第八十八話 逆鱗
――上等じゃない。クソ野郎ども。
ミサキの全身から立ち上る怒りの波は苛烈で、その場にいる全員の地肌をチリチリと灼くような錯覚さえ覚えさせた。
その様子を見ていたローガーは、その圧倒的な威圧感に息を呑んだが、同時に危ないのに何故来たんだと心配していた。
ギルド長と大男は、驚きから冷めると同時に下卑た笑みを取り戻した。
「……ハッ、お前がローガーの“聖女様”かよ。下っ端一人倒したからって調子に乗るなよ。所詮女だろ」
大男がへらへらと笑いながら、赤く熱された焼きごてをミサキに向けて突き出す。
「おら、大人しく縛られ――」
その言葉が最後まで紡がれることはなかった。
ミサキは近くに転がっていた椅子を投げ飛ばし、避けて隙のできた大男の懐に入り込み、顎に目がけて拳を叩き込んだ。
バキィッ!
「がぁ……っ!」
大男は油断していたところに、顎からの攻撃で頭が後方に飛ばされ、脳が揺れた。
数歩後ろによろめき、なんとか持ちこたえようとするが、激しい目眩で足が縺れる。
前のめりに倒れ込みそうになった瞬間、ミサキの足が大男の顔にめり込んだ。
メキッ!
大男はそのまま部屋の隅まで蹴り飛ばされ、白目を剥いていた。
頬骨が折れた音がしたが、ミサキは気にすることなく次の獲物に視線を移す。
「ひぃ……っ!!」
ミサキと目が合った子分たち二人は、逃げ出そうとドアへ走るが、ローガーの影から飛ぶように出てきたクロがドアの前に立ちはだかる。
唸りながら牙を剥き出しにして威嚇するクロに、男達はみっともない悲鳴をあげて失禁した。
「た、助けてくれ……」
「俺達は何もしてないっ!!見てただけだ!」
涙と鼻水で顔を濡らし、必死に懇願する男二人にクロは何かの魔法を使った。
男たちの目の周りに真っ黒い靄がかかっていたのだ。
男たちは怯え、泣き叫んでいた。
「な、なんだこれ!?何も見えない!」
「ま、真っ暗だ……どこだここは!」
ヒィヒィ言いながら動けずにいる男二人にミサキは「頭がおかしくなるまで、そうしてたら良いわ」と吐き捨てるように言った。
残るは採掘ギルドのギルド長一人だ。
「……聖女とはよく言ったものだな。この女のどこが聖女だ」
「それに関しては同意するわね。私のどこが聖女なんだか。私はただのガサツなオバさんだもの」
「……おい、女。そこを動けばこのドワーフの喉をかき切るぞ。死なせたくはないだろう?俺を逃がせば、コイツは解放してやる」
冷や汗をかきながらも、ニヤニヤと底意地の悪い笑いを浮かべ、ミサキに提案をしてくるギルド長は、忍ばせていたであろう小型ナイフをローガーの首に突き立てた。
「聖女様!俺は平気だ!!コイツは逃がしちゃなんねぇ!」
ローガーは必死に叫ぶが、ギルド長は「黙れ!」と言ってナイフに力を入れた。
ローガーの首から一筋の赤い血が流れる。
「……分かったわ。私は動かない」
「物分かりが良いじゃないか……。俺が部屋を出るまで動くなよ……」
「ええ、動かないわ」
ギルド長はドアをチラリと見た後、そちらへ走ろうとしたが、足元の影から黒いものが飛び出してきて、後ろから床にたたきつけられた。
「ぐあっ!な、なんだ?!」
何かが後ろから押さえつけているのが分かり、ギルド長は肩越しに見ると、クロの腹に響く威嚇音とともに剥き出しの牙が見えた。
「ひぃぃぃぃ!!こ、こいつをどかせ!はなせぇぇぇぇ!!!」
ジタバタと暴れるが、クロの制圧がそんなことぐらいで崩れるはずはない。
「あら、私は動かないって約束したもの。動けないわ」
「な、なんだと?!じゃあ、この黒いのをどうにかしろ!!離せ!」
「無理よ。その子、すごく怒ってるもの。こんなに怒ってるの今まで見たことないし、止めるなんて怖くてできないわ」
ニヤニヤしながら言うミサキだったが、こんなに怒りを露わにしているクロは確かに初めてみたので、少し困惑していた。
(約束を守れなかったから、自分に腹が立ってるのかしら?)
――――危なくなったら必ずローガーを助けてくれるわ。二人とも、必ず無事で戻ってきて。
確かにそう言った。
だがローガーはこの有様だ。
しかし、いち早く駆けつけることが出来たのは、クロがすぐに知らせてくれたからだ。
ローガーが拷問を受けそうになり、クロが飛び出そうとした瞬間、ローガーは止めた。
恐らく私との繋がりがバレるのを防ぐためだろう。
そしてその意図を瞬時に理解したクロは、すぐさま影渡し、映像記録の魔道具を私に届けに来てくれた。
クロはすぐローガーの元へ戻り、私は映像を確認してからすぐここに走ってきた。
(事務所が魔素の少ない外れにあってよかったわ。魔素で行けないなんてことにならずにすんで……)
ギルド長はまだ諦めずにもがいていたが、クロは力を緩めることはない。
それどころか背中に乗せている前足に次第に力がこもってきている気さえした。
(……折れるかもしれないわね)
「クロ、折るなら手足のほうが良いわ。背中だとまかり間違って肺や心臓に刺さったら死んじゃうもの。まだ死なれるのは困るから」
「なっ……!お、俺はアスカン家からギルド長に任命されたんだぞ!俺に何かしたら、アスカン家が黙ってないぞ!!」
顔を真っ赤にして叫ぶギルド長だったが、ミサキにそんな脅しは通じない。
「だから何よ。アンタこそ、バルドガルドの王様の身内に手を出したんだから、ただじゃ済まないんじゃない?」
「は?何を言って……」
「クロ、とりあえず両足折っちゃえば逃げれないし、どうかしら?」
サラリと言うミサキに、クロはニヤリと笑った気がした。
「や、やめろぉぉぉぉぉ!!!」
ボキン!ボキン!!
「ぎゃあぁぁぁぁぁ!がぁ!あぁぁぁあ!!!」
「うるさいわね……」
ギルド長を見るミサキの顔は、背筋も凍るかと思えるほど冷たく、軽蔑の念が込められていた。
「せ、聖女……様……?」
ミサキの知らない一面を見たローガーは、戸惑いながらも震える声でミサキに呼びかけた。
ハッとした表情のミサキは、すぐ心配の色を浮かべローガーへ近づき縄を解く。
「ローガー!無茶しちゃダメよ!!こんなになって……」
傷の具合を確かめながらローガーの心配をするミサキに、ローガーは安堵のため息を吐いた。
「ミサキ! 無事か! ……って、なんだこの惨状は……」
遅れて地下室に飛び込んできたダニエル達が目にしたのは、全滅した誘拐犯たちと、ローガーを介抱するミサキの姿だった。
「遅いわよ、あんたたち。こっちはとっくに片付いたわ。アスカン家と冒険者ギルド支部は?」
ミサキはそう言って立ち上がり、ダニエル達に尋ねる。
「あっちは手筈通り副マスとギルマスが向かった。もう終わるだろう。……しっかし、派手にやったな」
「そう?これでも優しくしたわよ」
「優しくってお前……これでか?」
呆れたように言うダニエルに、何言ってんのよとこちらも呆れた様子で事もなげに言い放つ。
「手足だってちゃんとついてるじゃない。喋れるし、問題ないでしょ?切り落としてやりたいくらいだったのに……」
その言葉に一番肝を冷やしたのは、他でもないギルド長だろう。顔を青くしながらパニックになり、言葉にならない声をあげている。
「……さっきからうるさいわよ、喉を潰されたいの?」
ミサキはギルド長を無表情で見つめると、ギルド長は白目を剥いて泡を吹きながら失神した。
「あーぁ……。よっぽど怖かったんだなぁ」
「これくらい良いじゃない。ローガーに比べたらかすり傷よ」
「……いや、うーん…まぁ。そうか?」
納得したような、してないような、なんとも言えない表情のダニエルとジャンは、他のギルド職員へ指示出しし、身柄を押さえていく。
ローガーは即席担架でギルド職員に病院へ運ばれていった。
「……とりあえず作戦終了、よね」
一人ポツリと呟いたミサキは、なんとも言えないわだかまりを抱えていた。
(私、ただの主婦だったはずなんだけどな……)
助けたい一心だったとはいえ、あんな血生臭い姿を見せてしまった。
最後にローガーが「聖女様……?」と呟いたときの、あの戸惑ったような、震える声が耳から離れない。
(……引かれちゃったわよね、流石に)
採掘ギルドの脅しにも、焼きごての激痛にさえ口を割らなかったドワーフの頑固な漢。
自分を信じてそこまで耐え抜いてくれた人の前で、自分は聖女どころか、ただの容赦のない暴漢のような姿をさらしてしまった。
日本で普通に暮らしていた頃には、こんな風に怒りに任せて他人の骨を折れだの、喉を潰すだのなんて言葉、口にすることさえ想像もしなかった。
異世界で生き残るために必死に拳を振るってきたけれど、今日の自分のあの残虐な怒りは、彼にどんな風に映っただろうか。
せっかく命を懸けて守ってくれた「聖女」の幻影を、自分のこの拳でぶち壊してしまったのではないかという、苦い自己嫌悪。
ミサキは小さくため息をつくと、冷たくなった自分の拳を、祈るように強く握り締めた。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
次回からバルドガルド王国派遣編が始まります。
この章はかなり重い話が続くと思いますが、その分読み応えはあるはずです。
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今後ともよろしくお願いします。




