第七十八話 めげない。折れない。挫けない。
『龍が起きれば国が終わる』
そんな恐ろしい、おとぎ話のような現実を聞かされて、すんなりと眠れるはずもなかった。
ベッドで横になりながらも何度も寝返りを打ち、どうしても訪れない眠りに、ただただ天井を睨みつけていた。
龍が起きれば、バルデガルドもひとたまりもないだろう。
何と言っても、龍背山脈に国があるのだから。
龍が起きればフリージア王国の管理不足のせいだと戦争に発展するだろうか?
いや、そんな余裕はないだろう。
連合軍を組んで龍を討伐するほうが健全で、現実的だ。
そんなことを悶々と考えていた。
昨日もラウラへの愚痴大会のせいであまり寝ていないというのに、追い打ちをかけるように国家滅亡の話なんて聞かされたせいで、完全に眠気が吹き飛んでしまった。
もっと自分が強ければ。
日本のアニメや漫画の主人公みたいに、「人類最強」とか「チートスキル」なんてものを持っていて、敵なしの無双状態だったら、龍の一匹や二匹、目じゃなかったのかもしれない。
現実を見れば、自分は毛の生えた程度のD級冒険者で、スキルも魔法も、武器すらまともに使えないオバさんだ。
「神様は、なぁ〜んで私なんか連れてきたのかしら……」
ぽつりと、暗い天井に向かって届くはずのない不満を呟き、ミサキはそのまま泥のような深い意識の底へと手放されていった。
――だが、その呟きは、届くはずのない「遥か上空」へと筒抜けになっていた。
「『なぁんで連れてきたのかしら?』だってよ! ギャハハハハ!!」
ひっくり返って腹を抱え、ケラケラと下品に笑う若い男の声。
あまりに笑いすぎて、その瞳には涙すら浮かんでいる。
「……ここまで追い詰められてなお、一切の諦念を抱かんとはな。」
その対面に座り、顎に手を当てて「面白い」と呟くもう一人の男は、打って変わって声音に全く感情が籠もっていない。
冷酷なほどに無表情な、人形のような顔だった。
「なぁ〜あ! いっそのこと、あいつ起こしちまおうぜ!?」
「……それは流石に、現段階では悪手だろう」
「いいじゃねぇか! 適当な人間にチョッカイかけてさ、炭鉱の奥を爆破でもさせて叩き起こすんだよ! そうすれば、あのミサキって女、今度こそ本気で絶望して泣き叫ぶぜ? 見たくねぇ?」
「……いや、まだ観測不十分だ。それにアレを起こしては、創造神様がお気づきになるかもしれん。アレは創造神様のお気に入りだからな」
「えぇ~……つまんねぇの」
男はあからさまに口を尖らせると、頭の後ろで両手を組み、一瞬で興味を失ったかのように深くため息を吐いた。
「なぁ〜んか、おもしれーことねぇかなぁ〜?」
そんな、世界の運命をサイコロのように扱う邪悪な声が天界に響いていたことなど、地上のミサキは知る由もなかった。
翌朝。
案の定、またしても睡眠時間が圧倒的に足りなかったミサキは、鏡の前で自分の顔を見て絶望していた。
寝不足のせいで、さらに毛穴が開き、ゴワゴワと砂漠のように乾燥した肌に、本日一発目の深いため息が漏れる。
(ああ……シートパックが欲しい。炭酸クレンジングで毛穴の汚れを根こそぎ綺麗に落としてから、化粧水を『これでもか!』ってくらい肌に浴びせたい……!)
日本にいればドラッグストアに駆け込んで数百円で解決できる日常すら、この世界では「龍を大人しく眠らせ続けること」と同じくらい難易度が高いことだと、ミサキは肩を落とした。
「ダメね。ため息ばかり吐いてちゃ。」
しょうもない顔で子供達を不安にさせてはいけないと、ミサキは「パン、パン!」と自分の両頬を強めに叩いて気合を入れる。
そんな様子を、ベッドの上から片目を薄く開けてチラリと横目で観察しているのは、先ほど早朝の隠密任務から帰ってきたばかりのクロだった。
今回の帰還時、クロの右前足には、ほんの僅かだが何かに引っ掻かれたような裂傷があったのだ。
それを見つけた瞬間、ミサキは大騒ぎを開始した。
「おいおい、こんくらいの傷、放っておいても秒で治るぞ。大げさだって……」
呆れたように声をかけてきたダニエルに対し、ミサキは般若の顔で一喝した。
「何言ってるのよ! バイ菌が入って化膿して、破傷風にでもなったらどうするのよ!!」
いそいそとゼラフィーネ特製傷薬を用意し、鬼の形相で治療の準備をするミサキ。
ダニエルはその過保護すぎる「母親の猛威」に圧倒されながらも、口の端に「やれやれ」と温かい苦笑いを浮かべ、そのまま奥の厨房へと引っ込んでいった。
当のクロはというと、もはや抵抗するだけ無駄だと諦めの境地に至り、ミサキのなすがままになっていた。
現在のクロは、前足にこれでもかと薬を塗りたくられ、包帯代わりの綺麗な布でグルグル巻きにされ、身動きが取れない状態だ。
おまけに、絶対に苦いであろうシェリル特製丸薬まで口に突っ込まれ、ゴクリと強制的に飲まされている。
その表情は、不服極まりないといった様子で完全に不機嫌そのものだった。
「じゃあ、私は仕事に行ってくるからね。クロは絶対に動いちゃダメよ? 大人しく寝ていなさい」
最後に駄目押しで頭を優しく撫で、ミサキは部屋を後にする。
完全に過保護な母親に「病人」扱いされたクロは、ミサキの後ろ姿が見えなくなった瞬間、はぁぁぁ……と人間顔負けの盛大なため息を吐き出すのだった。
スラムの子供たちを引き連れ、いつもの鉱山出入り口までたどり着いたミサキたち一行は、慣れた手つきでテキパキと開店準備を始める。
だが、今回は昨日までと大きく違う点があった。
ミサキは朝のミーティングで、子供たちにこう宣言していたのだ。
「いい? 今日は、私は一切手出しをしないわ。自分たちだけで屋台を回してみて。お客さんの案内も、シチューの盛り付けも、担当の割り振りまで全部自分たちで決めるのよ。……もちろん、本当に危ない時や困った時は、私が後ろからちゃんと助けるからね」
そう伝えた瞬間、子供たちの表情が一気に引き締まった。そこには、少しの不安と、一人前として任されたことへの誇らしさ、そして「やってやるぞ」という弾けるようなワクワク感が輝いていた。
「よっしゃーー! みんな、俺たちの力を見せてやるぞぉ!!」
『おおーーーー!!!!』
リーダー格のクリフの威勢のいい掛け声とともに、子供たちがそれぞれの担当へと散っていく。
ふと見ると、今回は行列の整理とパンの宣伝役に割り振られている人数が、昨日より二人ほど少ないようだった。
その年長組の二人の姿が、広場のどこを見回しても見当たらない。
「ねえクリフ、あとの二人はどうしたの?」
「あー、あいつらには別の『特別任務』があるんだよ!」
クリフに尋ねても、彼はニヤニヤと楽しそうな悪ガキの笑みを浮かべるばかりで、頑なに詳細を教えようとしない。
全員が何か企んでいる顔をしているので、何かしらの悪だくみ(?)をしているのだろうが、今回は「任せる」と言った手前、ミサキはそれ以上口出しをせずに見守ることにした。
いざ営業が始まると、第一陣も第二陣の客たちも、子供たちは危なげない連携で見事に捌き切っていった。
その手際の良さにミサキが心の中で舌を巻いていた、その時。
並んでいるドワーフたちの中の数人が、じっとミサキの方を見つめ、なぜか感動に打ち震えるようにホロホロと涙を流し始めた。
果てには、胸の前で両手を合わせて神を拝むようにミサキを拝み始める者まで出てくる始末だ。
あまりの異様な光景に、ミサキの背中にはどっと冷や汗が吹き出す。
(……ローガーの奴、絶対にまたおかしな噂を全力で言い触らしたわね!?)
脳内で狂信的ドワーフの石頭を思いっきりドツキ回し、ミサキは辛うじて溜飲を下げた。
だが、恐れていた事態は、第三陣の休憩組が押し寄せた時に本番を迎えた。
この時間帯の客の大半は、噂の中心地であるドワーフたちなのだ。
ミサキが「あ、まずい」と気づいた時には、もう包囲網は完成していた。
「聖女様!! 話はすべて聞いたっ!!」
「自分の本当の子どもを探してるんだって!? 居ても立ってもいられなくてよ、故郷のバルドガルドにいる俺の従兄弟連中にも『黒髪黒目の子供を探せ』って特級の伝書を送っておいたぜ!」
「聖女様! 俺も田舎の家族に手紙を出しといたぞ! ドワーフのネットワークをナメちゃいけねぇ、きっとすぐに見つかるぞ!」
「聖女様!」「聖女様!!」
気がつけば、むさ苦しいガタイのドワーフたちがミサキの周りを隙間なく取り囲み、口々に「バルデガルドの縁者に手紙を出した」と熱く報告してくるのだ。
(いや、その……ありがたいんだけど、情報がどう歪んで伝わってるかが恐怖でしかないわ……っ!)
手紙の内容によっては国境を越えた大国際問題に発展するのではないかと背筋が凍ったが、同時に、冒険者ギルド以外の独自の、しかもドワーフ王国に直結する情報網が勝手に構築されたのは、子供を探す母親として骨の髄からありがたい事実だった。
「……みんな、本当にありがとう」
歪んでいるとはいえ、彼らは100%純粋な善意で動いてくれているのだ。
言動こそ突飛で極端だが、根は義理堅く情に厚い、いい人たちばかり。
ミサキの口から、自然と心からの感謝の言葉がこぼれ、笑みが浮かぶ。
すると、それを見たドワーフたちが一斉に色めき立った。
「おぉぉ……! 慈愛に満ちた聖女様が、俺たちのために微笑んだぞっ!!」
「ありがたや……ありがたや……!」
「だから!! 聖女様って呼ぶのをやめなさいって言ってるでしょうがーーーっ!!」
全くこの人たちは! 人の話をこれっぽっちも聞きやしないんだから!
さっきまでの殊勝な感謝は一瞬で空の彼方へと吹き飛び、すっかり頭に血の上ったミサキは、集団の後方で満足げに頷いていたローガーの襟首を掴み、怒涛の説教モードへと突入した。
しかし、理詰めで窘められてもローガーはめげない。折れない。挫けない。
だって、ローガーだから。
ミサキの言葉をすべて「照れ隠し」へと脳内変換する、無敵のドワーフ。
それがローガー。その人だ。




