないんだからさ!」
「これ持って行って。足元が見えないと困るでしょ」
シルヴァは燃え盛る松明を差し出し、麗華は素直にその頑丈な木の柄を受け取った。
炎の熱が、冷え切った指先にじわりと温もりを運んでいく。
「ありがとう……!」
シルヴァはくるりと身を翻し、きしむ荷車を追って闇へと駆けていった。
角を曲がる直前、心配そうに麗華の方を振り返り、やがてにぎやかな足音は闇の中へと消えていく。
巨大な木々に覆われた深い森のなか、完全に一人取り残された空間に重苦しい静寂が落ちる。
頭上の分厚い枝葉が月明かりを遮り、周囲は底知れぬ漆黒の闇に包まれていた。
(……おかしいな。さっきのは、絶対に空耳なんかじゃない……っ!)
疑念を飲み込もうとした瞬間、再びぞっとするような低い囁きが耳元を掠めた。
――「もう少し……こっちへ……おいで……」
(ッ……やっぱり、いる……!)
身を硬直させた麗華の視線の先、数歩ほど離れた場所で、不気味な光が明滅を繰り返していた。
それは切り裂かれた竜の胸の奥底から放たれ、湿った苔や黒焦げの鱗を怪しく照らし出している。
(あれは……いったい、何……?)
恐怖で波立つ胸の鼓動をどうにか抑え込み、麗華は強張る足を一歩ずつ前へと踏み出した。
その瞬間、冷酷なまでの凍てつく突風が森を駆け抜ける。
――プツッ、と音を立てて、松明の炎が一瞬にして掻き消された。
周囲の光がすべて奪われ、世界が完全な闇に呑み込まれる。
視界を保つのは、竜の体内で脈打つ異様な光だけだった。
死骸の真横にたどり着いた瞬間、頭のなかに直接響くように、その声は蘇った。
――「お前は……大いなる力を、望むか?」
脳裡に侵入してくる悍ましい声に心臓がドクリと跳ね上がる。
反射的に指の力が抜け、消えかけた松明が濡れた草の上へと音もなく滑り落ちた。
(あの竜の体内で脈打つ不気味な光……まさか、あれが……あたしを呼んでいるっていうの……?)
胃の腑に嫌な冷たさが落ちていくような不気味な予感の中、少女は規則正しく明滅する光の前に立ち尽くす。
「な……っ、あたしに何の用なの……?」
光が不気味にうねり、頭蓋の内側を直接掻き回すような低くいやらしい笑い声を響かせた。
――「ふふふふ……」
光の輝度が一層増し、周囲の茂みに長い影を気味悪く這わせる。
「与えてやろう。人間がもっとも欲してやまないもの……圧倒的な力を!」
怪しい誘い文句が響く中、恐怖で呼吸が浅くなるのを麗華は自覚した。
(怪しすぎる……! 警戒心が警報を鳴らしているのに……!)
頭では胡散臭いと分かっていても、甘い毒のようなその言葉が胸の奥を突き刺す。
守れなかった命。自分の無力さに打ち震えたあの瞬間の絶望が、脳裏に生々しく蘇る。
シンにあんなにも圧倒的な力があったからこそ、目の前の脅威からすべてを守り抜けたのだ。
もし、自分にあれほどの強さがあったなら――。
迷いを断ち切れずに立ち尽くす麗華を嘲笑うかのように、竜の体内で揺らいでいた光がピタリと明滅を止めた。
「くっ……?」
――次の瞬間。
閃光が闇を切り裂き、竜の死骸から弾け飛んだ光の奔流が、逃れる暇も与えず麗華の胸元へと直撃した。
肺腑からすべての空気が暴力的に押し出され、息が詰まる。
「ぐっ……!?」
胸の奥から、焼け付くような悪質な高熱が噴き出した。
あまりの衝撃に膝から崩れ落ち、冷たい泥の地面に身体が激しく打ち付けられる。
脳髄を直接揺らすように、冷酷な嘲笑が嫌らしく響き渡った。
――『ははははっ! 最初から力づくで肉体を乗っ取るに限るわ!』
「な……、あたしに何をした……っ!?」
激痛に引き裂かれる胸部を両手で押さえ、少女は荒い息を吐き出した。
灼熱の痛みに両足の踏ん張りが利かなくなり、筋肉からすべての力が急速に抜け落ちていく。
滲んだ冷や汗が額から目元へと伝い、ヒリヒリと肌を刺した。
「まさか……最初から、これが狙い……っ、くっ……!」
――『当たり前だろう! 対等な取引など最初からする気すらなかったわ!』
血管の中を沸騰した鉄が逆流するかのような、頭が狂いそうなほどの激痛が爆発する。
耳鳴りと轟く苦悶のなかで、麗華は辛うじてその声を聴き取るのがやっとだった。
強く目を固く閉じ、痙攣する身体を抑え込むように、少女は冷たい泥に爪を深く突き立てる。
(痛い……っ、こんなの……死んじゃう……っ!)
――『さあ……少しばかり痛むぞ』
水に溶けた黒インクのように、悪意が精神の深淵へと侵食していく。
――『だが、すぐに終わるからなァ……っ!』
静まり返った夜の帳を切り裂くように、正気を失った絶叫が少女の喉の奥から絞り出された。
「あああああぁぁぁ――っっ!!」
鋭い絶叫が暗い木々を切り裂き、帰り道を急いでいたシルヴァたちの足をピタリと凍りつかせる。
振り返った先、さっきまで麗華が残っていたはずの場所は、深い闇にすっぽりと飲み込まれていた。
「今の、レイカの声だ……っ!」
血の気が引いた顔で、シルヴァは真っ暗な森へと飛び出そうと身を翻す。
だが、その足を踏み出すより早く、頑丈な手がぎゅっと手首を掴み引き止めた。
「一人で飛び込むのは危険だ。俺たちも行く」
男の制止に、他の村人たちも険しい顔で頷き、無骨な鉄の斧や道具を強く握りしめてその後へと並ぶ。
「あっちだ! 急ごう!」
重い足音を響かせ、男たちは再び闇の茂みへと駆け戻っていく。
開けた空き地に飛び込むやいなや、シルヴァは隣の男から燃え盛る松明を奪い取り、前方の暗がりへと激しく突き出した。
オレンジ色の強烈な炎が草むらを照らし出し、次の瞬間、シルヴァの喉から息が詰まったような悲鳴が漏れる。
黒焦げになった竜の死骸のすぐ傍らで、麗華がぐったりと地面に倒れ伏していた。
「麗華……!」
ステータス
名前:真 ソル
種族:人間
称号:なし
能力:『???』
ステータス
名前:三葉 麗華
種族:人間
称号:なし
能力:なし




