11話 双月と夜空
シルヴァの提案に、麗華はふと好奇心をそそられた。
(あんな巨大な塊を、どうやって運び出す気なんだろ……)
「うん、いいよ。行く!」
「やった!」
シルヴァはパッと満面の笑みを咲かせる。
「それじゃあ、荷積みが終わるまでちょっと待っててね!」
村人たちが重い荷車に竜の肉を積み上げる木と鉄のざわめきを聞きながら並んで待っていると、不意に麗華の腹の底から盛大な音が響いた。
――ぐぅ……。
(あ、そういえば……今日全然ご飯食べてなかった!)
慌ててその場を抜け出そうと周囲を見回すが、いつの間にかシルヴァの姿が消えている。
(あれ? どこ行ったんだろ……?)
ランタンの灯る広場を見渡すと、人混みの中から木製の椀を二つ抱えて戻ってくる姿が目に入った。
「まだ夕飯食べてないでしょ? はい、これ」
差し出された椀からは、濃厚で温かなスープのいい匂いがふわりと立ち上る。
滑らかな木肌に指先を絡めると、心地よい熱が冷え切った手にじんわりと染み渡った。
「ありがと、助かるよ……!」
広場の反対側では、楽しげに村人と話す麗華の姿を、シンがじっと見つめていた。
邪魔をしないよう配慮したのか、少年はテントの影に身を寄せながら、ゆっくりと進む配給の列に目を向けている。
木製のスプーンが鉄の鍋をこする音が、静まり返った夜の空気を満たしていた。
順番を待つその背中に、背後からガラガラとしたしゃがれ声がかけられる。
「ソル殿! わざわざ並ばんでいいぞ、お前の分も持ってきたからな」
振り返ると、厚みのある木製の椀を抱えたサイラスが歩み寄ってくるところだった。
シンは列を離れて重い椀を受け取り、その掌に広がる確かな温もりを受け止めた。
「しっかり食って、どこかに腰を下ろして休むといい」
疲労の色をにじませた笑顔で、サイラスはそう告げた。
「まだ食事にありついておらん者たちの様子を見てこねばならんのでな、しばらくは付き合ってやれんが」
シンは静かに頷いた。
温かみのある笑みを残し、サイラスは村人たちのほうへと引き返していく。
暗がりの向こうからは、重苦しい鉄の斧が木を断つ鈍い音が響いていた。
少年は手元の椀に視線を落とす。
暗色のスープからは素朴で力強い匂いが立ち上り、ゴロゴロとした芋や人参、そして分厚い肉の塊が沈んでいた。
静かに腰を落ち着けられる場所を探し、シンは視線を巡らせる。
――やがて、影の境界で小さく丸まっている一人の男の姿にとまった。
それは、昼間に正門で見張りをしていた男だった。かつて自ら命を断とうとした、あの衛兵の男だ。
虚ろな目を向けた男に見送られながら、シンは少し離れた粗末な木のベンチに腰を下ろした。
誰とも言葉を交わさず、淡々とシチューを口に運んでいく。
食事の途中でふと目をやると、男は夜空を仰ぎ見たままで動かない。
薄暗いランタンの光に照らされ、泥に汚れた頬を一筋の涙が伝い落ちていた。
その視線を追い、少年は見上げるように空へ目を向ける。
澄み切った暗夜には銀の砂を撒いたように無数の星が瞬いていた。
そして、その頭上には二つの月が浮かんでいる。
高く昇る巨大な三日月と、そのすぐ下で淡く光る小さな従属の月。
地球では決して見ることのできない、誰もが息を呑むような神秘的な光景だった。
だが、これほど美しい夜を前にしても、シンの内側には何の感慨も湧き起こらない。
他の誰かであれば心を奪われるほどの絶景も、彼にとってはただの空模様でしかなかった。
「……」
特に感慨を抱くこともなく、スプーンで椀の底をすくい、少年は静かに食事を再開する。
一方、明るく照らされた広場の反対側では。
すでに食べ終えた椀を綺麗に空けていたシルヴァが、頬杖をつきながらベンチの上の麗華を見つめていた。
「食べ終わったら、男たちと一緒に森へ出発するよ」
人懐っこい笑みを浮かべ、シルヴァはそう告げた。
食べるのが遅くなっていることに気づき、麗華は慌ててスプーンを椀にカチリと当てて急いだ。
「そんなに急がなくてもいいよー。みんな、まだ食べてるし」
シルヴァはふふっと柔らかく笑う。
数分後、スープを最後の一口までぐっと飲み干した。
手先の冷たさが消え、空腹が満たされた胃の腑からじんわりと温かさが広がっていく。
「それ、返しておくよ」
ベンチ越しに手を伸ばしてくれたシルヴァに、麗華は空の椀を手渡した。
感謝の笑みを向けながら、配給のテーブルへと小走りで戻っていく後ろ姿を少女は見送る。
すぐ傍では、村の男たちが口元を拭いながら重い荷車の周囲に集まり始めていた。
闇の中で松明がパチパチと静かに爆ぜ、土の道に揺らめく長い影を落としている。
やがて戻ってきたシルヴァが、作業員たちと手短に言葉を交わしてから、麗華に向かって手を振った。
「麗華、行くよ!」
足並みを揃えて、二人は小さな一団に加わる。
シルヴァと揺れる松明の明かりに導かれ、焼け落ちた正門をくぐり抜けた。
乾いた土を踏みしめるブーツの音が、静まり返った野原へと響いていく。
ふと足元に目を落とすと、不自然に重なり合う二つの影が伸びていた。
(――今夜は満月なのかな?)
見上げた夜空の広さに、麗華は思わず息をのむ。
星の海に浮かぶ二つの月。
その圧倒的な美しさに胸を打たれ、歩みの疲れがすーっと消えていくような穏やかな静寂に包まれた。
「綺麗だよね」
隣を歩くシルヴァも首を傾げるようにして空を見上げ、そう呟いた。
「昔は月が一しかなかったんだってさ」
背後で鳴る荷車の車軸のきしむ音に乗せて、弾んだ声が届く。
「昔はもっと大きくて明るくて、どんな闇でも切り裂くみたいに輝いてたんだって。みんなで見上げるのが定番だったらしいよ!」
「だけど、ある強大な魔獣が月に嫉妬したんだ。みんなが月ばかりを賞賛して、自分を全く見てくれないってね。だからその化け物は、みんなが自分の方を向くように、月を破壊することにしたんだ」
空に輝く二つの月を指さしながら、シルヴァは楽しげに続ける。
「静かな夜、みんなが月に見とれている隙に、化け物は持てる力のすべてを集めて、月を粉々に砕くための大技を放ったのさ」
「幸い、月は完全には砕けなかった。攻撃で欠けたのは全体の三分の一だけで、その破片が元の月のすぐそばに浮かぶ二番目の月になったんだ。化け物の計画は失敗して、二度と戻れないほど恥をかいて逃げ出したってわけ」
麗華は思わず片眉を吊り上げ、信じられないものを見るように夜空を仰いだ。
「いや、それ絶対おかしいでしょ……。どちらの月にもクレーターの形跡すらないし、物理的に完全に綺麗な球体だし。つまりそれって、天文学的に何十億年も前に形成された――」
言いかけて、少女はハタと口を閉ざす。
かあっと両頬が熱を帯びていくのを自覚した。こんなファンタジー世界で、何を科学的な理屈を得意気になって語っているのだろうか、と。
ちらりと横を盗み見ると、シルヴァがきょとんとした顔で麗華を見つめ、目をパチパチとさせていた。
(……やりすぎたっ?)
変な言い訳を取り繕うとする間もなく、シルヴァはふっと肩の力を抜き、やわらかく笑い声をこぼす。
「ふふふっ! フメイロウとまったく同じ反応だね、それ!」
再び夜空へとあごを向け、シルヴァは穏やかに微笑んだ。
「理屈なんてどうだっていいのさ。こうして綺麗な景色を見られるだけでさ。ねえ、こうして月を見上げていると、日頃の悩みなんてすーっと消えていく気がしない?」
ステータス
名前:真 ソル
種族:人間
称号:なし
能力:『???』
ステータス
名前:三葉 麗華
種族:人間
称号:なし
能力:なし




