第七十九話 狂信者の使い道
犬に論語。
糠に釘。
ローガーに説教。
――意味:労力をどれだけ注ぎ込んでも、まったくの無駄であること。
あの男には何を言っても無駄だった。
ローガーの脳内変換能力は凄まじい。
ミサキが予想していた五倍、いや十倍は深刻なレベルで手遅れだった。
(これでよく他のドワーフたちは、普段まともに一緒に働けるわね……)
一瞬そう呆れかけたが、ドワーフという種族自体の気質が「愚直なまでの一本気」であり、ローガーほどではないにしろ、全員が脳内変換をお手の物とする職人気質な連中だったことを思い出し、ミサキは静かに天を仰いだ。
ウンザリしながらも片づけを終え、子供たちを連れて買い出しへ行こうとすると、背後からむさ苦しい野太い声が降ってくる。
「聖女様ーー! また明日な!」
「マウロ! また夜休みの時に、聖女様のありがたい話を聞かせてくれよ!」
本当に恥ずかしいから全力でやめてほしい。顔から火が出そうだった。
(っていうか、マウロ! 貴方、また何かおかしな尾ひれをつけて吹き込んだわね?!)
最年少のマウロにはもちろん悪気などない。
ただただ純粋に、大好きなミサキにしてもらった優しい出来事を周囲に自慢しているだけなのだが、受け取る側がドワーフなせいで、結果的に「聖女伝説」がどんどん拡大再生産されるという最悪の悪循環に陥っていた。
極めつけに、向かいのパン屋の近くを通り過ぎた際、店主のおばさんから「……かわいそうに」と言わんばかりの、同情と憐れみに満ちた目で見つめられ、ミサキは心が折れそうになった。
気を取り直して向かった仕込み用の食材市場では、買い出しの全権を子供たちに一任し、ミサキはあえて後ろから彼らの様子を眺めることに徹した。
(野菜の選び方も出来てるし、お金の勘定も大丈夫そうね……。明日から全部任せてみようかしら)
彼らは物覚えが良いだけでなく、何より「やる気」の熱量が凄まじかった。
自分たちの生活がかかっているとはいえ、彼らを「守られるだけの子供」だと侮っていた自分が少しだけ恥ずかしくなる。
(もう大人として扱わなきゃね)
特にロドリゴは年齢的にも成人しているし、いずれこの屋台の責任者を任せるつもりなのだから、いつまでも子供扱いで過保護にするのはかえって失礼にあたる――そんな風に、頼もしい彼らの背中を見ながら考えるのだった。
宿に帰ってからの仕込み作業も、昨日よりさらに手際よく済ませることができた。
少し早めの夕食をとろうとしたところで、ようやく『特別任務』を言い渡されていた年長組の二人が帰ってきた。
「遅かったじゃない。何してたの?大丈夫だった?」
「大丈夫!スラムに行ってたんだ」
ニコニコしながら言う子供達を不思議に思い何故スラムに行ったのか尋ねた。
「黒目、黒髪の子供はいなかったよ。でも探してってみんなにお願いしてきた」
胸を張ってそう言われ、ミサキの視界が思わず涙でじわりと滲んだ。
子供たちの純粋すぎる親切心と行動力が、張り詰めていた母親としての心を優しく救ってくれた気がした。
「……ありがとう。みんな、本当にありがとうね……」
子供たち全員を見つめ、目頭を熱くしながら心からの感謝を述べていると、特別任務から帰ってきた一人が、思い出したようにケロリとした顔で口を開いた。
「あ、そうそう。スラムの奴らに『お前らなんでそんな綺麗な服着て、美味いもん食えてんだよ』ってめちゃくちゃ羨ましがられたからさ。ミサキっていう凄く優しい聖女様が、俺たちの面倒を見てくれてるんだって、しっかり宣伝しといたよ!」
と、事もなげに言い切った。
「……は?」
思わず硬直し、滲んでいた感動の涙はすっかり引っ込んでカラカラだ。
「え……なんて?」
「だから!ミサキって名前の聖女様がいて、俺達の面倒見てくれてるって言ってきた。来たいって子もいたんだけど、連れてきていい?」
思わず頭がクラクラして、手で頭を押さえる。
何ということだ。
味方に敵がいるなんて――!
後ろから「……ぶふぅ!!」と吹き出す音が聞こえ、振り向くとダニエルが壁に向かって肩を揺らしていた。
「ちょっとダニエル……。他人事だと思って!」
「仕方ねぇだろ。だいたい、お前が撒いた種じゃねぇか。その……ぐふ!ぷぷぷ。せ、聖女様はどうすんだ?子供達全員、面倒見るのかよ?」
宿にはこれ以上入れないぞと釘を刺される。
(新しく家を丸ごと一軒借りたいところだけど、今の私たちの売上じゃ、まだまとまった初期資金が足りないわよね……)
どうしたものかと必死に頭を回転させるが、今すぐ解決できる名案は浮かばなかった。
とりあえず、新しく来たいと言ってくれている子たちには、少しだけ状況が整うまで待ってもらうように子供たちに伝え、複雑な味のする食事をどうにか済ませた。
「……クロが珍しく降りてこないわね」
そう言ったところで気づいた。
布でぐるぐる巻きにしたのを忘れていた。
あの足では歩くのが大変かもしれない。
大急ぎで階段を駆け上がり、クロの待つ部屋へ飛び込む。
「ごめんクロ!布をとってご飯に――」
そう言ったところで、クロがベッドで横になり、地の底から響くような極冷のジト目でミサキをじっと見つめていた。
その漆黒の巨体から放たれる無言の圧力が凄まじい。
(……おぅ。怒ってらっしゃる?忘れてたのがバレてるかしら)
と思いつつも、悟られないようにニコニコしながら近づいていく。
「足はどう?痛かったりしない?」
前足を膝に乗せ、手早く、それでいて優しく布を解いていく。
「化膿もしてないみたいだし、大丈夫そうね。痛みはない?」
クロは前足を毛づくろいしながら、尻尾を一振してベッドから降り、軽快な足取りでご飯を食べに行ったようだった。
(クロが怪我をして帰ってくるなんて……)
今まで怪我をすることなんてなかった。
今回は少々のかすり傷だが、龍の話を聞いたあとにそんなことがあっては、邪推するなというほうが無理な話だ。
(もしかして、龍を見つけたのかしら……?)
今夜の報告会は荒れるかもしれないなと思い、部屋を後にした。
子供達にお湯を使わせ綺麗にしたあと、すぐさまベッドへ直行させる。
いつものように寝かしつけ、起こさないようにベッドから滑り降り、足音を立てないよう食堂へ戻る。
深夜の食堂には既にダニエルとジャン、そして今日はクロも待機していた。
クロは食堂の隅で食後の毛づくろい中だ。
「クロは今日、潜入はお休みなの?」
「……ああ。一番抑えてほしい決定的な証拠は持ってきてくれたからな」
ダニエルが青い顔をして言うと、ジャンは続けて報告する。
「昨日の潜入データで確定した。炭鉱の最深部エリアに、本物の『古龍』が一匹、確かにいる。今はまだ寝ているようだが、何かの拍子に目覚める可能性は決してゼロじゃない。元々あそこにいたのか、それとも後から迷い込んできたのかは不明だ」
「……クロの前足の傷はやっぱり?」
「ああ……。寝ていても、クロが近づいた瞬間、その微かな気配を本能で察知したんだろう。無意識のまま、ただ鬱陶しそうに尻尾を軽く薙ぎ払った。その先端が、ほんの少し掠めたんだな。それでもあの速さで反応できるなんて流石だよ」
と、ジャンが感心したように視線を向けると、クロは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
ミサキはクロの前に座り込み、頭を撫でて考え込む。
「……これからどうするの?私の方も情報収集は終わり?」
「……副マスは継続してほしいそうだ」
「え?なんで? 龍がいる証拠が集まったのなら、もういいじゃない」
「このヴァルグリムの冒険者ギルド支部が、龍の存在を意図的に握りつぶしているのか。採掘ギルドがそうしてるのか。それとも炭鉱の所有者である貴族『アスカン家』が主導しているのか……。最悪の場合、全部がグルになって本部に虚偽の報告を上げている可能性もある。そのあたりを精査したいんだ」
ジャンが厳しい目で書類を睨む。
ダニエルが真剣な顔でミサキを見つめ、声を潜めた。
「お前、ドワーフには信頼されてるだろ?お前が頼めば
、もしかしたら話すかもしれないぞ」
いつもはぶっきらぼうなダニエルの底知れない凄みに一瞬気圧されそうになったが、言うべきことは主張する。
「流石に国家を揺るがすような情報をポロっと漏らすわけないじゃない。相当な頭のネジのぶっ飛んだ狂信者でもない限り……」
と言ったときに、ローガーの顔が過るが、気づかなかったことにした。
「そうか?ポロっとどころか、じゃんじゃん情報を持ってきそうじゃないか?」
「まさか……」
そんなわけないでしょと言いたかったが、ローガー相手では言い切れないのも事実だ。
できることならこれ以上、あの大変な種族と深く関わりたくはなかったが、愛する我が子を探すため、そしてこの国の危機を乗り越えるためには、もう腹をくくるしかないのだ。
「あ゙ぁ゙〜もうっ!こうなったらヤケよ!やってやろうじゃない!」
「おぉ……聖女様がやる気になったな」
ダニエルが茶化すように言うが、ミサキは至って真剣だ。
「ダニエル!私を聖女に祭り上げるなら覚悟なさい!――スラムの子供たちを全員受け入れるための家の準備金、どうにかしなさいよね!!」
「は、はぁ?!なんでそうなるんだよ!聞いてんのか?おい!」
副マスになんて報告すんだよ……と、頭を抱えているダニエルの小言など完全にシャットアウトし、頭の中で「明日からのやることリスト」と「必要経費の計算」を高速で組み立て始めたミサキは、明日からまた地獄のように忙しくなると鼻息を荒くするのだった。




